聖パウロ学園 グローバル教育の原点へ(2)

調べ学習は、目の前に驚きの成果を広げた。フィレンツェ関連の知識が世界史の教科書を超えて、次々とリンクして広がっていったからでもあるが、それ以上に探求の精神の喜びがあったからである。

つまり、エニグマを見つけ、その解に行きつく過程を共有するというメンタルモデルをシェアする場であったということ。しかもそのエニグマは近代とキリスト教の謎めいた関係性に行きつくのである。ダビンチコードの旅さながらだったのである。

プレゼンは、1つのパターンで行われた。しかし、プレゼンテーターは同じシナリオで進んでいるように見えて、実は多様だった。

大枠は、「クイズ→説明→解答」という流れだったが、本位はクイズにはなかった。説明にこそ、生徒1人ひとりの本領発揮があった。時代順に説明していくパターン、カテゴライズしながら論を展開していくタイプ、1つの作品にフォーカスしていくタイプなど、共通のフォームの中で創意工夫がされていて実にスリリング。

耳を傾けている側も、息を飲みながら真剣に聴いていた。

それにしても、ルネサンスとは何か?という問いかけは強烈だった。そこから広がっていった生徒1人ひとりのプレゼンそのものが、近代市民の再生の発露そのものだったから、強烈だったのである。

メディチ家の活躍は、現在の金融市場の基礎であることまで了解できた。なるほど、近代誕生の原点がそこにはある。

レオナルド・ダ・ビンチの「受胎告知」は、たしかにキリスト教の話であるが、近代誕生の暗示もある。なにより天使ガブリエルの指先に注目してピースサインだという気づきをプレゼン。ぐっと、私たちの生活に近づいた瞬間だった。

ミケランジェロのダヴィデ像の瞳の形にも注目した生徒がいた。なるほどハートである。循環系のエンジンは近代の発想の原点である。

ダビンチのアンギアーリの戦いに秘められた謎もおもしろかった。「Cerca Trova ー 探せよ、さらば見つかる 」という聖書の言葉だが、その言葉を探すのがなかなか難しい。謎を探したら、そこに謎があったというダビンチ一流のパラドクス。近代の象徴は常にパラドクスの問題解決であるが、そのメタファーに気づいたプレゼンだった。

ギベルティの作品が、ミケランジェロに影響したという発見もおもしろい。ダビンチにしてもミケランジェロにしても人間の復活を、キリスト教をテコに全く違う地平を目指したというプレゼンに満ちていたが、この学びは、カトリック校聖パウロ学園だからできるプログラムだろう。

高校生で、ルネサンス期のイタリアについて、これだけ知っている生徒は他にいるだろうか?今日のヨーロッパの若者は、もはやキリスト教の信仰に篤くはない。それは日本の若者の宗教離れと同じである。

しかし、そのような精神が無意識のうちに価値観の型を形成していることも否定できない。グローバルな社会で、お互いを理解していくことが大切だとしても、互いに文化の根源である無意識に迫る学びがなければ、コミュニケーションも表面的になるし、信頼関係の絆も太くできないだろう。

平和問題や人権問題などグローバルイシューを世界の人々と共に乗り越える時、互いの深層構造に横たわる価値観を尊重し合うことが重要であるということに気づける貴重な人材がこの学園で育っているのである。

 

 

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