聖学院 PILとICT (了)

児浦良裕先生と本橋真紀子先生の数学 置き換え操作の構造
 
児浦先生は、高2の文系の生徒が選択している数学の授業を展開していた。二次関数と一次関数の関係から、二つの円の位置関係の学びに移行しているところだった。本橋先生は、高3で極限と三角関数の関係式について授業展開していた。
 
 
高2は、文→図→式の置き換え操作を行っていた。高3は、三角関数と極限の式の計算をしていたが、その際に、A/A=1という目に見えない式を挿入するという操作を行ってたいた。重要なのはAをどんな式に置き換えるのかという点である。
 
 
数学は、実にシンプルで置き換え操作という構造を自ら編み出していく学問であるようだ。そしてその構造を関数ないしは方程式と呼んでいる。
 
その関数の構造を文に置き換えたり、グラフや図に置き換えるのであるが、これはまったく英語や国語、社会のライティングと同じ思考である。
 
 
いや数学は他教科のメタ構造であり、どの教科もその時代の社会的無意識の関数構造を、メタファやグラフや図のモデルに変換しているに過ぎないのかもしれない。
 
いずれにしても、数学もまた次元の違いはあっても、「構造」の気づきということがポイントであった。したがって、その「構造」について、ピアインストラクションという議論によって。気づいていく「最近接発達領域」を可視化するディスカッションが行われていたのである。
 
 
今回4人の先生方の授業を見学したが、いずれもPILの講義だった。つまり「最近接発達領域」を活用した講義だった。4人の先生方は、「聖学院21世紀国際教育部」のメンバー。
 
このチームのメンバーは5人で、もう一人は技術や情報の内田先生。
 
ちょうど内田先生は、中学生のクラスで江戸の植栽の剪定の授業を行っていた。PILではなくPBLで、making by learningの授業だった。内田先生は、いつも高橋先生とレゴのPBLのプログラムを構想し・実践したり。生徒とレゴのマインドストームをパソコンで動かしている。
 
 
その内田先生が、植栽の剪定の授業をしているからこれまた驚いた。しかし、なぜ剪定をと生徒に尋ねると、「人工的なようなんですが、太陽光を受容する角度の構造がポイントなんですよ」と。
 
 
なんと、ここでも数理的・メタ認知構造を実感するプログラムが展開していたのである。
 
高2のポスト構造主義者は、今の社会は、まだまだ高校数学のレベルの関数構造で世界を捉えているだけだが、IT革命以降、フラクタルな関数構造に転換しているはずだと考えているに違いない。
 
そういえば、ヂュシャンやアンディー・ウォーホルのような現代芸術のルーツは、すでにトポロジー的でフラクタルだ。
 
その世界は、今ではコンピュータサイエンスによって、いとも簡単に描かれてしまう。そのプログラム関数は、おそらくポストモダニズムの次元なのだろう。
 
聖学院が、理数的世界と言語的世界の両方の教育を重視する本当の理由はそこにあるのだろう。21世紀国際教育部のチームが挑む世界はまさにリベラルアーツとしかいいようがない。
 
本橋先生のクラスが、体育祭終了後に撮った写真。なんてフラクタルなシーンなのであろう。さすが男子校。
 
 

 

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