地方の私立学校は首都圏とは違って、生徒募集においては好条件がない。しかし、「なんとかする力」を大いに発揮している。翻って首都圏の私立学校に目を転ずると、少子高齢化以上に、経済的要因に大きく揺さぶられ、理由は違うが閉塞状況に陥っている。
そんなとき、東京の私立学校では、昨年あたりから「なんとかする力」が再び動き出しているのではないかと一般財団日本私学教育研究所所長中川先生は語る。
中川先生:東大、早慶、MARCHなどに合格させさえすれば、なんとか生徒が集まっていた時代が、ここにきて急に転換しはじめた。グローバルというのは、超国家化、個人化、越境化であるから、そのような他者がつくった序列の価値に生徒のかけがえのない価値が疎まれるのはおかしいという意識が保護者に芽生えはじめているのだと思う。
もちろん、相変わらず官尊民卑のような国や官僚が国民を守ってやるという発想も根強いが、市場はそこから離れつつある。だから、序列よりも生徒自身のかけがえのない価値を見出し、それを広げるために、その価値を尊重し合うネットワークをつくることが東京の私立学校の新しい動きになっているのではないだろうか。
私もかつて東京の学校にもかかわったが、すでにグローバルな教育を意識していた。とにかく学内だけの狭い世界で教育を行うのをやめて、広く外のネットワークとつながる教育を行った。外というより、東京全体を学校の延長ととらえた「東京キャンパス構想」を実践していった。これは、いまでいう、高大接続や企業との連携ということになるが、東京キャンパス構想を試行錯誤した経験から、必要だと確信している。
また、ネットワークという意味では、一方通行的な序列を破壊することにも挑戦した。学内における序列とは、教師と生徒の関係である。今では、国際バカロレア(IB)の教育内容が学ばれているから、かなり意識されるようになったが、かつては両者の関係は、教師中心主義だったが、今では学習者中心主義だということなのだ。
学習者者とは教師と生徒の両方を意味する。今までの教師が教職課程で学んできた内容は、このグローバル教育の激流においては、すでに不足している部分がいっぱいある。たとえば、ICT教育など、生徒の方が教師よりも速く駆使できるようになっているのが普通だろう。
そのときに、私はICTが得意な生徒を、ICTが不得意な教師の先生として活躍させた。教師も学習者になったわけだ。予想通り、教師と生徒の信頼関係は深まり、生徒は自信をもち、さらに教えるためにその生徒ももっと学ぶから、どんどん才能を開花していく。彼は、その後コンピュータサイエンスの道を歩むことになる。
東京の私立学校は、ハーバードだ、エールだ、海外留学だと、多角的な教育内容を開発しはじめた。ネットワークを広めると同時に序列という目に見えない制約を開放している動きだと思う。東大にたくさんはいる学校から新しく生まれ変わったばかりの学校まで、その学校の状況に応じて創意工夫している様子が見てとれる。
条件の決してよくない地方の私立学校であれ、条件が比較的よい東京の私立学校であれ、「閉塞状況」を認識し、それを「なんとかする力」によって乗り越えようという動きの積み上げこそ、日本の教育の改革を本当に生み出すだろう。地方と首都圏の私立学校を、研修を通してネットワークとしてつないでいくには、「なんとかする力」の共有によって出来ると思う。それが日私教研の重要な役割。それを果たしていきたいと思っている。