Created on 6月 16, 2014
伊藤豊先生の国語の授業 ルービックとPIL
伊藤先生の高2の授業は、「家族化するペット」という評論文の読解の授業が展開されていた。
20世紀型の読解の授業だと、因果関係、対照的関係、抽象と具体の関係などを先生が分析するか、せいぜい教師と生徒の問答が展開されて終わるが、伊藤先生の授業はだいぶ違う。
まず、教科書の授業の前に3分間スピーチが行われる。生徒が自分でテーマを決めて、それについて3分間のプレゼンをする。
そして、そのプレゼンに対し、予め生徒と共有しておいたルーブリックスタイルの思考の新しい評価軸で伊藤先生が評価をして返す。スコアは付くけれど、それが目的ではなく、プレゼンの構造、インパクト、ストーリー性など次のハードルにいくためのランターンの光としての機能の方が大切だ。
考えるとは、表現するとは、パフォーマンスするとは、また、どの高さのハードルを飛び越えているのか、次はどこを飛ばなければならないのか、伊藤先生と生徒は対話ができるようになっている。もちろん、対面の時もあるが、生徒が自問自答の中でロールプレイするヴァーチャルリアリティの場合もある。
ここで極めて重要なのは、PILの協働者が、生徒どうしだけではなく、生徒と著者という関係を持ち込んでいるということなのである。
3分間スピーチとルーブリックの体験を通して、文章の構造を自ら組み立てる意識が明快になっているから、生徒はその構造と作者の文章の構造を比較検討しながら理解できるのである。
あるいは比較できるから読解ができると言った方が良いかもしれない。すると、生徒と作者の文章の構造は同じであるかどうか、あるいは柔軟に自分の構造を組み替え、作者の構造に適用できるかどうかがカギになる。
それでは、この構造のマッチングはいかにして可能なのか?
1) ルーブリックで、文章の「構造」を認識するようになっている。
2) 作者の引用しているマテリアルを自分はどう読み解くか、そのストーリーをまず考える。
3) チームになって、パーソナルな考えや感じたことを情報交換する。
4) その上で、作者の文章を分析する。
5) 友人同士、作者と自分などの構造のズレを認識する。
このような過程が授業の中に埋め込まれているのである。
伊藤先生は、電子黒板を活用しているが、これによって板書の時間を節約できる。その分でピアインストラクションの時間を生み出すことができる。
しかし、何より重要なのは、これは英語の高橋先生と同じであるが、データベースの役割を果たしているということである。
クラスのメンバーの過去の考え方や先輩たちの考え方をたどることができる。「最近接発達領域」が、時空も超えて広がるのである。ただし、「最近接発達領域」の理解は、つねに領域を越境される体験であることが最も重要である。
この越境が、理解を適用にシフトし、適用をメタ認知に昇華させる。このとき、テキストの背景の時代の構造に到達する。あらゆるマテリアルは、時代時代の共通構造を有している。そして歴史を画すとか、パラダイムが転換するとかいう話は、その時代の構造そのものが変容するときのことを示唆する。
高2の生徒の中には、このテキストはまだ構造主義的パラダイムで、あるいは存在論的構造で、ポスト構造主義のパラダイムにシフトしていないことを語ってくれた。
もっとも、その時代の流れがなぜおこるか、またそれは止める必要があるのかないのかなどの議論は、これからだという。