順天 世界標準の国際教育(3)

ジャッジをシェアするⅡ

レシテーションコンテストもスピーチコンテストも、審査するメンバーはネイティブスピーカーを中心とする教師陣。このジャッジチームは、たしかに議論を尽くし、基準を精査していく。しかし、どうもそれだけではない。それが一体何か。それはMr. Ryan Judeの講評を聞いた時に気づき、表彰式の時に明らかになった。

Mr. Ryan Judeは、演者1人ひとりの優れた点を評し、「レシテーションコンテストで、私は時代を動かした言葉を聞いた、そしてスピーチコンテストで、未来を動かす言葉を聞いた。みなさんの言葉は、私のハートをゆるがした。ありがとう」と締めくくった。会場は拍手で満たされた。

中原先生は、Mr. Ryan Judeのスピーチを称えた。そのとき、これが、中原先生のジャッジの視点だったのかと。つまり、スピーチのロールモデルは、きちんと順天の教師陣にあるのだとほのめかしたのではないかと思った。

しかし、それは一面の真理であることが、表彰式の時に明らかになった。それぞれのコンテストでウィナーがステージに呼ばれたとき、聴衆者である同級生たちの拍手の質が違った。今までは、がんばったねという意味の拍手だったが、ここでは心から称えている息吹が加わっていた。

その様子をみて、中原先生は「案外と適切なジャッジになりました」とつぶやいた。

このとき、やっと腑に落ちた。聴衆側の同級生も、ここまで来るのに、競争してきたのだった。だから、自分の努力と足りないところの違いが、つまり、ジャッジの視点を身に染みてわかっていたのだ。真剣に取り組めば取り組むほど、中原先生と同じようにジャッジの繊細な基準をシェアしてきたのだ。だから、友人が、そこをクリアして勝利したことに、心の底から称えることができたのだ。

ジャッジの視点の一覧がなんであるか、私には相変わらずわからなかったが、確信したのは、教師と生徒が、その評価の一覧表をシェアしているということである。クリアすべき各ステージは了解されていて、その一覧表にしたがって、最高のステージに立って、自分たちのロールモデルとなった友人たちがいることにどよめき、称賛のエールを贈れたのである。

中原先生の適切なジャッジという言葉には、教師と生徒が信頼性と正当性と妥当性のあるジャッジの感性を共有できた。その平衡状態にいきついたのだということだったのだろう。

長塚校長が、総評の中で、本校には70名の帰国生がいると語ったとき、会場はまたもどよめいた。そんなにいるのかと、改めて国際性豊かな環境があるから今日のコンテストがあるのかということを実感した様子だった。そのどよめきが収まるのを見計らって、長塚校長は、公平性を考慮して、帰国生はコンテストには参加していないが、司会や運営、審査員の評価の集計の手伝いなどを行っていたと。グローバルリーダーには、フォロワーシップも重要であることを伝えた。

レシテーションコンテストについては、こんなエピソードを語った。同時通訳の草分けで、文化人類学の学者でもある國弘正雄先生の話だった。國弘先生は、同時通訳のレベルの英語力を身につけるのは難しくない、中学の英語の教科書を500回暗唱し、500回書けば、誰でも英語は、自然に身体の中から出てくるのだと。

これは、生徒全員に、与えられた英文でも、いかに独創的にそれでいて伝わるように語れるようになるか、その実現可能性を創意工夫しようということだろう。國弘先生は、学生時代から順天で英語のアシスタントをし、長く教育顧問をしてくれていたという。レシテーションコンテストの正統な遺伝子を引き継いでいることも語られた。

スピーチコンテストについては、こんなエピソードが語られた。先日、1年生サイエンスクラスは、特別講義で、東京医科歯科大学の木下教授のPBL(プロジェクト型学習)を受けた。PBLとは、問題を解決すための方法で、課題についてリサーチして、チームでディスカッションして、自分たちのアイデアをプレゼンするという学びの場。

木下教授は、このPBLを今回は日本語で行ったが、いずれ英語でやってほしい。医療は、グローバルな協働によって行われるようになった。英語で医療研究や技術を議論しなければならない時代であると。

そして、長塚校長は、独創性は重要であるが、それをいかに実現可能にして現場で役立てることができるか、そのための英語の力を身につけて欲しい。そのために、本校は、木下教授が言うようにPBL型学習を英語でも取り組みたい。タイをはじめとするアジアの海外研修などでも大いに挑戦してようと、今日の成果を明日の糧にすることを高校生とシェアして幕を閉じた。

 
 

 

 

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