中1から中3までのブックトークを見たが、どの学年の生徒も、2分間のプレゼンにいたるまでの緊張感と不安を乗り越え、懸命に本番を乗り越え、あふれる興奮を抑えながら、友達のブックトークを聞いている。
その姿には、創造的な自信ともっとこうすればよかったという次への想いが映し出されていた。そして、最後に、互いに「賞賛コメント」を交換し合ったときは歓喜が教室にあふれ出た。
同じ2分間でも、中1とたとえば中3では全く違っていた。格段の成長の軌跡が見えたのである。というのも、中1と中2は、2分間で課題図書1冊と何らかの関係がある本1冊についてブックトークするのに対し、中3は課題図書1冊と関係する本2冊、合計3冊のブックトークをするのである。
情報量に差があるのに、プレゼンの時間は同じだから、言うまでもなく、中3のほうが密度が高くなる。中1・中2もリハーサルをきちんと行って、なんとか2分間に収める。中3も同様だが、2分を過ぎても時間内に余裕で終わることはない。その様子からも、ブックトークの時だけではなく、その事前準備の探究活動が広く深く行われていたことが伝わってくる。
成長ぶりは、もちろん、紹介の内容を構成する視点にも如実に表れていた。
中1の生徒は、はにかみながら一生懸命ブックトークしていた。「戦場のカメラマン渡辺陽一」の本と関係する本は、やはり「戦争の痛み」という視点で関係する本を選択する生徒が多かった。
また「ニライカナイの空で」では、何があっても負けないで、自分を超える成長ぶりに共感して、成長に関係する本を選択する生徒が多かった。いずれも、中1では、成長真っ只中の自分と共感するかどうかがポイントになっていたようだ。
中2は「うまみ」という科学的な視点で書かれている課題図書が出されていたので、旨みの成分の秘密や健康との関係がある本が紹介された。自分が共感している「心」から自分が共感する「もの」の分析へと、いったん視点を客観的なポジションに設定するブックトークになっていた。
おそらく「共感」は大事な認知の働きで、中1では視点を自分に向ける本が、中2では自分から視点を外に向ける本が課題図書として設定されていたのだろう。その違いが、中1と中2の発達段階に合うように読書体験のプログラムが設計されていたのだと思う。
中3のブックトークで、ある生徒は、たとえば、課題図書の「王子とこじき」と関係する2冊の本「本日は大安なり」「今夜は心だけ抱いて」についてプレゼンしていた。王子とこじきが入れ替わるというモチーフが共通している2冊である。
「王子とこじき」「双子」「母と娘」が入れ替わることによって、互いに別々の世界を体験できる。自分という主体と他者という客体が入れ替わることによって、主客一体となるというモチーフを通して、共感と差異を考えていることが伝わってきた。
また、課題図書「扶養の人」を選択した生徒が、やはり心だけ入れ替わったという小説を選択する場合もあった。その場合、「距離的に離れる」と「入れ替わることによって自分から離れる、あるいは元にもどるときに相手から離れる」という関係に注目していた。
いずれも、喪失感とそれがゆえに何が愛おしいかを共感するというプレゼンになっていたようだ。
このように中1から中3まで、ブックトークに耳を傾けると、それぞれ個性的な眼差しや気づきについて懸命にプレゼンしている様子が感動を呼ぶが、一方で、学年ごとに明快に発達段階があることがわかる。
この発達段階は、自然とできるものなのか、やはり全員が取り組むプログラムがあり、その都度教師がアドバイスをしたり、生徒が気づいたことを表現するのに躓いているとき、ヒントを出して引き出したりする対話が行われているからなのか。
それはもちろん、全員で取り組むプログラムが創意工夫されているからである。それは、ブックトーク終了後、「賞賛コメント」を交換し合う様子からも了解できる。
コメントを書く場合も、もらう場合も、自分では気づかないところをメッセージとして送り合う。当然毎年毎年、自分たちの成長を自分たちで実感していくシーンである。自分に自信を抱くには、この主客一体となる体験こそ重要なのではないだろうか。