ICT

三田国際 未来を拓く「基礎ゼミナール」

三田国際学園中学校・高等学校(以降「三田国際」)の本科では、中2から週2時間「基礎ゼミナール」を実施している。「経営」「理論物理」「アプリ制作」「遺伝子工学」「細菌学」「言語記号論」というような学問的な背景が横たわっている探究テーマをPBLスタイルで研究していく。

今回、田中潤教頭の「経営」をテーマにした基礎ゼミナールの様子を拝見した。by 本間勇人 私立学校研究家

(文化祭という擬似市場で商品を販売する株式会社を創業する起業家プログラム。中3に社長・副社長がいて、中2・中3と協働して株式会社を運営していく。田中先生はコンサルタントさながら。)

1時間目、中3は、組織論やマーケティング理論をみっちり学び合い、2時間めに中2とともに会社を創っていく準備にはいる。文化祭では、出店する外部からの本物の会社がある。その会社は、いあわば競合他社ということになる。

文化祭に訪れる人々を消費者に見立てて、自分たちの会社の比較優位を計算していく。SWOT分析を田中先生が文化祭という擬似市場にアレンジしたマトリクス表を使って行っていく。マーケティング戦略をつくりあげていくのだ。

その際、中3メンバーは、組織論に基づいて、マネジメントしたりモチベーションを持続可能にしていったりする。何せ相手はプロフェッショナル。そこと競える会社を創るにはどうしたらよいのか。強みや弱み、機会や脅威を分析していく。

経営企画会議よろしく、グループディスカッションをしている間に、他の基礎ゼミも案内して頂いた。どの教室も「好奇心」「開放的精神」「批判的精神」がさく裂していた。あのファインマン教授が、科学者としての才能の3要素と語ったものであるが、まさに小さな研究者の頭脳が躍動していた。

理論物理の基礎ゼミナールでは、ベナール・セルと呼ばれる渦をつくる対流を観察していたが、田中先生のゼミの生徒がこの姿を見たら、組織論として散逸構造をどのように活用するか越境的想像を膨らますだろうなあと、この基礎ゼミの無限の可能性を感じ、見ている側もワクワク興奮した。

アプリを創ったり、プログラミングしている中2の生徒とかもいて、すぐにもエンジニアになれるのではないかとその才能の可能性に驚きもした。

生物の教室では、生命科学の研究をしている生徒たち、言語記号論では絵文字の言語学的アプローチをしたりして、現代コミュニケーション論を組み立てていた。

ちらっと見学しただけでも刺激的だったが、一年間1つのテーマを追究していく生徒たちが知的にも感性的にも大きく成長するのは火を見るよりも明らかだった。目の前に希望のスペースがパッと広がった。

後ろ髪をひかれつつも、田中ゼミに戻ってみると、白熱議論が起きていた。

「機会」と「脅威」は、実は分けにくい。表裏一体で、機会は常に脅威になるし、脅威は機会をつくるなど、マーケティングのダイナミズムについて、直観的なのだろうが、なかなかセンスのよい議論していた。そして、私たち大人は、今まで中高生をあまりにも決められた枠の中に押し込めてきたのではないか、もっと中高生の発想の自由を、三田国際のように大切にしたほうがよいのではないかと改めて思いもした。

中間報告のプレゼンも、大人顔負けの指摘が多々あった。たとえば、消費者を抽象的に捉えずに、人脈分析をして、セグメントまでしていたし、競合他社とのブランド力の差や立地条件の差異などを分析し、そこをどのように解決すべきかあるいは意志決定すべきか課題を明らかにしていた。

グループワークの合間に、田中先生に、企業活動が、リーマンショックに代表される欲望の資本主義の常であるリスキーなものを生み側面もあることについて、今回議論するのですかと尋ねてみると、もちろん会社を創業する時の理念を決めますが、そこで、社会と自分たちの幸福についての均衡をどうするか当然議論が生まれますと話してくれた。

この基礎ゼミナールで、生徒は会社を創業し、運営し、利益をきちんとあげ、決算報告や社会貢献まで考案し体験していく。田中先生によると、実際に社長や会計士にもきてもらい、アドバイスをしてもらうチャンスも作っていくという。

起業家プログラムというと、外部のプログラムに丸投げのところが多いが、田中先生は、すでにある学校の環境や、自分たちのネットワークを、市場経済の環境に見立てて、コンパクトにブリコラージュ的手法で作っていく方が学びの効果があると語る。

砂漠に放りなげられた時、身の回りにあるものを、サバイバルのための道具に仕立てる柔軟な野生の思考こそが、たとえ第4次産業革命になったとしても、いややはり予測不能な社会という点では砂漠と同じで、そこでサバイブするには、柔軟で創造的なブリコラージュ的思考が役に立つことは間違いない。田中教頭の英語圏の発想にはないフランス―ドイツ的な学問発想が、三田国際学園のインターナショナルな教育の奥行きを深くしているのだろう。

工学院 さらなる挑戦

工学院大学附属中学校・高等学校(以降「工学院」)は、21世紀型教育を完成するべくさらなる挑戦に取り組んでいる。それは、2020年大学入試改革で予想される大学入試問題の研究を通して、そこから越境する知の領域に拡大する授業のGrowth Mindsetに取り組むという教育活動。

21世紀型教育というと、巷では、多様な経験を積み上げ、創造的な活動をすることが第一の目的で、大学合格実績は二の次であるという間違ったイメージがある。それは全く違う。そのような考え方は学校や教師の立場の話であって、先鋭的な21世紀型教育はあくまで生徒の未来の生き方の可能性をいまここで共に考え、関門を乗り越えていくというところにある。その生きていく道に大学進学があれば、当然そこを突破する。

ただし、そのとき、21世紀型教育は21世紀型教育、大学進学指導は大学進学指導と二項対立にはもっていかない。両方を融合するというのではなく、両者は1つのシステムに収まるのである。by 本間勇人 私立学校研究家

2020年大学入試改革で、今メディアで話題になっているのは、大学センター入試に替る新テスト「大学入学共通テスト(仮称)」(これまで「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」と呼ばれてきたテスト)。特に英語4技能教育と記述式問題。しかし、工学院では、この点に関してはすでにカバーしているから、やはり最終関門である各大学個別入試を素材にして研究に臨んでいる。

とはいえ、2020年になっていないのであるから、各大学個別入試はまだない。しかし、従来の知識論理型思考をベースにした問題から論理創造型問題になるのはある程度想定済みであるから、現状すでに実験的に変わり始めている国立大学の問題をヒントにして研究していこうという試みである。

たとえば、今年の東大の数学の問題を、その場で、数学科の主任が解きながら、生徒にとって何がハードルか分析していく。そして、プロジェクトチームのメンバーが、教科を超えて質問していく。この数学の問題のどこに新たな地平が開かれるヒントがあるのかと。

すると、東大受験の生徒は体験してきただろうが、そうでない生徒はあまり体験しないで、大学に進んでいくということが判明していく。東大を受けるからそのような思考方法が必要で、そうでない生徒は不要というのが、20世紀型教育の効率重視の授業デザインだっただろう。

ところが、数学は公式やパターンを当てはめながら解けばよいのではなく、ある程度与えられた条件を整理しながら、なぜこの条件なのか予想する目検討の構えが必要であるということは、実は数学に限らず必要なことだという議論がでてくる。奥津高校教務主任は、それはバックキャスティングという発想で、数学をはじめとする教科だけではなく、イベントの企画を創るときにも必要な力だと語る。

その点に関しては、教科の違うメンバーで構成されたグループワークで議論しながら抽出していく。東大の数学の問題にフォーカスしながら、その背景にある思考スキルや発想という思考の領域に越境していく。

数学の教師としては、そんなのは当たり前であると通過してしまうようなところで、他教科の教師が、今の代入はなぜ生徒はしようと思うのか?パターンを当てはめるだけではないという判断はなぜできるのか?結局数学の思考スキルは1つの種類のバリエーションということなのか?国語でもそのスキルは実は重要だが、もう少し種類はあるかななど、数学科の教師の暗黙知を引き出していく議論が白熱する。

そして、東大の問題が解けるようになるにはというお題ではなく、素材として扱った東大の問題から見出した突破する思考スキルやコンピテンシー、発想法を身に着けるには、中1・中2のときに各教科でどんな授業をデザインしていくのか、中3・高1ではどうするのか、高2・高3ではどうするのかと6年間通じてのカリキュラムコンセプトのデザインをしていく。

このプロジェクト名は「qチーム(クエストチーム)」。中学の教科主任、高校の教科主任、各教科のリーダーで構成されている。各教科に浸透させていくと同時に、高校では、ダイレクトにこのような入試問題をトリガーとして展開させていく授業の場面も増えていく。

このqチームの探究活動で、素材としての大学入試問題を選択する太田中学教務主任、奥津高校教務主任、田中英語科主任は、「難度」で選択しているのではなく、「思考コード」に照らし合わせて「論理創造型思考を要する問題」、「ルビンの壺型問い」が埋め込まれている問題を探し出す。素材としての大学入試問題の選別眼は、実は問いを創るときの視点と重なる極めて重要な研究でもある。

 

静岡聖光学院 新草創期の息吹

風かおる東の道のたたなわる小高き丘になつかしく学び舎は立つ。静岡聖光学院は、南に太平洋を望み、北に富士山を仰ぐ、澄み切った空気に包まれる丘の上にある学校。雨が降り、霧が立ち込めれば、天空の城ラピュタさながらだとも言われている。
 
来年2018年、静岡聖光学院は、中学校設置認可されてから50年が過ぎようとしている。学内では、周年事業の一環として、ハードパワーではなく、教育のソフトパワーのさらなる進化/深化を追究することに決めた。by 本間勇人 私立学校研究家
 
 
(左から、星野明宏副校長、岡村壽夫校長、田代正樹副教頭)
 
それは、開設当初ひたすら学問の自由を追究したアカデミアの殿堂を引き継ぐことも意味する。開設当時、最先端の教育ソフトを実践し、生徒の未来をともに創ってきた草創期の息吹を、50年目、再びもっともっとふくらますというのだ。
 
開設当初の教育ソフトとは、「学問」そのものであった。当時の初等中等教育の学習指導要領は「現代化カリキュラム」と呼ばれ、スプートニク・ショックという衝撃が生み出した宇宙をも視野に入れた科学の最前線を生徒と共有しようという時代だった。
 
 
(身近な問題から、合意形成のルールを抽出するPBL型授業)
 
現代数学や最新の科学の内容が盛り込まれ、時間数も、脱ゆとりの学習指導要領と比べても16%も多かった。それゆえ、その濃密過密の反動として、ゆとり教育への路線を開いたのも確かだったが、初代のピエール・ロバート校長は、学習指導要領の量を問題にするのではなく、その背景にある時代の精神を引き受けた。
 
それは、目の前の生徒にとって未来を拓くカギは、学問や科学であり、「聖光 聖光よ望み湧き わが命拠る アカデミア」と聖光讃歌にあるように、未来を創り社会に貢献するには、大学で研究ができるアカデミアという学問の道を説くことなのだと。当時の大学進学率が20%いかなかったことを鑑みれば、いかに斬新な教育だったか了解できる。
 
 
(自然科学の知識や用語を、英語で調べ直す作業も)
 
岡村壽夫校長は、母校静岡聖光学院の2期生であるが、開設当初から、自分の好きなことにチャンレンジする気風があったと語る。チャンレンジには失敗がつきものであるが、大いに試行錯誤が奨励されたという。それは、教師も生徒も同様で、したがって、教師は専門教科以外に自分の好きな領域についても生徒といっしょに探究してきた伝統があると。
 
そして、50年。同校にとって、歴史を積み上げてきた記念碑的な数字であるが、同時に時代は、第4次産業革命の衝撃、人工知能のシンギュラリティショックという異次元の局面にぶつかっている。
 
 
(英語のスピーチをペアワークで)
 
アカデミアへの強い意志は、新たな科学、技術、エンジニアリング、数学、哲学などへ再び挑戦する時を迎えたのである。
 
星野明宏副校長は、「この大きな時代のウネリに立ち臨むには、小手先の改革改善では歯が立たない。あたかも新しい静岡聖光学院をもう一校創り出す新草創期の気概で行動しなければなりません。幸い学問への気風の伝統があります。それを引き継ぎながら、新たな学問環境に備える最先端の教育ソフトパワーを展開する50周年にするべく動き始めたのです」と気概に満ちている。
 
そして、そのアイデアは、「アカデミア部」という新たなプロジェクト部署を立ち上げてすでに実践が始まっている。
 
その中核メンバーである田代正樹副教頭によると、アカデミアの活動として「個人研究」「職業体験プログラム」「ゼミナール活動」など多様な探究活動が進化/深化しているということだ。特に、50年という歳月は、OBの中に東大や京大の教授も輩出し、後輩である在校生と学問研究プログラムの協働活動も進んでいるという。
 
たしかに、大学の学問も再構築される時代である。中高もその動きに対応するには、学びの環境そのものを進化させる必要がある。そして、同校のアカデミア活動を支える生徒一人ひとりの好奇心、開放的精神、探求への眼差しという内発的動機づけは、日々の授業が源泉となる。
 
 
(素数のルールについて対話している数学授業のシーン)
 
静岡聖光学院が探究授業としてのPBLやC1英語教育、ICT教育を大胆に授業でスタートした理由は、以上のような50周年記念事業を機に描いた教育ソフトパワーの大きなグランドデザインに根差していたのである。
 
 
(授業中は、静かに生徒を見守る人工芝)
 

アサンプション国際 校長哲学教室 さらに進化/深化

今年4月からアサンプション国際は、共学化、校名変更、21世紀型教育改革という大転換を果たした。すでにご紹介したイマージョン教育やPBLの授業も、速くも広がり深くなり始めている。
 
そんな中、同校の改革のエッセンスすべてが凝縮しているのが、江川校長哲学教室である。by 本間勇人 私立学校研究家
 
 
 
というのも、前年度行っていた校長哲学教室は、すべて女子生徒だったが、今回からは男子も共に参加して行えるようになっているし、学びのスタイルは、PIL×PBLであるし、プログラム最後の振り返りで自分を語るときは英語で表現するからである。
 
また、学びの空間も、ICT環境が完備しているフューチャー・ルームで行われた。そもそも、この哲学教室そのものが、リベラルアーツの現代化なのである。なぜ現代化であるかというと、哲学教室というと、プラトンからカントくらいまでの哲学者の考え方が基礎になるのが一般的である。
 
 
(まずはアイスブレイク。共感的コミュニケーションの足場作り)
 
しかし、アサンプション国際の哲学教室は、現代思想や心理学、社会学など学際的だし、扱う素材もアンチ専門分野主義で、新しい知の地平、つまり要素還元主義から関係総体主義へというパラダイム転換を基礎とした21世紀型教育の哲学がベースである。
 
今回も素材は、「ルビンの壺」「ドーナツとマグカップ」「グローバルゴールズ」。これらが一体どんな関係にあるのか?なぜ「ルビンの壺」と「ドーナツとマグカップ」が「グローバルゴールズ」に関係するのか?
 
モヤ感あふれる出る分かち合いとなったが、江川校長とアルベール先生のファシリテーションとフィードバックで、生徒は、偏った見方や先入観から解放されるGrowth Mindsetがまず必要なのだということにだんだん気づいていくことになった。
 
 
ルビンの壺の絵を見て、壺に見えたり、波に見えたり、ベルに見えたり、二人の向き合っている顔に見えたり、いろいろでてきた。しかし、江川校長がどうしてそのように見えるのか問うことにより、何に注目するかによって、その時の気分や感情によって、違うとか、経験に照らし合わせて見えてくるが、その経験が人によって違うから、それぞれ違うのでは?とか多様なアイデアがでた。
 
哲学教室では、正解を出すのが目的ではないから、ルビンの壺の関係総体主義的な考え方については、説明することはない。それは、生徒自身が何かの局面で、はたと思いつくことだから、それでよいのだと江川校長。実際、今プログラムの途中で、生徒は気づくことになる。
 
ドーナツとマグカップについては、これ以外にどう考えればよいのかわからない、いったい何を問いかけているのかわからないと生徒たちは口々に語った。そこで、インターネットでNHKのアーカイブ「トポロジー」をいっしょに見ることにした。
 
 
見終えたとき、生徒たちの驚きの表情は想像するに難くないだろう。分かち合いスタイルなので、一人ひとり感じたこと気づいたことを順番に語っていくが、参加者全員が、ものの見方や考え方のコペルニクス的転回に到ったのは言うまでもない。
 
穴の数で、図形をカテゴライズするとは?硬い幾何学の世界に自分たちはいるが、柔らかい幾何学の世界もあるのかあ?と。しかも、このトポロジー的発想が、新物質を創るときに、すでに役に立っていたり、宇宙のカタチを考える時に役に立つなんてと、角度を変えてみると、先入観が崩れるという実感に、感動する生徒もいたし、どこかまやかしがあるのではとクリティカルシンキングを発動させる生徒もいたり、知と感情の合力が生まれていた。
 
 
そして、「ところで」と江川校長哲学教室のストーリーはいいよいよ「転」の局面に到った。「みなさんが学んでいるグローバルゴールズの中に男女の差別をなくそうというのがあるが、ジェンダーギャップが激しい例としてアフリカが話題にのぼることが多い。ジェンダーギャップについて、日本と比べるとどんな状態だろう、予想してみよう」と新しい問いが投げられた。
 
全体的にアフリカの方が日本より男女格差は激しいのではないかという仮説が多かった。中には、日本も項目によっては、低いかもしれないが、それでもまだ男女格差は改善されつつあるのではないかというのもあった。
 
そこで、世界ランキングンの一覧表が配布され、見てみると日本は111位ととても低かった。項目によって違うから、各国の状況の違いを無視できないが、それにしてもなんて自分たちは、もっと考え直さねばならない。憶測だけではなく、情報やデータを収集することの必要性を強く感じたと生徒は語っていた。
 
 
こうして、最終問題は、グローバルゴールズを達成するために、先入観から解放されなければならい具体的なケースにはどういうものがあるか、チームで議論して、まとめてほしいというものだった。
 
各チームがプレゼンを終えるたびに、教育社会学者でもあるアルベール先生は、生徒とクリティカルシンキングの対話を深めた。
 
たとえば、ジェンダーギャップと教育の質は関係ないと思っていたが、データを見ると関係があるように思える。教育の質を上げれば、よい仕事につけるから、男女の格差は縮小するのではないかと生徒がプレゼンすると、アルベール先生は、たしかにそれは正しいけれど、教育の質を上げて、よい仕事につけたとしても、インドのようにそういう人材がアメリカなどに移住すると、インド社会そのものは善くならないというようなパラドクスも起こる。さてどうするのだと。
 
 
生徒は、あっ、ルビンの壺だと。1つのことだけ見ていて、そのほかの関係性を考えていなかったと。もっと、視野を広くして考えてみなくてはと。
 
最後のリフレクションでは、日本語だとたくさん言えるのに、英語だと限られる、もっと英語を勉強しなくてはとなり、江川校長は、そう気づいたのなら頑張れるねと、クリエイティブコーチングも見事に果たしていた。
 
 
アルベール先生は、これが言語の世界が思考の限界。もどかしさが、Growth Mindsetを生む善き欲望ですねと私の方を向いて目で語っていた。あの微笑が印象深かった。
 
身近なものが、あるいは関係ないと思っていたものが、世界の痛みと強く関係する根本問題にいたり、そこから自分は何をすべきか、自分の才能を引き出し、キャラクターをデザインしていく生徒。アサンプション国際のミッションは今まさに実現しようとしている。
 
 

三田国際 最強のPBL

三田国際学園は、校名変更し、共学校化し、先鋭的21世紀型教育を断行して4年目がスタートした。3年間で中高の定員1200名をパーフェクトに満たす奇跡を起こしたが、その背景には、最強のPBL(Problem based Learning)型授業を教師全員で共有し、日々研鑽を積んでいく研修システムが構築されているからである。

そして、そのエグゼグティブリーダーは、間違いなく田中教頭である。田中先生の授業プログラムは、ちょっとやそっとでは真似できない優れた仕掛けが緻密に設計されている。おそらくただ見学していても、驚嘆、感動、感銘をうけるているうちに、肝心のデザインされた仕掛けを見抜くことを忘れてしまう。それほど、見る者を夢中にさせる魅力的授業である。by 本間 勇人

また、麻布や開成同様、一般には三田国際の授業は非公開だから、ますます田中教頭のPBLデザインは、神秘のベールに覆われ、それがかえって三田国際の授業の魅力を増幅させているのだ。

しかし、機会あって、今回見学することができた。名古屋出張だったが、またとない見学を逃すまいと、急いで戻ってきた。ぎりぎり間にあい、教室にはいると、なんと近代国家成立に影響を与えた3人の啓蒙思想家を学んでいるところだった。

たまたま、単元がそこだっただけなのだろうが、この帝国の時代から、近代合理性へのパラダイム転換の生みの親たちの授業を行っているところに立ち会えたとは、なんとも不思議な感じがした。というのも、三田国際は、この近代合理性の限界がもたらした、現在の世界問題を解決する新しい教育=先鋭的21世紀型教育を断行しているのだが、結局のところ、その根拠として啓蒙思想家の根源的な発想をどう超えるのかという議論を授業中に行っていたからである。

ここまで徹底して、いまなぜ自分たちは先鋭的な21世紀型教育という環境を選択して学んでいるのかを、近代の超克という歴史的パースペクティブの中で位置づけているのである。歴史の中の自分、パラダイム転換の旗手三田国際、新し社会を創る自分たち。生徒は、自分、学校、社会といった包括的座標軸的視座で学んでいるのだ。

歴史を捨象した独りよがりな自分探しとしての進路指導ではなく、歴史の中の自分を見定め、歴史を創る自分をイメージ化する作業が、三田国際の田中教頭のPBL授業なのである。

なるほど、教頭兼学習進路部長である。日々の学習とキャリアデザインの統括リーダーの意味が了解できた次第である。

近代合理性、特にカントとヘーゲルをどう乗り越えるかは、ハイデガーやガタリ、デリダなどの現代思想家が取り組んだ大問題のはずであるのにもかかわらず、生徒たちは軽やかに立ち臨んでいた。

カントやヘーゲル、ハイデガーを理解するには、啓蒙思想家の論理的仮説である「自然状態」をいかに分析し、脱構築するかにかかっている。そんなことは、教科書にも書いていないし、現代思想家もあまり語らない。しかし、カントはそれを物自体に置き換えたし、ヘーゲルは自然状態の弁証法的成長が行きつく究極の頂点「絶対精神」としてとらえたし、ハイデガーは現存在が気遣いから遠ざけてしまう「存在」に置き換えたし、そのような固定した見方をリゾームという新概念に置き換えたのがガタリである。そして、そのようなすべての設定を脱構築しよとしたのがデリダだった。

要するに何を言っているのかわからないのが現代思想であり、これが現代思想の限界。それをあっさり乗り越えてしまうのが田中教頭のPBL型授業なのだ。

生徒に、まずは個人ワークとして、自然状態に自分が置かれたら、どなると思うかという自分事から出発させる。知識の確認ではなく、知識が生まれる思考のプロセスを遡る。

そして、そのようなことになる「自然状態」がいかなるものか仮説を立ててみようということになる。チームで侃侃諤諤議論をして、プレゼン。この過程は極めてナチュラルでシームレスに展開していった。

生徒から、理性というのは自然状態にあるのかといったなかなかいい質問も、その議論の合間ににでてきた。すると田中先生は、帝国から近代にシフトするというのは、こんな感じだと語った。転んで足を痛めたときバチがあたったと言っていた時代から、転んだのは平衡感覚がとれなかったからだと言える時代に。生徒はドット笑った。理性と自然状態の関係を一瞬にして理解したのであるであるが、このメタファーで笑えるという知的レベルの高さに驚いた。

あるときは、クレヨンしんちゃんというのアニメをメタファーに国家成立について語ったりもする。遊びと学びのダイアローグが回転しているのが、田中教頭のPBLだ。PBLのスタイルの真似はできても、メタファーや問いの投げ方の奥義までは真似できない。

自然状態の定義を各チームごとにプレゼンしたあとに、すかさずリアリスティックアプローチ手法のリフレクションを投げかける。みんなの発想は、結局啓蒙思想家と近かったのではないか?ということは、君たちが今考えた過程は、啓蒙思想家とシンクロしていたんだよとフィードバック。

そのとき、はじめて生徒たちは、啓蒙思想家を乗り越える立ち位置にいることに気づいたのである。先人から知識を学ぶ方法を学ぶだけではなく、先人の限界の地平に立つことを学ぶ学び。青春時代に背伸びをすることぐらい内発的モチベーションが燃えることは他にない。これが田中教頭のPBL型授業の奥義である。

そんなことをやって東大や京大や一橋大の問題が解けるのか?と疑問にもたれたれた方は、およそそれらの大学の入試問題を研究したことがないといえよう。田中教頭の射程内に収まった骨太の啓蒙思想についての問題がまんま出題される。ご安心あれ。

富士見丘 SGHプログラム4年目に突入

富士見丘学園は、SGH(スーパーグローバルハイスクール)のプログラムを実施して、4年目を迎える。この間に、多くの輝かしい実績を積み上げてきたし、模擬国連部の活躍に代表されるようなSGH以外のグローバルな教育活動も広がった。

そしてまた、今年も新高1のSGHプログラムが、心優しくもパワフルに始まった。by 本間勇人 私立学校研究家

(昨年、釜石フィールドワークを通して「環境とライフスタイル」を探究した新高2生の新高1生に向けたガイダンスシーン。ユーモアもあり探求へのモチベーションを共有。)

 SGHプログラムは、高1では「サスティナビリティ基礎」という授業と「釜石フィールドワーク」を通して、持続可能な社会を創造するにはいかにしたら可能かを探究していく。高2になると、フィールドワークがシンガポール、マレーシア、台湾とグローバルな拠点に拡張する。慶応大学や上智大学などの高大連携プログラムも展開する。

したがって、高1時代に、調べるスキル、コミュニケーションスキル、論文編集スキル、インタビュースキル、プレゼンスキル、クリティカルシンキングなどアカデミックな探究の基礎を学ぶ必要がある。

(昨年の慶應義塾大学SFCの大川研究室との高大連携プログラム。スカイプで海外の高校生と協働企画について議論しているシーン。)

そのスキルを釜石フィールドワークを通して鍛えながら、その探究のまとめのレポートやプレゼンテーションが成果物となる。新高2生は、自分たちが学んできた内容やそこに到るまでのさまざまな苦労や気づきについて語り、SGHとは何かガイダンスを行った。

新高1生は、内進生と高校から入学してくる生徒が共存しているから、4月スタートしたばかりでのガイダンスは、どちらの生徒にとっても新しい探究活動を共に行っていくというというのはアイデンティティ形成にとっても大事な行事。

したがって、このようなガイダンスの集まりを仲間にエールをおくり、プライドと自信を共有する機会とするのも忘れないのが高1の学年主任の遠藤先生。スポーツや芸術活動で活躍している生徒の自己紹介の場を集会に瞬間的に織り込んだ。

自己紹介を終えて席についた生徒が周りの生徒とハイタッチしている雰囲気は、富士見丘学園が大切にしている心である「忠恕」という互いに尊重し、受け入れ、高め合う精神が浸透している証しでもあった。

こうして、また富士見丘のSGHの新たなステージは始まった。新高1生は、10月の釜石フィールドに向けて、サスティナビリティ基礎という授業で、知の準備を行っていく。

(昨年の高2のシンガポールフィールドワークを通してまとめあげた探究のプレゼンシーン。)

1年後、この新高1生が、様々な賞を受賞し、大学の教授陣が息をのむプレゼンを行うように成長しているだろう。このように、先輩が自分の経験値を後輩に伝えていく心優しい絆は、同時に毎年パワフルなグローバルな知を生んでいく。

それは富士見丘の教育自体を大きく変容させる力にもなろう。

工学院 いまなぜカリキィラムリフォメーションなのか?

今年4月、高1のオリエンーションから始まって、様々な新機軸の実行に専念している平方校長と、要所要所で、かなり対話する機会をいただいた。校長の想いをまとめてみたい。by 本間勇人 私立学校研究家
 
 
(中2-Dのクラスで。哲学に!問いの探究に!カリキュラムマネジメントに!それぞれがぞれぞれのミッションを胸に)
 
2020年大学入試改革。これは日本だけの特別な話ではない。世界同時的に起きていることである。その改革の実行にどの国が速く着手できるかどうか。そして、その改革は雑駁に言えば、教育改革なのだが、正確には、カリキィラムそのものの改革なのだ。
 
大学の学部や学科が、よしあしは別として、新しい科学や学問領域を開拓せざるを得ない。第4次産業革命に対応できる専門知としての科学や学問は、20世紀と同じであるはずがない。
 
 
(中2-Dのクラスは四方の壁がホワイとボード。クラス目標「一人一人の個性を大切にして平和で明るいクラスをつくろう」が描かれている壁ボードにさりげなく、それを方程式に変換した痕跡があった!これも変化を生み出す創造的思考力。)
 
そうなると、そこに接続する高校の教育も変わる。英語を重視したり、理数系を重視したり、授業時間数を調整したり、経験主義的なカリキュラムにするのか系統主義的なカリキュラムにするのかということなども重要であるが、今までのカリキィラムのようにスキルと能力、まして既成の知識の習得や活用程度の改革では、いかにカリキュラムのフォームや時間数を変えたところで、第4次産業革命社会に対応する新しい科学技術や学問の領域を探究する活動に接続できないのだ。
 
知識がいらないとか、スキルや能力を重視すればよいという程度では高校生はうまく大学に接続できない。それでできる大学は、第4次産業革命に対応できない。大学に合格しても、生徒の未来を先送りするだけなのだ。
 
 
(2017年京都大学医学部特色入試の問いを探究。問いの作り方が、生徒の学力構造にどう関係するのか議論。)
 
何が重要なのか?それは新たな知識を生み出すスキルや能力の習得であり、その大前提である、新しい知識を生み出すコンセプトメイクやグランドデザインを描くという意味での創造的思考力なのである。
 
しかしながら、この創造的思考力は、個性あふれる才能そのものがエンジンだから、スキルや能力のように誰もがある程度等しく習得できるシステムではうまくいかない。
 
創造的思考力は、生徒一人ひとり違う才能から出発する。絵画や音楽、哲学、政治経済、ダンス、演劇、プログラミング、エンジニアリング、学問的探究などなど興味と関心が実はその生徒の才能の萌芽である。
 
そこから創造的思考を稼働させることによって、新しい絵画の手法が生まれたり、新しい響きが奏でられたり、新しい政治経済社会のコンセプトが生み出されたり・・・ということになる。
 
 
(グローバル社会は、多言語社会。高1のハイブリッドインタナショナルクラスは、工学院大学新宿キャンパスで中国語を英語で学んでいる)
 
たしかに今はポストモダンイズムの時代であるが、まだまだパラダイムそのものがモダニズムにとって変わったわけではない。歴史が変わるというのは意匠が変わるだけではない。その背景にあるものの見方や価値観、つまりコンセプトやグランドデザインが変わるとき、はじめて変わったということになる。
 
そんなことが起こるのだろうか。可能なのだろうか。それは、一人ひとりが個性を創造物に変えようと集合天才の動きができてやっと変わる。
 
 
(新宿キャンパスでは、哲学と数学の授業も。オールイングリッシュの授業。)
 
なぜ変わらなくてはいけないのか?グローバルゴールズの設定を何も感じない人はいないだろう。自分が20世紀型社会を安心安全な地帯だと思っているうちは、そのゴールは達成されない。あまりに多様で深い世界の痛みはおさまることがない。
 
それでよいのか?それでよいと思う人もいるだろう。しかし、なんとかしなくてはならないという人もいる。その数が多ければ多いほど、時代の変化を望む意識や声は大きくなるだろう。
 
しかし、そのとき、そう思っている人々の中のほんの一握りの天才が世界の痛みを解消する方法を編み出したところで、元の木阿弥なのだ。
 
 
そういう想いを持った人々が、みな個々の才能を創造的思考を通して、新しいものや価値観を生み出す必要があるのだ。そのウネリが臨界点に到達したとき、音を立てて時代は変わるのである。
 
だから、知識、スキル、能力を育成するカリキュラムだけではなく、才能を育成するカリキュラムが必要になる。才能までは、今までは考えられてこなかった。では、それはいかにして可能か?そこに挑もうとしているのが、校長平方先生をはじめとする工学院の先生方なのだ。
 
工学院の先生方は、幾つもプロジェクトに分かれ、才能を生み出すカリキュラムを開発しているのだが、今までのように知識、スキル、能力をブラッシュアップするだけでは、新しいカリキュラムは生まれない。
 
したがって、コンセプトやグランドデザインを描く方法を学ぶプロジェクトが立ち上がっている。それは哲学や問いを探究することに等しい。だが、なぜこんなプロジェクトが必要なのだろう。
 
それは、今年の高1から新しいカリキュラムリフォメーションが起こっているからである。この改革によって、八王子キャンパスにおいても新宿キャンパスにおいても、大学の教員や外部講師とコラボするカリキュラムが驚くほど増える。
 
その場合、工学院大学や外部の講師と工学院中高の教師のチームティーチングになる。そのとき教師は講師とコンセプトやグランドデザインについて、いつも話し合い、共有し、振り返り、改善し、深めていく対話思考が必要だ。
 
それゆえ、知識、スキル、能力を伝授する教授方法以外に新たなコンセプトやグランドデザインの創り方を生みだそうとしている。
 
人はとかくそんな迂遠な方法より目先のことにとらわれてしまう。工学院の先生方も例外ではないが、重要なことは、その状況から脱皮しようと、工学院の先生方は日々学んでいる。
 
コンセプトやグランドデザインの創り方のような果てしない物語に耐える段階から楽しみ、そしてそれを実践していくようになる学びを新しいカリキュラムの試行錯誤を通して生徒と共に学んでいる。
 
学びは、外部世界と自分の精神と他者のつながりを好循環なものにしていくことだ。それには多様な才能の開花が必要となろう。既存の知識の体系だけでは、そのつながりは分断される。
 
未来は、いまここでその分断をぶち破り、新しいつながりを生み出していく創造的思考にかかっている。平方校長をはじめとする工学院の教師に期待がかかるのは、こういうわけである。
 

東京女子学園 教師と生徒が学ぶ組織

今年3月、東京女子学園は、今までプロジェクト単位で行ってきた学習する組織が、一転して全体に広がった。それは、iPadが教師全員に配られたからだ。今のところは、企業が作成したWeb ベースの学習システムの活用方法を日々研鑽しているが、クラウド上の教材やアーカイブうなどを活用し、テストもできるから、たんなる技術面の話ではなく、授業や面談のあり方も大変化することになる。by 本間勇人 私立学校研究家

何よりも5月から生徒全員が所有するようになる。すると、授業風景はあっという間に一変するだろう。そのシーンは、デジタル・ネイティブの子供のいる家庭はだいたい想像がつくだろう。そして、そうでないときの授業に比べてワクワクする気持ちを抑えられないだろう。

しかし、本当のおもしろさは、これからなのである。現状の学習システムは、スキルと能力の徹底した管理システムで、大学合格実績を大いに向上するのに役立つだろう。ところが、昨今共学化の波がおさまらない時代だ。それだけでは、女子校としては、共学校を突き抜けることができない。波に押し切られてしまう。

特に、日本社会は、先進諸国の中で、女子の社会進出は低く、ジェンダーギャップの格差もありすぎる酷い社会だと世界から観られている。グローバル社会にあって、何よりこの汚名を払拭しなければならないときに、それが唯一可能な女子校という拠点が消えていくのはなんとももったいない。

哲学の土台のある東京女子学園であればこそ、そこは極めて重要なミッションだ。

実は、東京女子学園は、この抑圧社会日本を幸せに導く教育のプログラムが潜在的にある。それは昨年、プロジェクトチームが中心となってつくった「地球思考コード」である。これは、東京女子学園が教育で行っていく思考力の広さと深さのチャートになっている。つまり、知識・スキル・能力のみならず1人ひとりの才能を開発する教養の幅を示唆している。

授業やテスト、面談は、このコードに紐づいて行われるのだが、昨年まではそれはすぐにできなかった。なぜなら、それにはICTによって、地球思考コードごとに成績推移が集計される必要があったからだ。

今回の教師も生徒もiPadを1人1台使えるようになったことで、このことが可能になる。もちろん、その開発には涙ぐましい研究と研鑽が必要だ。しかし、それは教師にとっても生徒にとっても未知との遭遇を意味する。まだ、どこの学校でもそれを行っていない。だからこそ、挑戦する価値があるのだ。

授業という「いまここ」での未知との遭遇。それは教師と生徒が共に学ぶ格好の場である。そして、その場は、日本社会の女性の生き方の希望の灯火となろう。それは、日本社会全体にとって善き知らせである。

工学院 前人未到の新教育イノベーション始まる

工学院大学附属中学校・高等学校は、前人未到の新教育イノベーションを開始した。戦後の学習指導要領の歴史は、J.デューイの経験主義教育とJ.S.ブルーナーの系統主義教育の両極の間を振り子のように行ったり来たりした。その過程でデューイの考え方やブルーナーの考え方は形骸化して、問題解決能力か知識暗記力かという浅薄な二元論に陥った。

21世紀型教育ビジョンを映し出している工学院は、どちらか一方を選択するのではなく、生徒の成長、生徒の生き方、生徒の変容、生徒の才能などに目配りした複合的な学びの理論やそれが育成される環境イノベーションを揃えてきた。by 本間勇人 私立学校研究家

(左から、奥津先生、岡部先生、松山先生、平方校長、島田先生、株式会社メイツ副社長伊藤氏)

新高1は、4月1週目、2泊3日のオリエンテーションを行ったが、その際のリフレクションは、タブレットやラップトップで入力、チェックボタンの項目は、瞬時に、スプレッドシートに書き込まれ、個人別、クラス別、男女別などの集計もまとまる。その段階でGrowth Mindsetの状態が、どうだったか先生方は共有できる。生徒と共に手ごたえを感じ、新高1の学園生活が始まったのである。

2週間後、上記写真のカリキュラムマネジメントチームが集まって、200字記述のデータ分析結果も掛け合わせて、生徒一人ひとりの状況やクラスの状況などをリフレクションをした。夏前にもう一度集計するから、生徒の変容など様々な特徴があらわれてくる。ふだん接している先生方のリアルな感覚と生徒が自己リフレクションしたときの感覚のマッチングを行うのだ。

このシステムは、今年一年行ってプロトタイプができるが、外部スタッフとのコラボレーションによってそれは可能になった。パッケージ商品を導入するのではなく、教師や生徒の実態に合わせて、リサーチ機能コンテンツをデザインし、分析システムをプログラミングしていく。教育コンテンツとエンジニアリングとデザイン思考。綿密かつ効率の良い会議システムの流れによって可能になる。

リアルスペースにおける会議は1時間と決め、その前後で、共有ファイルや共有議事録に書き込みながら、課題意識をシェアして立ち臨む。議論は、何を解決し、次にどう生かすか。さらに何を行うか。

カリキュラムマネジメントシステムとは、「思考コード」をベースに知のマネジメントをしていくことだが、その知を限りある時間の中で、生徒が最大限力を発揮できるようにする舞台裏の強力なサポートシステムこそが重要である。

この領域は外からなかなか見えない。授業という領域で、21世紀型教育の教育イノベーションは華やかに見えるが、それは氷山の一角。水面下にあるサポートシステムは複雑複合的。学習理論とカウンセリングマインド。データサイエンティスト的視点、そしてエンジニアリング頭脳。これらが効率よく循環するシステムが欠かせない。言うまでもなく、この部分は、今までの学校になかった新教育イノベーションである。

 

アサンプション国際と香里ヌヴェール学院 本機構に加盟

大阪カトリック2校であるアサンプション国際と香里ヌヴェール学院が、いよいよ21世紀型教育機構に加盟。両校は、昨年、21世紀型教育改革、共学校化を宣言し、PBL、イマージョン教育、ICT教育の研修を行ってきた。その過程で、カトリックの精神であり、国連のあらゆる宗教、民族、性別を超えた共通の理念でもあるman for othersというMFOマインドを共有し、世界の痛みを解決するグローバルシチズンシップというメンタルモデルをもった学習する組織が出来上がった。

そして、今春、その両校の協働改革は、小学校と高校の大人気という結果を導いた。もちろんこの改革は始まったばかりである。来春小学校、中学校、高校とすべてにおいて大反響を得るべく日々熱心に取り組んでいる。

そのインパクトはすでに、関西圏の教育に子どもたちの未来のための21世紀型教育改革をという大きなウネリを生み始めてもいる。

大阪カトリック2校の21世紀型教育改革のトータルリーダーは、聖パウロ学園の理事長であり、21世紀型教育機構の副理事長でもあり、何といっても、日本カトリック学校連盟会長である高橋博先生が辣腕をふるっている。

(高橋先生は、ご自身の学校である聖パウロ学園の21世紀型教育改革の研修のファシリテーターも行っている。)

アサンプション国際中学校・高等学校の校長は、江川昭夫先生。自ら英語の教師として、校長哲学対話をアルベール先生と実施。英語も使って生徒と対話する実践的改革を行っている。

香里ヌヴェール学院の改革リーダーは、石川一郎学院長。「2020年の大学入試問題(講談社現代新書)」「2020年からの教師問題{ベスト新書)」の執筆でも有名で、日本全国を飛び回って講演活動もされている。最先端の21世紀型教育を香里ヌヴェール学院の先生方と共に創っている。

21世紀型教育機構加盟校は、東京から埼玉、静岡、大阪へと全国に広がり始めた。この21世紀型教育改革を断行することは、子どもたちと共にいまここで未来を手に入れることを意味する。全国に広がること。それは希望が同時に拡大することである。

ページ