順天 SGHクラス≪GLAP≫始まる(3)

順天のSGHの≪GLAP≫ユニットの取材に訪れたとき、中2の父母の集いの授業参観も開催されていた。片倉副校長が、いわゆる授業ですが見学してみますかと誘われたので、二つ返事で授業を拝見した。そして驚いた。

というのも、たしか中2の歴史の授業だと聞いてきたのに、今先ほど取材してきたSGHユニット≪GLAP≫のスクールワークと同じ光景が広がっていたのだ。「浄土信仰」がテーマだというのに、生徒たちは、社会の幸せな状況について議論しているようにみえた。片倉副校長は、いきなり担当の小見山先生に、「先生なら各チームのどの意見に同意しますか?」と問いかけられた。

「争いのない世界かなあ」と即答すると、「やっぱり!」と生徒たちから迎え入れられた。途中から参加したので、にわかに状況がつかめず、これから議論が深まるのかと思いきや、さて机をもどそうと素早く講義形式になった。

やはり日本史の知識を伝える授業になるのかと思ったが、次の瞬間、小見山先生は「極楽浄土」の概念を生徒の現代的感覚で描いてもらったという確認をし、今度は、ではそれとは対照的に自分たちにとって辛いと思うことをシェアしようということになった。すると今度はグループに分かれて立ったままシェアするシーンに移行した。ペアワークが始まった。

しかし、このシェアはあっという間に終わり、再び講義形式の空間に移行。

あまりに目まぐるしく、ダイナミックな授業だと思っていたら、今度は小見山先生は熱く語り、生徒たちは真剣な眼差しで聴き始めた。

講義では、浄土信仰が生まれてきた歴史的背景について、問答がなされながら進行した。そして「極楽浄土」を人々が求めた状況を確認した。先ほどグループワークやペアワークでシェアした生徒自身の希望がなぜ生まれてくるかの過程と比較もされた。

なるほど、歴史というもはやめにはみえない社会状況については講義をし、同じような状況下に置かれたときの生徒自身の感じ方やものの見方についてはグループワークやペアワークを通していたのである。歴史的あるいは社会的法則と人間の心理の法則を対比するというプロセスは、木も見て森も見るという学びの本質である。

なんとSGHユニット≪GLAP≫が行っていた「世界一大きな授業」のプログラムと同じ構造ではないか。つまり、世界の現状は今目の前ではわからないが、その事実を「自分事」に引き付けるために、いまここで自分がどう感じどう考えるかまずは確認する、そして世界的視野にもう一度自分を置きなおすというプロセスが埋め込まれているという点である。

片倉副校長に、将来中学生がSGHの取り組みに接続するために、同じ構造のプロセスを埋め込んだのですかと尋ねてみた。すると、

「もちろんそれもありますが、小見山先生の授業の手法は、今まで全学年で積み上げてきたグループコミュニケーションの手法です。それを授業に取り入れることで、知識や事実を客観的に突き放すのではなく、自分もその場においてみるというのがねらいですね。自分だったらどうしよう、果たしてかかわれるだろうかどうかという自問自答こそ、興味と関心が生まれるし、それは学びのモチベーションを生み出します。」

昨年、グループコミュニケーションの取り組みは取材させていただいた。自分の成長を振り返ったり、社会の問題について関心をもったり、キャリアデザインに取り組んだり、心理学の「交流分析」という方法をベースに組み立てられた生徒1人ひとりの成長を促し、生徒どうしの関係を豊かにするプログラム。

まさかこの手法が授業に織り込まれるとは驚きであるが、それがまた文科省のSGHで推奨するプロジェクト型学習とシンクロしていると知って、二度驚いた。

帰り際に、高2のEクラスの生徒とすれ違った。

「私は高1のときに英検1級は取得しましたが、みんなもそれ以上のレベルですよ。そんなことより、私たち一人ひとりの興味と関心を学べる機会がたtくさんあって、楽しい学校です。私の成長を支えてもらっているのだと思っています」と。

 

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