5・31 第1回21会カンファレンス 「21会型学び」

富士見丘学園の教頭大島先生は、教えない教師を続けて30年以上。大橋清貫先生が「21会ビジョン」で語った乗り越えられるべき20世紀型教育をすでに破壊的に創造してきた。富士見丘学園の柔軟かつ多様な学びを構成しているサタディプログラムの一環として「中学生のための哲学教室」を開講しているが、それを紹介し21世紀型授業としてのPILやPBLの展開の基礎を提示。

カンファレンス以前に、すでに授業の展開をYouTubeで公開。21会サイトからアクセスできるように設定。東大の山内准教授を中心に展開している米国トレンドの「反転授業」をカンファレンスで披露することにもなった。(by 本間勇人:私立学校研究家)

まずは、DVDで哲学教室の雰囲気を流した。そのシーンは次のような対話の場面。

「私は誰?」という疑問文は変じゃないか?「あなたは誰?」は変? あなたの方は変じゃない。これはどういうときに使う?相手のことを知らない時・・・。相手のことをあまり知らない時につかう。ならこれは、私のことをよく知らないということ?自分のことをよく知らないと思う人?すると、生徒の3分の1くらいが手を挙げる・・・というシーンををまず流した。

何が重要かと言うと、生徒自身が生徒自身の立ち位置から出発しているということです。一斉授業は生徒の立ち居地を無視して、教師が想定した生徒の立ち位置から出発させようとするところに問題があります。そこが問題だと気づかないできた20世紀型教育はもっと問題です。

というのも、生徒それぞれで、現地点から学習到達目標までのルートが違うのに、従来型の教師はそのルートを無視して、最終到達目標の解説をするからです。

どういうことかというと、教師が予習した内容をどう解説しようか考える。そうすると生徒の立ち居地を無視した解説が始まるわけです。このような教えることは不毛だと思うのです。

一点は、生きた知恵にならないから。知識は伝わるが、生徒がそれを自分のものにするのは難しいからです。もう一点は本来なら生徒が自分の立ち位置から学ぶべき目標まで自分の足であゆんでいくものなのに、説明することによって阻害してしまっているからです。

自分で考えて到達できる喜びを感じられない。自分の足で最終目標まで来た生徒は、あとからその自覚を持ち、授業をおもしろいと感じるものなのに、その喜びを奪うことは問題です。だから、教師の役割は3つあります。もっとも大事なのは問いを発すること。問いが思考を規定するから。

例えば「なんでせかいいちにならねばいけないか」という問いから発せられる問いが導く思考と、その質問を発する資格がある人は誰ですかという問いから発せられる思考は当然異質。教師の力量は発問。一番いいのは集団がうすうす感じている疑問の中核に突き刺さる質問をすること。その瞬間にグループは思考集団にかわる。

発問がよければいいのかというとそうではなく、その次に発問によって促されて出てくる生徒との話の整理をする必要があります。なぜなら授業時間は決まってて最終的な到達目標地点が決まっているから。つまり対話の方向性を作る必要がある。具体的には問いに対する正確な答えが返ってきたら、それに対してまた問いを発してさらに深い思考へ導く。その際対話のコントロールをするという役割です。

3つめはムード(雰囲気)を作ることが大切。どんな質問でもウェルカムなムード。私は27歳以来教えない教師だが、教えない授業で大事なのは対話だと思って今に至っています。なお、先ほどのビデオは資料3枚目にある21会サイトで見られます。

ここで司会平方先生から「PILやPBLの取り組みについて何か考えるところはありますか」という問いが投げられた。

大島先生はこう回答した。「教師対生徒だけの対話はつまらないが、ある生徒の気づきは他のみんなにも伝染する。これは思考集団が出来上がってるということ。しかし全員を飽きさせないためにやはり生徒―生徒間でこっちに飛んだりあっちに飛んだりフレキシブルにできるのが一番自然で美しいと思うので、私もそれを目指しているのです。」

 

 

 

 

 

 

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