第1回 21会Webダ・ビンチセミナー (3)

「体験・興味関心・共通感覚・気づき・一般化」それぞれの場面での問いかけ

本橋先生:キャラクターや縦と横の比の違うモナリザの絵から好きなものを選ぶという「問題場面の設定」のお話をさせて頂いてきたのですが、すでに菅原先生もおっしゃっていましたが、このいわば「選好」には、なんらかの原理があるかもしれないという一般化に挑戦するステージにはいります。

もちろん、ここでは美学の選好理論などというようなものは想定していません。ただ、クリッカーで情報を集めると、偏りがグラフに映し出されます。一人ひとりが選んだはずなのに、偏りがでるのは不思議です。

クリッカーの機能は、この個人の想いをすぐに選好の傾向に転換する時に便利です。いったいどうしてこうなったのか、話し合わせると、ハーバード大学のマズール教授のピアインストラクションになるのですが、今回はマズール教授のクリッカーの使用方法の部分をお借りしました。

傾向が見られたら、それをどう解明するか?観察はしてみましたから、生徒たちがすぐにできることは、測定と計算です。4枚のモナリザの絵の横と縦の長さを測定して、比の計算をするステージに移りました。ここから「新たな問いの探究」に入ります。

計算をするときは電卓を使ってもらいました。というのも、モナリザの絵だけではなく、ミロのビーナスや凱旋門、ノート、見返り美人の写真などもどんどん測定して比をだしてもらいたかったので、計算の筆算は目的でなかったからです。

クリッカーも手を上げさせるとできるのですが、それからグラフを描いていたのでは、時間がかかります。目的はその作業ではないのですから、道具は目的に応じて使ったり使わなかったりが肝心です。これはおそらく電子ボードやタブレットの道具も同じでしょう。物質化されていませんが、筆算もそれら道具の一つですね。

大島先生:ここでやっと黄金比と白銀比がでてくるわけだね。具体的には違う物を測定してみて、比を出すとカテゴライズされるということになる。そこに気づくかどうかということかな。

本橋先生:それも考えましたが、今回は黄金比や白銀比そのものを学ぶのではなく、中学受験生の「思考力テスト」の対策講座ということもあり、「考えることについて考えるコト(thinking about thinking)」そのものが目的だったので、黄金比と白銀比も道具としてあっさり提示しました。

今まさに大島先生がおっしゃったことを考えるコトができることが大切であるということですね。具体的には違う物でも、比を計算すると実はある傾向がでてくるという体験です。

有山先生:私は、一般化という言葉より抽象化とう言葉をつかって、思考力セミナーのプログラムを編集していきますが、その際大切なのは「比較」「カテゴライズ」「因果関係」という「思考のテクニック」です。

大島先生:そうかそうか。計算させることで終わらずに、それを比較やカテゴライズに結びつけることによって、はじめて一般化できるという体験。

すると、黄金比や白銀比のような偏りがでるのはなぜかとか、今回西欧の美の写真と日本の美の写真を多く集めたというのは、文化による美の違いがなぜあるのかということを考えてもらおうということかな。

菅原先生:いやいや急いではいけませんと本橋先生が言っていますよ(笑)。私たち教師は、すぐに課題を生徒に投げかけようとします。それが問答だと思ってしまっているかもしれません。

実はその課題こそ、つまり大島先生がおっしゃったなぜなのかという課題こそ、生徒自身が「立ち上げる問い」なのですね。私たちはどうしても先回りしてしまう。課題を提示して、それを生徒が考えるコトが思考だと思っています。

それもたしかに思考ですが、課題そのものを設定するコトも考えるというところからスタートするのが21世紀型の思考ですね。「課題について考えるコト」だけではなく「考えることについて考えるコト」と言うのはそういうことですね。

本橋先生:そうだと思っています。実際100字要約では、大島先生のおっしゃった問題を立ち上げた生徒がたくさんいました。

伊藤先生:問いかけをするといっても、疑問文であればなんでもよいというわけではないわけですね。生徒自身が「問いを立ち上げる」ための「問題場面の設定」で発する問いは、「思考のテクニック」に即していますから、課題を提示して、その解き方を問答するときの問いのテクニックと見た目は同じになります。ですから課題設定からの思考が思考力だと思いがちです。まさに頭のフェイントですね。

有山先生:問いかけは、「問題場面の設定」で投げられるのか、「問いの立ち上げ」で投げかけるのか、「思考のテクニック」そのものを問うために投げかけるのか、同じように見えて違うということでしょう。

大島先生:そして、生徒自身が自問自答するときの「問い」。これができるようになるにはいかにして可能か。いよいよ評価としての問いにはいる。正月にじっくり考えてみようと思います。有山先生も今日の私たちの対話を、またもとめてもらえますね。「21会論叢」でまた共有しましょう。

有山先生:はい。まとめることによって気づきも生まれてきますから、期待していてください。 (→「21会論叢:「思考力テストに埋め込まれた学習理論ver.02」)

本橋先生:今日は受験生の「思考力テスト」の対策講座としての「思考力セミナー」についてでしたから、「問いの立ち上げ」までの問いにこだわってみました。

一般入試ももちろん課題を提示して考える問題であることは以前からかわりません。入学後は、授業ではそこが中心になります。またプロジェクト学習では、やはり「問いの立ち上げ」が肝要になります。

しかし、課題を与えられたとしても、なぜその課題なのかと自分なりに受けとめることはモチベーションに影響します。ですからこのような「問いのとらえ返し」も「問いの立ち上げ」の別バーションなのではないかなと考えているところです。

伊藤先生:たしかに私たちの身の回りのものは、所与として与えられているものばかりです。能動的になりなさいと言っただけでは、なかなかアクティブにはなれません。所与のものが自分にとって他者にとってどんな意味があるのか捉えかえす自問自答ができるかどうかは大事ですね。

菅原先生:その与えられたものをどのように受け入れるのか。そこからすべては始まります。どうやら再びスタート地点にもどってきたしまった感じですね。

大島先生:それでは、続きは知の饗宴でということになるかな(笑)。

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