聖学院の授業でコペルニクス的転回体験。

聖学院のSGT(スーパーグローバルティーチャー)は、日々研鑽を積み、その成果を分かち合う「学習する組織」をつくりあげている。教師はとにかく多忙であり、一堂に会することは難しい。にもかかわらず、体育祭終了後や定期テスト終了後などわずかな時間を工夫して、PBL(プロジェクト)型授業のリフレクションを協働して行っていく。

自分の授業をプレゼンしたあと、参加者みんなで徹底的に分析し、生徒が基礎学力を向上していくための「知のスキル」を洗い出していく。授業という具体的な体験を共有し、ワクワクするような授業のイメージをシェアする。そのあと、分析し、21教育企画部長児浦先生を中心として先生方が創っている「聖学院6か年一貫教育 状況目標」に照合し、聖学院としての授業の信頼性・正当性・妥当性を検証していく。by 本間勇人 私立学校研究家

(定期テスト終了後、2時間の自主研修を設定。あっという間に駆け抜けた。達成感と未来への手ごたえを感じているSGTの笑顔はすてきだ。)

リフレクションには、第三者の触媒機能があると、自分たちにとって、当たり前のことも、実は重要であったと気づくことがある。そこで、助っ人として私もときどき参加する機会を得る。

今回は、3つのプログラムが行われた。1つ目は、SGT自身が作成した「6か年一貫教育 状態目標」を深く共有し、その多様な目標を達成するために究極の「知のスキル」は何か対話した。この対話は「ダイアローグ」で、具体的なイメージを共通感覚に置き換え、最終的には統合ステージに飛翔するプログラム。聖学院のSGTは対話をしながら、眩暈を恐れずに、螺旋階段を一気に駆け上った。

聖学院の究極の「知のスキル」として、「内省」「協働」「統合」「取捨選択」などのキーワードが抽出され、それを言語化して共有していく過程は、共通の知の目標が、改めて目の前で明快になっていく心地よい雰囲気が広がった。

2つ目のプログラムは、伊藤豊先生の高3の国語の授業のリフレクションループ。伊藤先生が授業の物語を7分で語っている時に、同時に同僚の先生が、フローチャートをスクライブ(転記)し、再びそれを説明。そして、間髪を入れず、参加している先生方全員で、学びのスタイルのフローチャートや「知のスキル」の分析をワイワイガヤガヤ始める。

伊藤先生が自身の授業の物語を語って終わるのではなく、その授業について、「フローチャート」「学びのスタイル」「知のスキル」の3つの角度から、同僚の先生方が語る。授業見学をしていない先生方が、7分間の物語を聞いただけで、豊饒な言葉で語り合うことができるのは、互いを信頼しているSGTならではのワザで、同僚の言動に対するイマジネーションや互いのメンタルモデルを了解しているからだ。

なぜそんな了解が可能なのか?それは21世紀型教育について、すでに6年以上の歳月をかけて、語り合い、実践し、試行錯誤という共通体験を経てきたからだし、キリスト教主義の学校がゆえに「ダイアローグ」としての「対話」が学内にそもそも浸透しているからである。そして、その成果が、今年大学合格実績の飛躍にも結びついた。

確信、自信、納得・・・これらのマインドを共有し、決して驕ることなく、自己研鑽をし続けるSGT。生徒と共に、日々自己開示し、互いに対話し、自分の中の先入観や壁を突破していく授業を創出する泉として、この自主研修の場のチカラがある。

3つ目のプログラムは、日野田先生の高2の社会の授業のリフレクションループ。7分間の物語、スクライブ(転記)、学びのスタイル分析、知のスキル分析、状況目標によるエンパワーメントと一連の流れは、2回目のプログラムと同じで、リフレクションループが、ワイワイガヤガヤ進行した。

日野田先生の授業の特徴は、個人ワークとかディベート手法や対話を50分の授業の中にコンパクトに収めていることであるが、それがなぜできるのか?それは、憲法と聖学院の校則の葛藤をどのように統合するかという、創造的問題解決の問いの構造が青写真としてあるからである。まるで設計図に拠って建築物が建てられていくように授業デザインがなされているのである。

伊藤先生の授業の学びのスタイルは、個人ワークとディスカッション、エッセイライティングが中心で、日野田先生の授業とは異なるように見える。しかし、伊藤先生の授業も、美術作品と美術館の葛藤が問いとして明らかにされていき、最終的にそれを創造的問題解決していく対話がベースという点は共通している。

こうして、今回のプログラムのクライマックスは、やってきた。伊藤先生の綬長と日野田先生の授業の両方に共通する聖学院の「究極の知のスキル」は何かというディスカッションに到ったのである。

さて、それは何か?そこは大切な聖学院のソフトパワーなので、明かすことはできないが、その「究極の知のスキル」があるからこそ、毎回の授業で、生徒は、まるであのコペルニクス的転回を体験できるようなスリリングな授業に参加することができるのだ。

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