富士見丘 本物のグローバル教育をゆく (2)

富士見丘は、「知識のある人」「信念のある人」「思いやりのある人」「バランスのとれた人」「探究する人」「考える人」「コミュニケーションができる人」「心を開く人」「挑戦する人」「振り返りができる人」総体としての人間力を、グローバル教育の基礎としている。その教育システムについて対話は深まった。 

富士見丘のグローバル教育のプロトタイプ

――従来求められてきた人間力とグローバル時代に求められている人間力というのが違うということは了解できました。しかし、多くの学校では20世紀型の人間力でさえ、実際にはうまく育てられないできたのに、富士見丘では、さらに21世紀型の人間力をどのように育成しようとしているのでしょうか。

白鶯先生:昨今教育現場で起こっている子どもたちの悲惨な事件や学校の法化現象は、人間力を育成できなかったという側面もありますが、その人間力では不足していたという側面もあるでしょう。その限界に到って、様々な事態が噴出しているのかもしれません。ですから、富士見丘の人間力育成は、振り返れば21世紀型なのかもしれませんが、もともとさきほど例に挙げましたIBの学習者像総体を人間力として位置付けていました。

大島先生:たとえば、生徒会活動1つとっても、生徒にとってトータルな人間力を育てる機会になっていると思います。学校自体が、水の循環システムや紙の循環システム、太陽光によるエネルギー循環システムなどのエコロジカルな環境に取り組んでいます。

生徒会も、自然と社会の持続可能な循環システムを調べたり、国連などグローバルな制度設計についても調べ、ポスターなども作っています。

――たいていの学校はその段階で終わる。それでも十分に教育効果はあるでしょうが、人間力としてはまだまだ全体ではないということですね。

白鶯先生:そういうことだと思います。富士見丘の生徒会は、そこから一歩も二歩も踏み出します。たとえば、調理実習で出た生ごみをコンポストに入れて堆肥を作ってきた。文化祭でお客様に差し上げたり、自分たちの学校の花壇に活用して、生態系を復元する経験を積んできた。

そして、その積み上げが、堆肥を詰めるパッケージのデザインづくりに議論が発展していったりするわけです。パッケージをつくると、それを見て声をかけてくれる方がでてくる。するとまたそこで化学反応が起きてアイデアがうまれる。

地域の方と協力しようとなる。地域の商店街で販売して頂き、その売り上げを世界の環境のために寄付をしていこうという大きな活動になる。

しかし、そこで壁が立ちはだかる。家庭科の調理実習の生ごみの量では資源が足りない。すると商店街の方々が、お店で出た生ごみを活用できるよう協力しようと申し出てくださる。ネットワークがどんどん広まり、生徒会によるプロジェクト活動が立ち上がるわけです。

大島先生:このような活動は、まさにグローバル教育だと思います。自分たちの中だけで行っていった活動を、外に持っていく。すると、そこでネットワークが拡大する機会に遭遇する。その機会をコミュニケーションによって生かしてゆき、出会った人たちとコラボレーションして幸せな状況を作っていく。そういう交渉力、バイタリティ、タフネスこそ全体としての人間力ではないですか。

白鶯先生:このことは、富士見丘のグローバル教育を説明するのにとてもよいモデルケースです。今までの話では、英語力はでてきません。でももし、そこに外国人の方が加わったら、英語力が否応なしに必要になってきます。

今年、アブダビ(アラブ首長国連邦)のエミレーツ・パレスで行われた「ザイード・フューチャー・エネルギー賞」の授賞式に、本校生徒会役員と学校長、教員が出席しました。

審査委員会会長のオラフル・ラグナル・グリムソン・アイスランド大統領からファイナリストとして表彰していただくことができたのですが、これは生徒会のプロジェクトをグローバルに広げていこうという展開になっていったから頂いた賞であり、そこでは英語力が重要です。プレゼンしたりするのに英語は当然使いますから。

大島先生:生徒1人ひとりによって、探究の入り口である好奇心や関心の対象・観点は違います。また探究活動の発達段階もみな違います。それを無視して一律同じことを指導してきたのが、20世紀型教育ですが、富士見丘が21世紀型教育を行っていると自負できるのは、生徒1人ひとりの発達段階や興味と関心の違いに応じた教育を実践してきたからです。

白鶯先生:大事なことは、留学制度にしても、海外大学進学準備体制にしても、押し付けてできたのではないということです。時代の要請と生徒1人ひとりの興味と関心が一致して生まれたニーズに対応してきたのです。

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