サイエンス

工学院 科学の目が輝く授業(3)

工学院の教育バージョンアップへの意志は、工学院大学学園125周年記念で根岸博士が講演したとき決定的だった。博士は、工学院の中高生に「誰にでも、夢を追い続ける素質と資格がある」とエールを贈った。ノーベル賞受賞の確率は1000万分の1だが、10の7乗分の1だと置き換えれば、「10分の1の選抜を7段階通過すればよい」のだから、現実味のある夢だろうと。

「誰にでも」可能性が開かれているという発想こそ、科学学校としての工学院の根源的存在理由である。さらに、根岸博士は、夢を見つけたら、とことん追求すべきで、そうしていくとやがて舞台は世界につながると語った。

つまり、「競争の場を世界に求めて、学ぶための師も世界単位で探し、自立心と協調性を常に持ちながら、チャレンジしてください」と。この時から平方校長にバトンはひきつがれ、先生方と一丸となって、工学院附属中高のビジョンの確認とその実現のためのバージョンアップの取り組みが始まった。理科教室から科学教室へのバージョンアップもその流れであるのは言うまでもない。

工学院 科学の目が輝く授業(2)

工学院主催の10000人「科学教室」の意義は、そのスケールメリットという点からして、他の理科実験教室を圧倒する大きな意味がある。というのも20世紀における日本の理科教育は専門家とその卵のための教育という固定観念があった。それゆえ、巷で行われている理科実験教室というのは、専門家やその卵向けという傾向が強い。

ところが21世紀になって、日本の科学教育にも「科学コミュニケーション」なる考え方が導入されるようになった。これはすでに欧米では20世紀から行われてきたことであるが、近代化は議会制度や民主主義の原理によってばかりではなく、科学革命によって広まり加速した。それゆえ、科学の主体は専門家ばかりではなく、市民全体に理解されるものでなければならなかった。科学コミュニケーションというパフォーマンスは、科学の最前線を小学生や市民に理解可能なデモンストレーションをするという意味があったのである。

工学院の科学教室は20年前から行われているから、すでにこの科学コミュニケーションの意味をいち早くコミットメントしていたことになる。工手学校として出発した近代市民のための科学学校の面目躍如であろう。

 

工学院 科学の目が輝く授業(1)

テクノロジーとマーケティング、コラボレーションの総合力が、2025年以降の世界の新しい仕事を創り出すと言われている。この2つの力を表現するときに世界共通言語として英語を学ばざるを得ない。イノベーション教育とグローバル教育、そしてその根底にリベラルアーツ。

これが正しいグローバル人材育成の世界共通のビジョンである。しかし、現状の教育で、テクノロジーという意味でのイノベーション教育を中等教育段階で十分に行うことは難しい。米国でも、2015年までにオバマ政権は教育政策の一環として3Dコピー機まで備えたメイカーズスペースを1000校につくる構想を進めているぐらいだ。きちんとプランを立てなければ実行できないビジョンなのである。

ところが、工学院は、明治開校以来、テクノロジーの才能を専門に育成する教育機関であり、その伝統は今も脈々と続いている。自前でそのプランを実行できる稀有な教育機関である。

テクノロジーはスキルの側面のみならず科学的なものの見方や考え方も共にするものであるが、そのリベラルアーツ的側面を切り取って、近代は暴走してきた経緯も記憶に新しい。

そこで、昨年125周年を迎えた工学院は、自然と社会と精神の循環をベースにしたテクノロジー教育を展開することを改めて確認し、10000人規模の参加者が集まる「理科教室」を「科学教室」という名称に変えて、そのビジョンを子どもたちと共有するイベントを開催した。(by 本間勇人:私立学校研究家)

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