昨年末、オーストラリアとイギリスに3ヶ月留学体験してきた生徒が、その体験についてメディアの取材を受けているところに居合わせた。昨年会った時から半年ちょっとしか経っていなかったが、その成長ぶりは確かであった。
得てきたもの
得てきたもの、それは「チャレンジ精神」「自信」「友人」だという。海外の大学へ挑戦するとか、難関大学に挑戦するとか、そういうものとはまったく違う。大事なことは、自分を他者の前で表現していくことだと。それは一見小さなことかもしれないけれど、グローバルな社会では、それはチャレンジ精神を持っていないとできないと気づいたという話だった。
国内で恥ずかしがっていたり、無表情でも、コミュニケーションに何も困らない。しかし、向こうでは、恥ずかしがることや無表情であることは、コミュニケーションを閉ざすという表現であると気づいたというのだから、これは体験からしか得られないものである。
明るい性格の持ち主であるかどうかにかかわらず、明るい表情や態度は大事であるようだ。相手に壁を作らない、警戒しない、信頼しているという言語表現と同じくらい大事なのであると。日本では明るいと楽しいはほとんど同じ意味だけれど、苦しくても協力して乗り越えるときは、明るい態度を取るのが英米流儀ということ。
オープンマインドは、コミュニケーションの大前提。そのサインは明るさなのだ。文化の違いは、毎日のクラスの授業の中でこれでもかというほど思い知らされたと。
「恥ずかしい」とは、日本だったら「かわいい」と受けいれらるかもしれないが、英米圏では、自分で壁をつくって、コミュニケションを拒絶しているととられる。だから、それに気づいて、自分で作った壁を崩す勇気と自信を得て帰国したということだ。こわいものは自分なんですと。
3か月の留学体験を通して、誰が見ても彼女たちは大きく変わって帰国したと感じると大島教頭も語る。しかし、それは英語力もそうなのだが、何より人間力の大きさである。
本当の英語力
今後もTOEIC、TOEFL、IELTSなどにチャレンジする気はあるのか、もっというと海外の大学に進学する意欲はあるのかとどうしても聞きたくなるものだが、そんな大人の都合の疑問は一蹴されてしまった。というのも、そのような認定テストはもちろん受験するけれど、かりにそれで高スコアとっても、それで英語力がついたなどと思っていたら大間違いだと。
留学前なら、それで自分ってなんてがんばったのだろうと思ったかもしれないが、実際にホームステイして思うことは、実際には言葉は生きているから、多くの人々とともに生活しながら英語力を高めていく努力が欠かせないと。
海外の大学も、国内の大学と特別違うわけではない。自分が学びたいことが国内ではなく、海外にあるときは、そちらを選ぶだろう。今はまだ自分の生きる道が具体化されていないから、両方のチャンスを大事にしたい。グローバルに活躍するには、進学する大学は1つである必要はないし、学びたいときにまた大学に行ってもよいわけだし、選択の幅が広いことが視野が広いということですよと。
なるほど富士見丘のグローバル教育は人間力だったのである。