かえつ有明 石川副校長の勝利の方程式(2)

――「思考力テスト」は「サイエンス科」のプログラムに関係していると思いますが、入試問題は学校の顔であるという意味以上に何かあるような感じがしますが、もしあるとするならばそれは何でしょうか?

石川先生:たしかに入試問題は学校の顔という意味は大いにあります。教科の授業に対し、国語、算数、理科、社会の入試問題があるように、全教科を横断する知のベースとして「思考力」を育成する「サイエンス科」の授業に対し、「思考力テスト」があるという位置づけは本校独自の考え方でもあると思います。

問題は、学校の顔としての表情がわきでてくる深層ですね。そこの意味や価値が大切です。「思考力テスト」は、本校の教育における「思考力」のフォームそのものです。モデルといったほうがわかり易いかもしれません。生徒が考えるとはどういうことか、それをモデルとして可視化しています。

思考力テストは、独自の問題設定でもありますから――もちろん、独自と言っても独りよがりではなく、世界標準のモノサシをリサーチして独自のものにしています――、いきなり入試でというのは、他の教科との公平性を欠きます。教科の入試対策は塾で行っていますが、「思考力テスト」の対策は行っていませんよね。そこで、学校説明会のたびに、「思考力テスト」の対策講座を私たちが実施しています。

毎回、サイエンス科を担当している教員が、チームを組んで対策講座のプログラムを組み立てます。この作業は、ふだんのサイエンス科のプログラムのエッセンスを振り返るブレストの機会になっています。参加者が増えれば、それは自分たちのプログラムに魅力があることになりますから、モチベーションもアップします。

何より、若き教師たちが、自分たちの教育の論理そのものが生徒募集につながっているという実感を持てる場にもなっています。募集のための特別なプログラムを創るのではなく、ふだんの授業そのものの質で市場の支持を得られるかどうかリスクテークする。これぞ経営の倫理というものだと思っています。

――ビジョンの共有、思考のモデルの共有、そして教師1人ひとりのスキルの自己トレーニングというものが日常化しているということですね。

石川先生:それが学習する組織だと思います。そしてこの共有というのが、同調圧力や半ば押し付けであっては元の木阿弥です。やはり常にブレストができるコミュニケーションの環境をプロデュースしなくてはなりません。ここは油断すると、気づいた時には、石化してしまっているときがあります。そのとき、元に戻すのは容易ではありません。

イノベーションとかクリエイティビティとかは、このブレスト的なコミュニケーションを、忙しいからと言って避けるようにならないことですね。IBのTOK(Theory of Knowledge)という手法や欧米の哲学授業、つまりリベラルアーツは、まさにこのブレスト的コミュニケーションの恒常化をもたらしていると思います。

日本の教育にはない文化ですから、グローバル教育を行っていくときに、ここをさらに強化していく必要があると感じています。

――それは「思考力テスト」の内容や「サイエンス科」のプログラムをさらに進化させるという意味でしょうか?

石川先生:それもありますが、もっと言うなら、ソフトパワーの強化へシフトするということですね。ハードパワーももちろん必要です。学びの空間とか、ICTとか、先ほども話しましたグラフィックオーガナイザーのようなワークシートとか、いったん見える化・可視化したものは、ソフトパワーの発露として大きなサポートになります。

しかし、補助輪はやがて外す時が来ます。守破離というリズムは創設者の想いでもあります。どこかでハードパワーを乗り越える豊かなソフトパワーが必要になります。

 

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