§2 ロイロノート・スクールの効用
高2の政治経済の授業は、「学習を通じた創造的思考力一歩前」くらいまで到達する授業でした。「一歩前」と表現したのは、模擬授業の時間設定が30分だったからです。もしiPadやロイロノート・スクールなどのネットワークを活用しなければ、5時間以上かかる授業です。それを30分でやってのけるのですから、時間内にカリキュラムが終わるかどうかという不安はもはや払拭できるでしょう。
テーマは「パリ同時多発テロの背景を洞察して問題解決の正義判断をする」というものだったと思います。まずは、youtubeなどから、「同時多発テロ」を市民などが映した動画を見ていきました。担当の先生は、動画を活用することで「リアリティ」という思考のスキルをつかったのです。リアリティとは感覚ですが、思考する場合、問題発見をするときにはより「リアリティ」に近い状況を生み出すスキルとしての「リアリティ」がポイントになります。
ここにはリアリティのコペルニクス的転回がありますね。目の前の木とスケッチしている木とサイバー上に動画としてアップされている木とどれがリアリティがあるのでしょう。もし見ているだけではなく、実際に触るというスキルを活用すれば、リアリティを最も強烈に感じるかもしれません。
しかし、見ているだけなら、スケッチしている木や動画の木のほうがリアリティを髣髴とさせるかもしれません。つまり、リアリティとはイマジネーションを現実よりも強烈に脳内に映し出すことなのです。ちょっとカント的発想ですが、コペルニクス的転回ですから、そういうことでしょう。
これによって、生徒は、好奇心が立ち上がり、オープンマインデッドネスになり、なぜだろうという問いが生まれてきます。この状態をマインドセットといいますが、この3点セットがそろうと、生徒は探究思考の旅に没入していきます。議論は白熱します。次々と疑問が生まれます。フロー状態という没入状態はもちろん、モチベーションが内燃している状況です。
マインドセットされている状態をつくったうえで、先生はパリ同時多発テロの背景である欧米中心主義や、宗教問題、化石燃料の覇権の問題など、事実をキーノートを活用しながら情報提供します。ここは「知識」「理解」の段階ですね。もしマインドセットがないまま、いきなり講義に入ると、傾聴しない生徒も現れたでしょう。しかし、興味と関心が湧いて、自分事として意識できる状況ができていますから、生徒は真剣そのものです。
そして、このパリ同時多発テロについて、世界の人々の感じ方や物の見方の情報を提供します。時間があれば、検索してリサーチする機会を設定したでしょう。生徒はiPadを持っているので、PDFをメールで送ればよいのですが、ここはプリントを活用しました。なぜでしょう。それは、iPadは鳥瞰するのが苦手な道具だからです。
こういうところに、授業デザインの妙技があるわけですが、ともあれ、その多様な情報から、自分ならどれに共感し、どれに批判的になるかなど選択の意思決定をする段に進みます。
先生は、自分がなぜそれを選んだのか生徒それぞれがロイロノート・スクールに書いたものを、プロジェクターで映し出してシェアします。そして、プレゼンしながら、互いの考え方や感じ方の違いをシェアしていきます。
また、ロイロノート・スクールはウェブ上に保存できますから、他のクラスの生徒の考えをシェアすることもできます。このような多様なものの見方のシェアこそ、なぜどこが自分とは違うのだろうというリフレクションになるわけです。そしてこのとき、選択判断をしている自分という基準が現れてくるのです。「自分軸」の自己認識とでもいいましょうか。
「学習を通じた」というのは、実はこの「自分軸」を見出す過程だったのです。この「自分軸」があることによって、意思決定ができるし、自分独自の創造的な発想が生まれてきます。ここまでを「創造的思考力一歩前」と表現したのです。ここまでくれば、あとは生徒自身が創造の翼で飛翔するでしょう。