八雲学園の文化祭(2) 「総合力」の集大成

八雲学園の感性教育の極限値はドリル部に結実していたが、実は八雲学園の感性教育スタンダードが文化祭で公開された。その1つは中3の英語劇。そしてもう1つは各クラスのリサーチ展示。さらに部活などの企画展示。

英語劇はミュージカルに限りなく近い

中3英語劇では、各クラスが「オズの魔法使い」か「アニー」のどちらかを選択していた。どちらも米国のアート文化の象徴。いや文化というより政治経済的背景もある重要な作品である。それを英語劇で行うというから、せりふが英語の寸劇かと思っていたが、それは全く違っていた。

学校説明会のイングリッシュパフォーマンスで披露されていた英語力に、ダンスが加わっていた。ここにも芸術鑑賞がダンス教育に発展している感性教育が染み込んでいた。

それだけではない。ソロで歌ってしまうのだ。もちろん、英語で。

フィナーレは、合唱で決める。

これは、やろうと思いついて簡単にできるものではない。宝塚劇団だったり芸術学校だったら可能だろう。しかし、八雲学園は進学校である。進学校でやってのけているのである。

なるほど優れたしかも高い専門性をもったエール大学の学生とコーラスを行って共鳴する学校である。スポーツもアートも学力も一体化しているのである。ドリル部などの一部の生徒だけではなく、学年全体で、生徒全員が行うのである。

しかし、このなぞは、英語劇の間で行われた声楽部のパフォーマンスで合点がいった。最初は、美しいハーモニーを聴きながら、感動しつつも、このハーモニーのトレーニングは、やはり一部の生徒の話であって、このようなトレーニングを声楽部のように一般の生徒はできるものだろうか?と、英語劇を思い出しながら不思議に思った。しかし、ウィーナーワルツになったときに、衝撃が走った。

指揮をしている先生が、聴衆側にくるりと反転。そして指揮をとりはじめた。さあごいっしょにと声をかけることはない。聴衆はもはや聴衆ではなく、演奏者さながら。声楽部と聴衆者は演奏者としていっしょになっていたのである。いきなりウィーンフィルのニューイヤーコンサートにワープした。

そのとき会場は声楽部の「世界観」を「MESSAGE」としてしっかり受けとめていたのである。近藤校長が生徒の「世界観」をできるだけ広げる場を設ける限界に挑戦することこそ「総合力」で日本一の学校になることなのですよと語っていたのはこれだったのある。

 

 

 

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