聖学院 「思考力」を語る (1)

今や知識を憶えるコトは肩身が狭い。「思考力」や「論理」「クリティカルシンキング」などの言葉が表舞台で脚光を浴びている。ついこの間までは「考えるには知識がやはり必要だ」という見識者がほとんどだったが、グローバル人材育成時代、米国のBIG4レベルの学生やオックスブリッジの学生は、すでにそういう考え方をしていない。

多次元の思考やライフコンセプトを有している彼らにとって「知識か思考か」という二元論は、すでに20世紀近代の考え方で、ポストモダンを経由して、さらに新しい21世紀型の考え方が確立されようとしている今、「思考力」は新しいとらえられ方をしなければ、子どもたちの未来をだいなしにしかねない。

団塊・断層世代の思考の枠組みから、ハーバードやエール、プリンストン、オックスブリッジで学んでいる現代の大学生や研究者の思考の枠組みにシフトするのは歴史的必然。しかし、現在の中等教育レベルで、そこまでとらえている教師は少ない。21会校では、そのような先進的教師が集積しているが、今回は先行的に「思考力セミナー」を実施している聖学院の先生方に聞いた。(by 本間勇人:私立学校研究家)

左から伊藤豊先生(国語)、内田真哉先生(技術科)、高橋一也先生(英語)、本橋真紀子先生(数学)

今年の思考力セミナーはもう2回目が終わった。説明会のたびに入試の「思考力テスト」の対策講座という意味で行われている。もともと入試問題は、学校の顔をと言われ、教育内容のエッセンスが反映している。しかし、従来型の入試は、どこの学校でも、どうしても模擬テスト型の要素も含まれ、エッセンスを全面的に展開することができなかった。

それゆえ、世間では、私立学校の教育内容は、知識を大量に覚え込むタイプの難関大学進学のための準備教育だと誤解されてきた。そこで近年では考える問題や論述問題もかなり取り入れられるようになってきた。しかし、まだまだ全面的というわけではない。

そんな中、聖学院は昨年から、入試タイプの中に「思考力テスト」という入試を新設。既存の知識を素材にしないで、思考の過程をみる新しいテストを開発した。もちろん、聖学院の授業で大切にしている思考のタイプで、入試問題は学校の顔というセオリーを貫いている。

先日行われた「思考力セミナー」では、色や音をインプットして、生徒1人ひとりがイメージした感じ方や考え方を絵や言葉で多様にアウトプットするワークショップが行われた。セミナーのプログラムは多くの先生方とコラボしてデザインされた。今回も集まってくださった先生方の専門教科はバライエティに富んでいる。

「思考力」について対話する前に、伊藤先生から思考力セミナーを受講した生徒の保護者からいただいたお礼の手紙が紹介された。

保護者は、息子が、学ぶコトの楽しさを知ったし、書くことや描くことは苦手だったのが、たいへん自信をもって、立ち臨めるように変化した様子を綴り、たいへん感謝をしているとのことだった。

その手紙が読まれたときに、集まった先生方は、心から喜んだ。生徒が勇気を抱き、自信をもって取り組むように変化することほど最高の喜びはないというのが聖学院の先生方の姿勢である。

伊藤先生は、思考力とは何かを考える前に、ミッションとして、聖学院での考える学びが、大学に行ってからも持続し、それが探求につながり、社会にでたら新しいイノベーションをもたらしたり、起業家精神をもって貢献してくれるようになったりできるような教育をするというところは出発点にしたいと。

他の先生方もそのミッションを当然であると共有した。

言うまでもなく、このミッションはどの学校でも当たり前ではない。大学受験準備で終了という教育もあるのであるから。

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