中3の間先生の国語の授業は、エッセイの読解だった。扱っている章を見ると、教科書の終わりの方だった。思わず、生徒に1学期で教科書終わってしまうの?と尋ねたところ、「教科書は素材で、シラバスに沿って授業が行われていますから、必ずしも最初から順番に進んでいるわけではないんです」と即答された。
共立の生徒は、先生方が独自に作成しているシラバスのメタシナリオ(テキストを再編集する眼差し)の性格をこんなにもはっきり意識できているのかといきなり衝撃が走った。
と次の瞬間、授業のテンポの速さに、驚いている場合ではないと気づかされた。間先生は、黒板全体に網をかけるように、生徒に問答を仕掛けながら、文章の構造を鳥瞰する書き込みをしていった。
書いている時も、生徒に問いかけ、生徒も必死に板書を写しながら、解答していく。40人強のクラスが、テンポの速い板書と同時並行の問答のリズムを形成しているこの雰囲気は、PIL(ピアインストラクション)でもPBL(プロジェクト型学習)でもなく、問答講義なのだが、思考の軌道を渡り鳥が美しい隊列ををつくって、風にのりながら飛翔している感覚なのである。
それにしても、構造とコンテンツを往復するの問答の連鎖は、そのまま思考の過程である。
まず森全体を見て、徐々に個々の木にアクセスしていく。文章に沿って考えながら思考の階層構造を問答でイメージしていく。
先生:この段落の話題はいくつありますか?
生徒:1つです。
先生:おおたしかに、そうですね。まとめたらそうなりますが、もう少し細分化できませんか?
生徒:あっ、3つですね。
先生:そうですね。なぜですか?
生徒:キーワードは・・・。
先生:文法的にさっと気づくのですが。
生徒:あっ、「も」とか「さらに」とか。
先生:そういうことですね。
という階層構造を上下左右に行きつ戻りつといった感じの問答の連鎖が無限に続いていく。生徒は、その都度「外延」と「内包」のスイッチの切り替えを行っていく。
しかも、その問答の様子は、すべて黒板に書き込まれていく。
間先生の問答は、生徒の解答を軌道修正しながら、1つのシナリオに収束させるというものとは全く違った。文章構造は、その形式という外延的なまとめ方をすると、わかりやすいが、実はうまく書けない。それは同じ言葉でも、内包的意味と外延的意味が目まぐるしく入れ替わるから、2次元や3次元で描けないのである。
無理やり図式するのではなく、言葉の内包性と外延性のダブルバインドをどう切り抜けるか、そのスリリングな思考トレーニングを行っていたのだ。人の話を傾聴しなさいとは、よく言われることだが、それは事実としての外延的な言葉を整理しなさいということではなかったのである。
じっくり耳を傾けないと、言葉の内包性と外延性が切り替わる瞬間を聞き逃してしまう。するとダブルバインドに囚われてしまう。思考の閉塞状況に陥るわけだ。
この内包性と外延性の切り替わる瞬間点は、生徒によって違うから、間先生と生徒の問答は予定調和的なシナリオを共にその都度ダイナミックに変換していく思考の過程そのものだった。
与えられたテキストで、その理解を目標にするのかと思っていたが、それは違った。テキストは思考の外延と内包が織りなす階層構造をデザイン思考する端緒にすぎなかったのである。
いつも渡辺校長は、問答法というのは、ソクラテスやヘーゲルの言う意味での弁証法なんだよと語るが、その意味が目の前に心地よく広がっていたのである。