トータルなことば力を育成する多彩な教師の顔
同僚性
英語の教授法、プログラムの作成、リハーサル、授業の振り返り、生徒の成長の評価、授業の改善、生徒の才能の発掘、情報交換・・・あらゆる角度から議論して、教育は成立するが、そのためには教師どうしのオープンマインデッドネス、ディスカッション、何より信頼関係が重要。つまり教師の同僚性が、学校の大きな土台。この関係が、東京女子学園は盤石なのである。
協力者
英語に限らず、授業はチームティーチングが理想。協力しながら、授業を進めることによって、目が行き届くだけではなく、役割を分担しながら、授業をダイナミックなリズムで展開できる。
コーチ
教師が協力しながらワークショップを行っているとき、1人の教師は、生徒1人ひとりに対し、きめ細かく指導ができる。解答を教えるのではなく、対話をしながらどこで躓いているのか、生徒が自分で考えて行けるようにコーチングを行うことができる。
ファシリテーター
一方がコーチを行っているとき、もう片方は、生徒からの相談に乗る。教えるのではなく、生徒の能動的な活動を促すファシリテーターの役割を演じる。コーチもファシリテーターも、生徒が自分ひとりでは進めなくても、対話を媒介することで、前に進めるようにする触媒の働きは同じ。
見ていると、コーチの場合は、生徒がどこで躓いているか自分でわからない場合、そこから話し合って、促進している。ファシリテーターの場合は、躓きは生徒自身が自分で認識したが、その乗り越える方法を教師に相談しにきている。実はそこにすでに次のステップへのジャンプのヒントがあったりしている。前者の生徒は、はにかみながら笑顔に変わり、後者はアッとアイデアの燈が目にともる。
エンパワーメント評価者
そして、教師は生徒を評価する役割も担うのだが、40人弱のクラスの1分間プレゼンを聴いて、瞬時に評価していくことはいかにして可能か?プレゼンテーションの評価は、いわゆる〇×式の得点方式ではない。プレゼンの構築の質の規準について判断し、どこをどれくらいトレーニングし直せば、質を高められるかという形成的評価をする。
評価者がコーチやファシリテーターの資質を持っている場合、生徒のプレゼンで問題点を突くだけではなく、どうしたらもっとよくなるのかポジティブ評価をし、モチベーションをあげ、実現の方法をともに考えるコトができる。そういう上級評価者が、グローバル教育では必要とされている。
東京女子学園の英語教師は、まさに上級評価者。しかし、これだけの人数の場合、形成的評価やエンパワーメント評価はなかなか難しい。IBのディプロマクラスが少人数であるのは、評価のシステムが日本と違うからだ。しかしながら、人数にかかわらず、エンパワーメント評価は可能である。
どうしてかというと、ICTを活用すれば、リアルタイムにデータ分析までできる。実際スタンフォード大学のフェッターマン教授はこの方法を研究し、シリコンバレーのIT産業のプロジェクトチームに適応して、一定の成果を収めている。
アプリが学びの初期値
タブレットの最大の魅力は「アプリ」だと校長補佐の辰巳先生は語る。アプリとはapplicationの略だが、適用とか応用という意味で、ICTでは、タブレットやスマホ上のソフトウェアのことをいう。実はこのapplicationは、思考次元ではレベル3。レベル2はcomprehensionといって、アプリとは、理解という共通の意味もあるが、大きな違いもある。それはレベル2までの「理解」は1つのことの理解で、それを他のものや領域に応用適用するレベルは1つあがる。このレベルのものをアプリというわけだ。
詳しく調べてみないとわからないが、どうも伝統的に欧米の知的なレベルは、元祖タキソノミーのブルーム博士の考え方にいつの間に規定されているかのようだ。「初期値」という概念がICTの世界にあるが、アプリの初期値は思考次元レベル3から始まる。
たしかに基礎基本は大事であるが、自転車のように、最初は補助輪で乗る楽しさを知るところから始めるのは、実はトレーニングのセオリー。だからアプリによって、どんどん英語の技術や思考を展開していけるのは、楽しいのだと。そうしているうちにいずれ補助輪を取り外す時がくるのであると辰巳先生は語る。
だから、タブレット導入期、夜を徹して、先生方と有効なアプリを探すのに苦労したという。電子黒板などのハードを揃える前に、アプリというソフトパワーの情報を収集する方がおそらく教育的には効果があるというのは慧眼と言える。21世紀型教育とは、ハードパワーからソフトパワーへのシフトも意味するからである。もちろん、日々世の中にはアプリが増殖している。新しいアプリを求めて先生方は今日も情報収集に余念がない。
13のスマホの約束 18のスマホの約束
東京女子学園でも、中学に入学したとき、高1になったとき、アメリカで話題になった母と子のスマホの約束のエピソードのワークショップを行う。親子の話であるから、中1では保護者会などで、高1では全校集会などで。
校長實吉先生は、これだけ学校でICTの環境を活用しているのだから、家庭では携帯やネットを使わないようになどいうルールを課すことなどできない。ネットやICTの優れた側面を実際に知ってしまった以上、影の部分があるというだけで禁止はできない。
それにあらゆるもの、人間という存在も、つねに両義性、アンヴィバレンツはつきものである。そのリスクや危険性にどのように対応し続けるかしか、リスクを回避することはできないと實吉先生は語る。
常にリスクや危機を意識できるようにしておく。それにはコミュニケーションの死角をなくし過剰な安心感に慣れてしまわないこと。だから保護者と学校と生徒とコミュニケーションを続け、信頼をどこまでも持続していけるようにすることが大切であるという。
高1のワークショップは、18の約束について自分はどう思うか、もし自分が母親になったらどう思うか調査した。驚いたことに同じ人間なのに、立場によって考え方に開きがでるものがでてきた。コミュニケーションや信頼といっても、自分の中の自分との対話でさえも難しい。
あらゆるものが、そんな簡単に解決はしない。学校の評判だってそうだ。口コミが一番であるが、口コミこそ難しい。でも難しいものにチャンレンジするのが人である。建学の精神「人の中たる人となれ」。高邁で勇気ある生き方だが、これこそお金でも権威でも到達できるものではない。實吉校長の微笑みに静かな情熱を見た。