プロデュースからプロジェクトへ
――ソフトパワーの強化というのは、学校の発想としては興味深いお話ですね。学校教育の内容については、なんだかんだと言っても学習指導要領に規定されているわけですから、さらにソフトパワーを注ぐという発想にはなりにくいと思うのですが、どう理解すればよいのでしょうか?
石川先生:学習指導要領に規定されているという意味をとらえ返すということです。ソフトパワーへシフトというのは、学習指導要領の規定を突破するということではないのです。学習指導要領は、ある意味覚えなければならない知識は充実していて、その配列がきちんと整理されています。
ですから、それ以上何か教え込もうなどという意味での教育の内容を充実、いや詰め込もうとする考えはないのです。水と酸素のそれぞれの分子が化合すると全く別の水という物質ができます。このケミストリーを生むことをソフトパワーと理解しています。
そして、このケミストリーは、いくら教員が仲間内で生み出しても意味はないのです。生徒自身がケミストリーを生み出さなければ。当たり前のようで、意外と学校の仲間や教育関係者、教育行政関係者と話していても、この話題にはならないのですね。
私は、思考力テストの対策講座と卒業生と話しているうちにそのことを強く感じています。対策講座は、本当に受験生たちが真剣に正解が一つでないことについて、考えて考えて考え抜きます。その様子を見ていて、今ここで、この子たちの頭の中で生まれている渦が、6年間で、どのくらい大きなトルネードになるのかわくわくします。
そして今年でかえつ有明を巣立つ卒業生は3期目になりますが、たしかに6年前のあの受験生が、こんなにも大きくなったのかという実感をもっています。昨年はやくも早稲田大学の国際教養学部のAO入試で合格した中川さんと話していたら、なんと大きなケミストリーが起きていることかと感銘を受けました。
哲学のおもしろさは、普段あたりまえだ、常識だと考えているようなことを、様々な方法で解析し、新たな見方で見られるようにしてくれるところにあると私は考えます。マイケル・サンデル氏の正義についてや、ケリー・マクゴニガル氏の意志力についてのお話も、わたしたちが普段、“当たり前のこと”としてとらえているものを少し別の見方で、内容を掘り下げているだけなのです。物事を多面的見られたり、感じとったりすることができるようになれば、生活を豊かにすると思うし、視野が広がってもっと周りを思いやれるようになると思います。だから 私は哲学というものに魅力を感じました。
宗教においては、宗教そのものよりも、宗教の持つ力というものに興味を持ちました。大多数の日本人は、誰が何を信仰しているか、どこに参拝に行くかなど特別意識していません。かくいう私もどうしても困ったときに神頼みする以外は、神のことについて考えないですしね。でも、アメリカでは学校でも、家でも“God”という単語を聞かない日はありませんでした。ホストファミリーがキリスト教信者だったので、毎週日曜日には教会へ行きました。最初、行く前までは、神父さんが聖書について語るのを黙って聞いているだけだろうと思っていたのですが、実際は歌を歌ったり、教会主催イベントの企画の話をしたりなど、楽しく盛り上がるものでした。実際に 参加して何よりも素晴らしいと感じたのは、そこに集まる信者さんたちの一体感でした。日曜日まで、今までコミュニケーションをとったことのない人でも、自然と打ち解けられる、そんな雰囲気をもつ教会、宗教の力に感動しました。宗教はシリアやアフリカ、トルコなどの問題で、悪いものという印象をもつ人も多いですが、人と人をつなげる力を持っています。大学で学んでいく中で、その神秘についてもう少し詳しく理解していけたらなと思っています。