§5 大学入試改革の根本問題 ②
吉田先生:第4次提言の大学入試改革を促進するために、もう一つ解決すべき根本問題がある。それは、「高校教育の質の確保・向上、大学の人材育成機能の強化、能力・意欲・適性を多面的・総合的に評価する大学入学者選抜への転換を図る改革を行う」という提言の中の「高校教育の質の確保・向上」といったとき、もしPISAや学力テストで正答するスコアを向上させるという得点主義的発想だとしたら、変わらないということである。
たしかに「知識偏重の1点刻みの選抜にならないよう、試験結果はレベルに応じて段階別に表示する」試験をつくるというが、そのためにどんなに充実した学習指導要領をつくっても、実は履修の制度が今のまま形式的に科目修得できるシステムであると、そもそも段階別に評価をすること自体が成立しない。
つまり、教科書を使っているかどうか、一定以上出席しているかどうかなどの形式的条件で履修が認定されている現状では、実際には習熟度という内実を評価していないわけだから、そもそも教科書を全部どの段階まで学習できたのかを診ていない。
このように、質にこだわっている学校の姿勢やその教育に真剣に取り組んでいる生徒の学びの広さや深さを受けとめられていないが現状である。
もしこのような状況を、つまり高校生の声に耳を傾けることができれば、教科書の作り方も変わるだろう。形式的にではなく内容としての習熟度という条件が科目修得に反映されて初めて、高校教育の質の確保・向上とその教育によって培われた能力・意欲・適性を多面的・総合的に評価できる大学入学者選抜が可能になる。
そしてこのことによって、はじめて教員の資質向上の話が本格的に議論できるのである。得点や結果の側面だけでは、排除の選抜になりかねない。その生徒がどのくらい努力したのかどのくらい考えたのか、当初よりどのくらい伸びたのかなどを評価できる教師やカリキュラムなりシラバスなりが重要だということだ。
「達成度テスト」の複数回数受験が話題になっているが、「大学の人材育成機能の強化」とうものを教育によって行うのだとしたら、大学入試は、資格試験とは性質を異にする。明確なスキルを習得する性質のものであれば、それは資格試験だから複数回数は必要だろう。
しかし、人材を評価するというのであれば、それは減点主義や排除主義などではなく、その生徒の得意な才能を見出す評価をし、そのような才能がその大学のリサーチにおいて必要かどうかを判断する新しい評価づくりになっていかねばならないだろう。
平方先生:そのような新しい評価が可能になるには、大学側が、その大学が求めている人材像を明確に提示しなければならない。そうなれば、高校生は、偏差値によって大学を選ぶのではなく、自分の役割や使命、生き方などによって大学を選択できる。
つまり、そのようなキャリア教育や形式的な履修ではなく、習熟度も含んだ科目修得のための授業が行われることになる。
それは21会(21世紀型教育を創る会)校が、ビジョンを1つにして取り組もうとしていることでもある。必ずしも私立学校全てが、知識偏重の1点刻みの選抜を乗り越える教育を行っているわけではない。
21会校は、まずゆるやかな理念共同体の私立学校に対し、第4次提言で掲げた大学入試の在り方の転換をけん引するようなPIL(ピア・インストラクション型講義)・PBL(プロジェクト型学習)を埋め込んだ授業を展開していこうとしている。
それによって、大学に対して、学問を追究していく際に必要な思考力を評価する大学入試改革を求めるだけではなく、私たちも自ら中学や高校入試において「思考力テスト」を実施し、授業の中で培っていこうとしている。
それは、世界各国のグローバル教育にも通じるし、カリキュラムイノベーションにも結び付く。何よりそのような学びによってグローバルな社会を動かす人材に必要な教養、すなわちリベラルアーツを学ぶ環境をつくっていくことにもなる。
吉田先生:結局、今は成長戦略が大前提のグローバル人材育成の話が前面にでてきているが、グローバル社会とは、シンプルには思いやりをもって共に生きていける社会だと考えている。
互いに自由に学びたいところで学べる社会でもあり、互いに幸せを作っていける社会。そのような社会をつくるために教育は一つの重要な拠点。
グローバル人材とは何か、グローバル社会とは何か。そこに希望をつなげるようにするにはどういう教育をつくっていかねばならないのか。やっとその議論が始まったのである。