富士見丘 日本の教育を変える知の沸騰(5)

「5×2」Story 多様な探究の楽しさが1人ひとりの才能を開花する

自主研究「5×2」は、土曜・日曜2日間の過ごし方が変われば授業のある5日間の意味も変わるはずだという考え方にもとづき発足。5(平日)+2(土曜・日曜)=7ではなく、5×2=10プラスαという相乗効果を生み出すことが目的である。

一般には、授業と総合学習のような学びは完全にセパレートされていて、そこをつなぐプログラムまで創られることはない。

生徒によってその両方を横断的につなぐ例はあるだろうが、そのような才能を学校全体として生み出すプログラムデザインをしようというところは少ない。なぜならそれが20世紀型教育の常識だからだ。

ところが富士見丘は久しい以前からその常識を覆していた。そして、今時代が求めているグローバル教育や21世紀型スキルは、この横断的で越境する知の交流こそ重視し、次回の学習指導要領でようやく盛り込まれる「メタ認知」(この認知レベルは、IBではすでに「常識」。富士見丘の21世紀型「常識」と一致しているのである)を必須条件としている。

つまり、時代がようやく富士見丘のグローバル教育に追いついてきたのである。この知の交流=インターフェースをシンプルなトルネード型の図に表した長島先生はこう語る。

長島先生:先ほども出ましたが、授業では知識と知識の網の目を形成する基礎基本を育成します。5×2はその網の目を、今度は生徒自身が拡大し、探究すべきさまざまな学びの領域を広げ、知的好奇心で満たされていきます。

説明会や公開サタデープログラム、文化祭など折に触れ、生徒が自分の探究について、経過報告をプレゼンしています。基本は1年間ですが、中学から高校まで、1つのテーマを追っていく生徒もいます。

「鳥はなぜ飛ぶか」「蚕は飛べるようになるか」などずっと探究しつづけた生徒もいます。エコシティについて調べて、大学に行ってもそれを研究テーマに選んでいる卒業生もいるぐらいです。

(5×2の自主研究テーマは、SFCに進学しても持続している)

なぜこれだけ持続するのか?それは結局、探究とは自分自身の人生そのものだからでしょう。もちろん、テーマは変わってしまう生徒の方がほとんどでしょうが、大事なことは「自調自学」という探究の精神そのものは、いったん身につけてしまいますと、深まりこそすれなくなるものではありません。

そして、この探究の方法は、試行錯誤されながら、いろいろな領域で適用されるようになっていきます。ですから、やがては授業の取り組みにも役に立つようになります。

ワクワク、ドキドキ探究することが楽しくて、好奇心があふれ、興味や関心が膨らむところからスタートして、ノートの記録が蓄積され、新しい疑問がわいて、さらに調べ、フィールドワークやインタビューにも出かけ、実験もしながら、ある結論や新しい着想を創造する生徒たちの知の成長を図にしてみました。

描いてみて改めて思うのは、やはり始まりは楽しさから始まり、レポートや論文まで到達したところで、さらに知の交流が広がり、再びワクワクするということですね。

(5×2の自主研究は、中学から盛り上がっている)

この図の中には、探究の軌跡あるいは発達を表現するキーワードを一部ですが埋め込みましたが、この1つひとつの言葉が生徒の内面に生まれる瞬間を私たちも共有していることを思い浮かべ、こちらもワクワクしてきます。

結局5+2ではなく、5×2というのは、生徒とかかわる私たちもワクワクしながら知のコミュニケーションをとっているということが象徴されているのだと思います。

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