香里ヌヴェール学院 永遠の瞬間の授業

PBL型授業を本格的に開始した香里ヌヴェール学院。いわば共学一期生の中1、高1の授業は一斉にPBL型授業の花が満開という雰囲気だ。by 本間勇人 私立学校研究家
 
 
(上木先生の対話が開く永遠の瞬間)
 
 
しかし、いつの世にも、いつの領域にも極めるという達人がいるものだ。達人の授業とは自然体だし、気負わないし、それでいて内面のパッションとパワーの気はドラゴンの炎のごとき実体である。
 
フランク・ロイド・ライトは、岡倉天心の茶の本のタオの精神に、ハイデガーの住まう存在論も超える建築空間の境地に達していた。
 
ジョブスも禅の境地に目覚めていた。マズローも五段階欲求説を自ら超越する禅の世界を見てしまった。
 
松岡正剛がクリエイティブコーチングの本と共鳴するのは、やはりその精神が岡倉天心の茶の本に通じるところがあるからだった。
 
多次元知能にどうしても実存的才能を入れざるを得なかったハワード・ガードナーも禅の世界に魅力を感じざるを得なかった。
 
しかし、その刹那の境地は永遠の瞬間であって、普通は見えない。しかし、見える時がある。道/未知からの誘い。それである。
 
 
(ペアワーク。対話の瞬間を開く英語の古賀先生)
 
ふと中1や高1の授業ではなく、中2の上木先生の授業が見たくなった。となりの中1の部屋では、明るく元気な優れた英語の先生方がPIL×PBL型授業を行っていた。5時間目、6時間目だというのに、生徒は、疲れも知らず、言葉と音とイメージと意味とパフォーマンスのハーモニを奏でていた。
 
このような授業が6年間続けば、たしかにB2レベルの英語のスキルのみならず、英語でハイレベルの議論ができるC1レベルに到達するなあと感心しながらも、上木先生の中2の授業が気になった。
 
クラスに入ってみると、脳内世界がパッと広がった。まるでマトリックスの映画の中に迷い込んだかのようだった。自然体の対話からしなやかな言葉の行為が映し出されている。
 
 
比較のマトリックスがどんどん螺旋上に上昇して脳内にたちまち知のドラゴンが組立てらていく感じ。見開きの地図がマトリックスになって、そこに歴史、文化、自然、言語、理念のそれぞれのマトリックスが結びつき、立体を組み立てていくのだ。
 
その頂点からは、人間の歴史のアンビバレンツな出来事から生まれ出ずる不安や恐れがかなたに見えたかと思うと、見えなくなり、安らぎが訪れる。そこで、ハッと目が覚める。あっという間の授業。永遠の瞬間の中の知の出来事だった。
 
 
(休み時間の質問の瞬間も対話がふくらむ中1の英語の平田先生)
 
歴史の授業だったのだが、知識は生徒の周りをぐるぐる回り、必要な時に、引力で引きつけられるように結合していく。もはや生徒にとって、知識は憶えるものではなく、吸い込まれるように高密度の知の宇宙へと変容していく。
 
おそらく私たちが属している世界はリアルなのではなく、現象なのである。その現象の向こうに一瞬開いた永遠の世界。それが授業の究極の境地である。
 
所詮、PBL型授業は、上木先生の永遠の瞬間をプロジェクターで映し出している幻影にすぎないのではあるまいか。
 
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