富士見丘 知識の体系化が自己理解へ(2)

事実や資料、データを実際に確かめて感じる体験が、自分の判断や見方を形づくる

(サタディ―プログラムで行われている「自主研究5×2」のプレゼンシーン)

――「知識をつないで体系化」していく、「合理的な考え方」を身につけていくというお話がでていますが、それは授業だけで十分にできるのではないかと思いますが、それ以上に特別なプログラムが必要なのはなぜですか?

中島先生:もし授業だけで行うと、おそらく壁にぶつかりますね。「レディジャスティス」も、様々な見方を知るという意味ではかなり踏み込めているとは思いますが、知識を結びつけるヒントを知るところまでですね。しかし、大事なことは、生徒自身が、生活の中の問題にいかに結び付けられるかということです。

先日税務署の方に講演をしていただいたのですが、富士見丘の生徒が、「日本の財政赤字とギリシアの赤字は同じですか、税務署の立場から見て教えてください」という質問がでました。税務署の方は後日調べて回答しますという真摯な姿勢を示してくれました。このようなやりとりが生まれたことは、日頃の授業の1つの成果であると思っています。

体系化した知識を、他の国や違う時代に適応して、何が同じで違うのか考える。そのうえで、現代の自分たちの生きている社会について「合理的に判断」していくという実践が開かれたわけです。授業だけではなく、外の方々と協調することによって、授業の壁の存在も明らかになりますし、その壁を越える手だても見つかります。

関根先生:その話は、現代社会だけではなく、日本史の授業でも同じです。江戸時代の財政政策である「出目」について学んでいるときに、どんどん金と銀の比率を変える「改鋳」を繰り返す政策は、どこか今の日本の財政政策と共通するところがあると気づきます。

もちろん、政策は全く同じわけではないのですが、生徒にとって、経済の原理という、人間の経済生活とは何かという根本的なことを考えるヒントになりますね。具体的な貨幣制度は違いますが、利益をどのように得るのかその原理は変わりません。そこまで行きつくと、利益の生み方によっては、危うさがあるということは歴史に学べるのです。

 

――「知識をつなぐ体系化」や「合理的な考え方」を、授業から外に出て活用する機会も積極的に必要だということですね。その機会の1つが、たとえばサンデープログラムの「自主研究5×2」などの学びということでしょうか。 

(※富士見丘では「学校6日制・授業5日制」を採用。土曜日を“Flex5×2”の日として位置づけ、さまざまなプログラムを用意している。中学1年生から高校2 年生まで継続して行う独自の自主研究カリキュラム。研究テーマはどんなジャンルでもまったく自由。興味あること、関心を持っていることにテーマをすえて、毎回の研究企画と実施記録を担任に提出。その後アドバイスを受けながら、資料調べや取材を行ったり、また時には作品制作まで活動を広げて、レポートをまとめ上げる。)

関根先生:そうだと思います。たとえば、奈良時代の建築について学びたいという関心を持った生徒がいるとします。教科書や本で学べますが、実際に奈良を訪れて歴史的な建造物を見に行くとういう体験の部分は授業ではできません。

たしかに、建造物が建てられた当時の環境とは違っていますから、まったく同じ条件で見ることはできません。しかし、実際に確かめると、文献で学んだ事実や客観的なデータも自分の感性にしたがって見方や読み方が変わります。

資料を読むときに、大事なことは、このテキストクリティークという史料批判の手法です。書いてあるものをそのまま信じるのではなく、その資料がどのような目的で書かれたのか、どのような歴史的諸条件があったのかなど調べていきます。

実際にその資料が書かれている現場にも行ってみます。すると、その資料自体は客観的なものでも、それを見る人の感性によってとらえ方は違います。「歴史観」という言葉があるのはそういう意味です。

自分の興味のあることを自分で調べて考えることによって、従来の見方を再構築することまでできるのです。そこまでしなければ、たんにコピーして貼り付ければよいということになってしまいます。

中島先生:そこは大事な点ですね。私は「自主研究5×2」と月曜日から金曜日までの授業の大きな違いは、汗をかくか汗をかかないかだと思います。汗をかく学びというのは、失敗も多いのです。現地に行ってみたら予想通りのものはなかったということなんかは、いっぱいあります。それゆえ、そのテーマの探究をやめてしまうというケースもあります。

それはそれでよいわけです。生徒に失敗から学ぶことができるチャンスがあるのが「5×2」です。自分の目で見て汗をかかなければ、関根先生も言っているように、自分の考えをつくったり、どんな状況でも自分で提案できるというようにならないのですね。

もし授業だけで、知識の体系化と合理的判断を身につけたとしても、さらに実際に事実やデータを確かめないと立派な評論までは書けても、提案まではできないでしょう。

大島先生:お二人の話を聞いていて、月曜日から金曜日の授業がいかに重要か、逆照射されたように思えます。自分の興味・関心あることから出発する「自主研究5×2」で、大事なのは、実際に見たときに、データや資料の読み方が変わる。しかも必ずしも簡単に読み方を組み立てるとはならない。失敗もあるし果敢に挑戦することもある。

しかし、大事なことは、その感じ方や感性、「歴史観」の「観」の部分が、独りよがりにならないということがなければ、このサタデープログラムは成り立たない。

では、その「感性」「感じ方」「観」というのはどこを土台にするのかというと、やはり授業の中で「知識をつなげて体系化」したり「合理的な考え方」をしっかり学んだりすることなのだということです。

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