問いを立ち上げる能力
大島先生:よく21世紀社会は、解なき社会だとか、生徒たちはこれから既知ではなく未知と遭遇する。そこで大事なことは生徒が自ら考え・判断し、表現していく「問題解決能力」だと言われます。
そこで巷では、問題解決能力のためのプログラムが開発されています。アクティブラーニングだとか私たちの21会でもPBL(プロジェクトベース)とか、特に大学では行われていますね。
しかし、どうもしっくりこない。未知と言いながら、あるいは解なき社会と言いながら、ある程度生徒たちの解答が想定内に収まってしまう。もっと言うのなら予定調和になっていて、問題解決能力のイメージからは遠いのです。
有山先生:私は図書館司書教諭ですが、もっとも大事にしているのは、生徒自身が、自分の好奇心、興味関心をもった本を選ぶところです。与えられた本というのは、自分の興味と関心に合っていない場合、読む意欲を生み出さないだけでなく、読書そのものに関心をしめさなくなるケースが多いからです。
本橋先生:つまり、出発点が大切ということですね。大島先生のおっしゃる教師の課題の提示と生徒がそれに呼応して問いを立てるときのコミュニケーションの場(トポス)がとても重要だということですね。
大島先生:その通りです。課題の提示と問いを立てることを区別したのは、そこにこだわってみたのです。そして、これは今日の中心テーマではないですが、対話と言ったときに、問いを生み出すトポスが背景になって行われないと、それは表面的には対話は行われているけれど、たんに独り言を互いに言い合っているだけというようなことも考えています。それはともかく・・・・。
有山先生:問題を発見できたら、実は解答の見通しも立っている。それなのに、その問題を生徒にあらかじめ与えてしまっては、解答が想定内になるのは当然ですね。ですからそれは自分の好奇心に合った本を選ぶのと同じように、問いそのものを生徒が自分で立てるトレーニングをしなければならないということですね。
大島先生:その通りです。そのトレーニングは、たとえば、ウナギの諸問題という課題の場はつくります。トポスという対話や議論の場は共有します。そこで、ウナギについて話しているうちに、生徒はウナギの生態や経済、代替商品と偽装商品の違いなどなど、ネットワークのノード(格子)がそこに出来(シュッタイ)します。すると、生徒はそのノードから自分なりのネットワークをたぐりよせていくでしょう。そこで問いが立ちあがる。そういう感じなのです。
菅原先生:思考のプロセス、問題解決のプロセスということが重要だというのは、もちろん理解できますが、知識の問題はどうでしょう。今までの話だと、知識は記憶しなくても、その都度調べながら、対話をして問いを発見していけばよいということでしょうか。教師が課題の場を広げて、そこから考えていくゴールを示さないということは、知識さえも与えないということでしょうか。
大島先生:まさに私の課題の提示に対し、菅原先生は問いを立ち上げましたね。わたしたちの学習をめぐる問いが生まれました。ここから出発しましょうよ。