八雲学園の感性教育の傑出しているところは、グローバルリーダーの土台を形成するところにある。リーダーは、仲間やチーム、組織にモチベーションを立ち上げなくてはならない。同質性の集団の場合、同じ価値観を強制するだけでも外発的モチベーションはあがる。
しかし、グローバルな世界は、チームや組織は、価値観や考え方が全く異なる人間同士の集団になる。そういう状況下で、同じ価値観を強制でもしようものなら、外発的モチベーションどころか、組織は停滞後退する。
ダイバーシティといわれる状況下では、違う価値観や考え方を尊重し合い、ビジョンやコンセプトレベルで、共感できなければならないだろう。八雲学園は、その共感の土壌が見事にできているが、体育祭のときにそれは最も顕著に現れる。
体育祭が終わっても、生徒たちはすぐに帰らない。どこからともなく集まって、写真を撮り合う。担任の先生も校長先生もいっしょになって、ピースのポーズ。ルネサンスのときダビンチは大天使ガブリエルにピースのポーズをとらせた。ミケランジェロはダビデ像の眼球をハートマークにした。八雲学園の愛と平和への共感はルネサンスの人間存在の重さを受けとめるところに根っこがあるのではないか。
だから、高3生は「愛と革命と自由と」をダンスで表現したのだろう。
共感のスタイルは、クラスによって様々。どこにこんな元気が残っているのだろうというぐらい飛んだり跳ねたり合唱したり。
保護者も帰らず、娘たちの想い出を共有しようと、シャッターを押す。
このさわやかな笑顔。「ありのままで空へ風にのって、ありのままで飛び出してみるの!」中1のダンスのテーマ、吹奏楽の最後の演奏は、あの“Let it go”だった。5月にやってきたエール大学の学生とも、吹奏楽部は、この曲を大合奏した。
そのとき、エール大学の学生たちは、八雲生にこう語った。
「ダイバーシティの時代に共感するには、まずはアートをシェアすることですね。みなさんはそれができるから、最高です。ヒュー!」
感性教育とはこのグローバルな感覚をベースにしている。だから、体験ベースの様々な交流行事ができるのであろう。
(体育祭終了後、実行委員が集まって、滞りなく終えたことを祝して三本締め。日本の文化も忘れない。)
さて、この感性教育は、しかしながら感覚的に実行していたのではなしえない。全学年100人以上の緻密な体育祭実行委員の組織があってこそである。彼女たちの献身的な努力と、各学年ダンスが終わる度に、かけよってハグして、「よかったよ」と励ますコーディネーターがいるからこそ成就するのである。
グローバルリーダーとは、前面に共感とモチベーションを表現し、バックヤードではコーディネーターとして演じる仕掛け人であり、かつ、ありのままの姿で跳躍する勇気を与えるタフネスのことを意味するのではないか。
八雲学園の一大プロジェクト「体育祭」から、そのように確信した。
そうそう。八雲学園でしか行わないかもしれないイベントがもう1つある。それは行事が終わって数日後、ビデオを見ながら振りかえりティーセレモニーを催すことだ。海外に行って、パーティーでコミュニケーションをとることは重要。しかし、そのとき大事なことは共通の話題を話せるということ。ダイナミックな体育祭のあとに、こんな細心の気配りがあるのが八雲学園流儀である。