文大杉並のダンス部パフォーマンスにもアートの精神はみなぎっていた。ダンスが身体による表現であることは言を俟たないとして、それが「感動」を生むアートになり得るのは、踊る者と観る者の創造的感応とでも言うべき空間が文大杉並に用意されているからである。
文大杉並のダンス部パフォーマンスが始まる前、保護者はもちろん、在校生が次々と集まってきた。出演を前に、ステージ脇で円陣を組むダンス部部員。そしてあこがれの部員に声援を送る在校生。さながら出演する者と観る者の共演とでも言うべき、音楽と熱狂に包まれるステージの開始である。
あこがれの先輩に対してなのか、クラスメートに対してなのか、誰に向けての声援かは分からないが、体育館に反響する音楽と歓声が、否応なしにパフォーマーの気分を高揚させる。踊る側だけがステージを創り上げているわけではないのである。
ダンスに限らず、生徒が底抜けに明るい。どの生徒もカメラを向けると、身構えることなく自然にポーズをつけてくれる。これは「素」のままでいても大丈夫だという安心感が生徒にあるということの証である。
この雰囲気は創造性を発揮する上でとても大切である。周囲を承認する空気が漂っているから、創造性が引き出されるのだ。
そういえば、 今回の薔薇祭のテーマは『「PARTY」~始まりの時間(トキ)~』であった。小冊子には、「楽しい」「華やか」「賑やか」なイメージとともに思い浮かべる、いわゆる「PARTY」の他に、「行動を共にする一団」という意味が強調され、クラスや部活といった単位を越えて、大きな「PARTY」を作り上げませんかとお客様に誘いかけている。
文大杉並において、アートは日常に彩りを加えるといった程度のものではない。一緒にいる者と協働してクリエイティビティを発揮する活動なのである。