夏期合宿のプログラムを構成する大きな要素は、「自学自習」という個人ワークと「授業」という対話型自己探求の2つ。「自学自習」は、先生から与えられた問題を解くというものとは意味合いが違う。毎日「夏期合宿日誌」をつけて、自分の学び方、何を学ぶのか、どこまで達成できたのかを振り返って、自学自習によって自己成長を果たす実践の場である。
この自分の学び方を、自分で振り返ることができる力は、自然と生まれてくるわけではない。もし1人で振り返っているだけなら、独善的になったり自己流になって成長が加速しない。夏期合宿は、テストによってクラス分けされる。教科ごと自分のクラスが違うから、自分の不足しているところ、強みに変えなければならないところが明瞭。
また、クラスの人数は極めて少数のため、授業は講義形式でもなく、問答形式でもなく、対話形式になる。生徒1人ひとりの細部にいたる弱みを先生と生徒がいっしょに見出し、強みに変えるにはどうしたらよいか話し合う。
自学自習のやり方について聞いてみたら、ぎりぎりまで野球部で活躍していた生徒は、
「長文の読解方法の視点を身につけたいと思っています。倉橋先生や大場先生とも話し合って、どういう過去問からアプローチするのか、ボキャブラリーはどうしていくのか、計画を立てていますから、それを自学自習で実行しています。野球部のときも振り返りは大切でしたから、その方法を英語の受験勉強にも応用できると思っています。」
と教えてくれた。たしかに、今回の夏期合宿の目的は、大場先生が言うように、精神力も身につけているということだろう。この場合の精神力とは、自己認識を深め、自己の成長を自ら促す精神力のことだったのである。
また、別の生徒は、
「数学の問題は、授業の前に配られるので、自学自習の場で予習します。最初は自分でなかなか解けなかったのですが、日に日に解ける量が増えてきました。自分でも着実に伸びているという実感があります。ただ、英単語は目標の40%くらいしか一日覚えられないので、もう少しがんばりたいと思っているところです」と。
それにしても、授業は、あるときは自学自習の時間も突き抜けて行うから、150分通しの展開になるときもある。そんなにぶっ通しで疲れないのかたずねると、その生徒はこう答えた。
「大丈夫です。それより、とにかく切り口が見えれば解決するのですから、その切り口を見出すために考えたり、本田先生と対話したりして、自分はどこを見逃しているのか想いを巡らしているうちに時間はあっという間です。結局力づくで解いて、詰まったところで引き返したときに、なんだとなることも多いのですが・・・。」
数学の本田先生は、
「数学はクラスによって、当然ですが問題は違います。ただ、どのクラスも少しずつ複雑な問題になっていくので、解いていくうちに、力が自然に伸びるように仕掛けているつもりです。そうはいっても、生徒それぞれ躓くところは違います。そこを乗り越えるのに時間をたっぷり使えるのが夏期合宿の強みですね。解法を講義するだけでなく、じっくり試行錯誤していく時間がとれます。力ずくで解く段階からショートカットできる隠された条件を見出すにいたるまで、付き添えるのが合宿の一番の特色ですね。」
と。そして本田先生は、ときには、生徒どうし教え合う瞬間も設定する。
しかし、それは正解だから教えるように設定するのではない。その教え方についても、コマかいアドバイスをするのである。こうして、条件をどうやって可視化していくのか、複眼的に考える場を創り出しているのである。
受験勉強なのではあるが、そこに創発的な発想を生み出す土台を埋め込んでいる。だから、生徒は時間を忘れスリリングな数学的思考と格闘できるのだろう。
この創発的な発想を生み出す授業が「自学自習」という時間をさらに豊かに真剣なものにしているのである。
(学び合う自学自習もある。)
(1人の空間で集中する自学自習もある。)
(みんなとやるから励みになる自学自習もある)
自学自習も授業も様々なスタイルだが、通奏低音には「対話」が響いている。