模擬裁判の授業が終了後、今回サポートしてくれた弁護士の方々が、生徒にコメント。「証拠」が証拠として成り立つかどうか、事実を認定していく過程で、実によく考えていると感じたと。
今回の模擬裁判は、裁判の手続きをシナリオに沿って体験することとその体験の中で事実を「証拠」に基づいて考え抜いて明らかにしていくことであるが、その目標は達成されたとコメントした。
さらに、予め生徒から集めていた様々な質問に回答された。印象的だったのは、高い志をもって社会の秩序、人権を守る活動に奔走しているが、基本は自分がいかに生きるか、身近な人間関係のトラブルや社会の構造のゆがみの影響などとの権利の闘争をする勇気から、弁護士になることを決意されている点だった。
社会科の先生方も、裁判員制度に移行してから、すべての市民が法律の専門家になるわけではないから、根本の法感情のところを大切にしているが、やはり出発点は弁護士と市民の法感情は共通していることを生徒は確認できただろう。
(東京女子学園の社会科教諭:左から大谷先生、馬場先生)
馬場先生は、模擬裁判の取り組みについてこうビジョンを語った。
「狭い意味では、裁判の仕組み、特に裁判員の制度について体験を通して理解してもらいたいというねらいがあります。しかし、それを通してさらに今の時代に生きている自分の回りの社会にも当事者として関心を広めてもらいたいというもう一つの大きな、社会科の教科書の枠を超えたねらいもあります。」
すると大谷先生は、こう話を続けた。
「講義やテキストでの理解が難しいということではないのです。ただ、子どもたちは将来まず、自ら刑事事件を引き起こすことはないでしょう。しかし、巻き込まれたり、自分が裁判員になることはある。そこを想定して、体験すると、たしかに当事者意識が生まれます。考えるということは、論理的に考えるだけではなく、最終的には判断という自己決定が必要になります。その判断力は、さすがに机上ではできません。なぜ判断しなければならないか具体的な条件がないからです。」
馬場先生も、さらにこう語った。
「やはり自分が生きている時代の問題に直面する体験が、擬似的でも必要です。そこから、なぜ判断をしなければならないか、当事者意識が生まれます。考えるということは、課題を与えられるからではなく、課題があるから考えるわけですから。」
「考える」ということは、どうやら模擬裁判のベースになる学びのようだが、弁護士も感嘆していたように、東京女子学園の生徒は本当に考える姿勢が眩しい。その理由はなぜなのかと尋ねたところ、大谷先生からは、「中3の社会科では、生徒は、毎週のように関心のある新聞記事を切り抜き、要約と自分の考えをワークシートに書きます。私たちは、それを集めて、添削したりメッセジーを書き込んだりして、返却します。今年は、もう25回目になりますから、1年間ではそうとう考えるトレーニングになっているはずです。」という明快な回答があった。
なるほど、それでインタビューをした生徒の中に、世界の問題に関心があると回答した生徒がいたのだと合点がいった。
東京女子学園の模擬裁判の学びは、まずは講義で最小限の「知識」をレクチャーし、次に模擬裁判のシナリオを憶えた知識と知識をつなげて「理解」していく。そして実際に模擬裁判の体験にその理解したことを「応用」していく。さらに、論理的に事実を認定していく際には、有罪無罪に分かれて、徹底的に「分析」する。
最終的には、判決の主文とその理由として「統合」する。その「統合」の過程は、事実と条文の適合をするために、量刑を判断するわけだが、その量刑の選択判断は、条文にはきめ細かく書いてあるわけではないから、法感情にかなった法創造という「創造的思考力」を要する。
従来の大学入試勉強は、「知識」と「理解」の段階で充分だったが、2020年大学入試改革では、一点刻みの得点評価ではなく。どこまで深く思考し、判断し、表現するか、思考過程そのものを評価する予定になっているが、東京女子学園は20年以上も前から、そのような学びを構築してきたことになる。
時代が東京女子学園に追いついてきたということではあるまいか。