聖パウロ×工学院 高校入試ルネサンス(2)

自己肯定感は学ぼうとする力を生み出す授業で

平方先生:自己肯定感をどこで生み出していくかと問われれば、すぐに部活と回答したくなる。実際、部活は多くの生徒が自分のやりたいことあるいは自分の才能を実現したいと入部する。

仮にレギュラー選手になれなくても、仲間とのコミュニケーション、先輩後輩との絆、チームの中での自分の役割などを自覚できる場合が多く、達成感、満足感、充実感にあふれている。昔から文武両道とか文武両立とか言われ、部活の意義は大きい。

高橋先生:スモールサイズの本校でも、野球はやはり人気だし、馬術部など他校にはない部活もあり、入学志望の理由にも挙げられている。生徒にとって、自分の居場所がある、仲間と楽しめる場があるということは、大切なことだ。しかし、文武両道とはいえ、学校教育のベースは、やはり通常授業。この場で、知力も精神力も体力も育成するというのが前提である。

もちろん、知的な領域が主であるが、精神力や体力を身につける方法やそういうトータルな人間性を自ら体得していこうというモチベーションは通常の授業の中で生み出していきたいものだ。

平方先生:高橋先生のおっしゃる通り。文武両道とか文武両立というのが、相互に乗数効果をあがていくのではなく、役割がきれいに分かれてしまっているケースもある。

この場合だと、両方を行う生徒ばかりという状態だと、結果的に部活で精神力や体力を、授業で知性をとなるが、部活はあくまで自発的な活動だから、必ずしも全員が行う必要はない。

そうなると、知性に特化した授業だけを受けることになり、人間としての総合力が養われないという事態が発生する。実際発生しているから、今日の高校入試が自己肯定感を喪失するという問題が発生しているのである。

高橋先生:知性ならまだよいが、実際には20世紀型の授業は、相当知識偏重型だった。偏差値というのは、実は思考力などの力を測るのは不得手で、知識の多寡とか、正確性を測るのが得意な測定技術。

そうなると、受験勉強で、つまり偏差値ランキングによる抑圧で、ただでさえ自己肯定感が揺らいだり喪失して入学してきているのに、元の木阿弥。

平方先生:だからこそ、通常授業で、学んだ力(知識の蓄積)のみならず、学ぶ力(学び方を知る力)、学ぼうとする力(モチベーションや意欲)をトータルに育成するプログラムが必要なのである。そしてこれが21世紀型教育だし授業である。

もちろん、部活は必要だし、むしろそのような学びの3層構造によって人間の基礎が育成されているからこそ、もっと独自のユニークな自分の才能を開花し、発揮できる挑戦の場となるはずだ。

高橋先生:それが、PIL(Peer Instruction Lecture)型講義とかPBL(Project Based Learning)型学びと呼んでいるものだね。相互通行型とか対話型とか議論型とか、従来のように一方通行型講義ではない授業。

実はこのスタイルは部活では当然のように行っているし、ローマへの修学旅行にいく事前の準備は、まさにこのスタイルの学びになる。ローマに行ったときには、バチカンやベニス、そしてなんといっても聖フランシスコ縁のアシジに行く。カトリックの聖地であるけれど、ルネサンスの源流であることも重要だ。

平方先生:工学院では、年に一回10000人近くも参加する科学教室の準備がちょうどそれにあたる。テーマを決定するところから、本番までに実験を繰り返したりフィールドワークをして、検証したものを、デモンストレーションしたりプレゼンしたりする。やはり準備に一年かけるところもある。

そこでは対話もおこるし、チームプレイもうまれる。部活と同じように、生徒たちは大きく成長する。その「化学変化」、ケミストリーを大事にしている。

高橋先生:ケミストリーだね。聖パウロのイタリア修学旅行は、生徒自身が自分の内なるルネサンスを起こすきっかけになることを期待しているし、手ごたえは毎年感じる。歴史の展望と歴史のパラダイムが変わる瞬間の感覚は、頭で考えていても身につかない。

実際にその雰囲気で満ちている場所を自分の足で見て、触れ、耳を傾け、食事もとらなければ、身に染みてわからないだろう。中高一貫と違って、高校は3年間しかない。だから、生徒1人ひとりの内なるルネサンスは、濃厚な学びの環境をセットしなくては生まれないと思っている。

そして、実際に内なるルネサンスが起こって、起業家精神よろしく慶応湘南藤沢SFCに進んだ生徒もいるし、ヨーロッパを直にみて、国際関係の仕事で活躍したいと上智大学に進学した生徒もいる。

 

 

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