文化学園大学杉並 世界とつながるダブルディプロマ

文化学園大学杉並(文杉)は、2018年度から共学になることが決まり、コースも再編されます。カナダのブリティッシュコロンビア州(BC州)の統一試験資格が取得できるダブルディプロマコース(DDコース)は中学2年生からに前倒しされ、特進コースは英語4技能や大学入試「新テスト」に対応する内容に変わります。「感動の教育」のスピリットはそのままに、文杉の特長をより多様な角度から打ち出しました。今回の取材では、DDコースの深化について取り上げます。 by 鈴木裕之:海外帰国生教育研究家

 
ダブルディプロマコースを立ち上げの時から育ててきた教頭の青井靜男先生は、ここにきてDDコースの反響にかなりの手ごたえを感じているとのことでした。国内の受験生はもちろん、海外帰国生や日本国籍以外の生徒保護者からの問い合わせが増え、さらに大学からも高大接続に関するオファーが次々と舞い込んできているようです。
 
当然DDコースの生徒が想定する進路は、国内に限定されません。国内だけで考えれば言わば「憧れ」の大学を押さえにしつつ、海外大学への進路も視野に入ってくるわけですから、グローバル高大接続のモデル校として先頭を走っている学校だと言えるでしょう。
 
実際、DDコースに在籍している生徒は世界を舞台に活躍できる実力を確実に育てています。2年前に入学した生徒が、1年半ほど経過してから受けたBC州のテストでは、カナダの現地で学んでいる生徒と互角以上の成績を残し、高2の終わりには、7割の生徒がすでにCEFR基準でB2以上(英検準1級相当)の英語力を持っているのです。
 
しかし、DDコースの生徒たちは英検やTOEFL・IELTSといった英語の資格取得ばかりを目指して勉強しているわけではありません。むしろそういう英語資格をはるかに超えるインパクトを持っているのが「ダブルディプロマ」なのです。
 
 
DDコースの校長ダン・マイルズ先生は、「BC州のディプロマを持てるのに、なぜTOFELやIELTSを受験する必要がありますか、英語資格を取得する必要などは本来ありません。なぜなら、BC州のディプロマを持っていることは、すでに十分な英語力を持っていることの証明であり、英語ができることは自明なことだからです」とDDコースのカリキュラムに自信を覗かせます。
 
BC州の統一試験資格はドッグウッド・ディプロマと呼ばれるもので、国際バカロレアのディプロマと同様、世界中の大学への入学パスポートです。一回のテストで成績が決まるのではなく、高校時代を通した学びの評価と最終試験の結果によって、ディプロマが付与されます。BC州の教育省のホームページには、そのカリキュラムの理論的背景が書かれていますが、国際バカロレアのカリキュラムなどの優れた点を採り入れつつ、随所に21世紀型教育の考え方を反映した内容のものです。
 
ダン先生のお話でも、ブルームのタキソノミーやガードナーの多重知能理論の話がぽんぽんと飛び出してきます。しかし、本当に凄いのは、理論だけが語られるのではなく、すぐにその実践を教室で見せてくれるところです。
 
 
例えばChemistry(化学)の授業では、原子や元素記号の復習をしていたのですが、生徒たちはイラストを書いていました。元素記号をキャラクターに結び付けたり、ストーリーを組み立て、周期表と関連させたりしていたのです。ざっと教室を見渡すだけだと、美術の時間かと勘違いするほどです。こういう授業の進め方などは、語りやメタファーの機能を学びに採り入れたもので、生徒の学びのスタイルが多様であることに配慮しているのでしょう。
 
どの教室を覗いても、先生方が生徒の強みにフォーカスしていることが伝わってきます。才能の領域は生徒一人一人によって異なることが当然のごとく了解されているわけです。それが生徒の自己肯定感を育み、生徒主体の学び(=student-centered learning)を形成しています。

ダン先生によれば、DDコースには4つのルールがあるということです。
 
1.I can do it (私はできる)
2.It's okay to make mistakes (間違えてもいい)
3.It's okay to say “I don't understand” (わからなくてもいい)
4.Someone's always there to help (助けてくれる誰かはいつもそばにいる)
 
以前に伺った時には気づかなかったのですが、これらのル-ルこそ、生徒主体の学びを実践するための「Constitution」ではないかとハッとさせられました。つまり、これらのルールは、先生の側から生徒に押し付けるルールなのではなく、生徒の立場から考えた、権利としてのルールです。こういったところにも「生徒主体の学び(=student-centered learning)」がお題目で終らないような仕組みが機能しているのだと、改めて生徒のことを考える先生方の意識の高さに気づかされました。
 
 
それにしても生徒たちは、欧米の分厚い教科書を前にひるむことはないのでしょうか。実際、教科書は、隅から隅まで網羅するにはあまりにも大部です。しかも、それを英語で理解しなければならないとしたら‥‥生徒が圧倒されてしまうことは想像に難くありません。しかし、それも杞憂でした。これらの教材からどこをどう学ぶかは生徒主体に決められるものなのです。  
 
目次を読み、索引から用語を調べ、リファレンスブックにあたり…、といったスタディスキルやアカデミックスキルは確実に身につくことでしょう。さらに、グル-プでテ-マやトピックを決め、そこを深く掘り下げていくことで協働的な学びが実践されます。調べたことはプレゼンテーションやレポ-トとして発表していくので、表現力は当然向上していきます。
 
分厚い教科書に恐れを持つとしたら、それはすべて覚えなくてはいけない、すべて理解しなくてはいけないという固定観念がそうさせているに過ぎないのです。DDコースの生徒たちにとって教科書は参照すべきものという意味では、インターネットを検索することと大きな違いはないわけです。そうやって調べたことは、仲間との対話のプロセスを経て、学びの螺旋階段を上がっていくのです。
 
 
さらに特筆すべきことは、ICTの活用の仕方です。教室で使用するマテリアルはEdmodoを通じて家庭からもアクセスでき、動画で授業の予習をして学校で議論をするといった反転学習がすでに当たり前のように行われています。
 
生徒たちもみなノートパソコンを持っていますが、教室では机の上に置かれていることが多く、むしろ議論に集中しています。議論の中で調べる必要が出てくると誰かがノートパソコンを開いて調べ始め、他の二人が画面を覗き込みながら、再び英語での対話・議論が始まるのです。
 
こういった授業における先生の役割がまた興味深いものでした。どのグループにでもすぐに入って対話を始めるダン先生のエンパワーメントの力は別格としても、先生はみな一つ一つのグループを順番に回り、対話に参加していくのです。課題はグループによって異なりますし、進め方もそれぞれ異なります。先生はそれぞれのグループの進捗を尋ねながら、質問したり自分の考えを述べたりします。それは予定調和的なゴールに導いていこうなどといったものではなく、生徒の問いを誘発する存在です。そこから生徒に湧き起こった問いが検索エンジンで探索され、いつしかレポートやプレゼンテーションシートで編集されていくことになるのです。
 
ICTに何をさせたいのかということが明確にデザインされ、対話に意識がフォーカスされたとき、それぞれの生徒に問いが生まれ、創造的思考力が羽ばたいていくのです。貴重な瞬間に立ち会った思いでした。

このDDコースでの授業実践は、今年ますます文杉全体に広がっていくことでしょう。他の日本人の先生方と気さくに挨拶を交わしながら廊下を歩くダン先生は、文杉の一員として完全に溶け込んでいました。

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