八雲学園の英語教育 ブレない人間力が育つ(2)

英語劇はブレナイバランスを育てる

(高1生と高2生による英語劇「グリー」。「そうだ、レディー・ガガのあの曲を歌おう!」)

榑松先生:グリーの英語劇が終わったあと、振り返りをしたが、そこに英語劇の真髄を見た思いがする。教師冥利に尽きるということだろうが、みんなから言葉を色紙にして贈ってもらったが、1つひとつのことばに彼女たちがその真髄をつかみ取ったことが表れている。体験によって学べるインパクトが英語劇にはたしかにある。

(高校生のパフォーマンスをデータログをとりながら、見守る榑松先生)

横山先生:発音とは何か?演技とは何か?劇の価値とは何か?英語劇に興味をもてなかった中学時代とはちがって、こんなにもすばらしい感動をもらいました。参加して得るものが多すぎましたなど、八雲学園に感動の機会がまた1つ増えたというのが伝わってくる。

菅原先生:八雲の生徒と言えば、快活で表現するのがみんな好きというわけではない。もちろん、全員が表現活動に参加するため、場を与えられれば、それなりにやる。しかし、それ以上自ら進んでとなると、全員がそうだというわけではない。

私たちは、やはり意志が大事なので、あるところまではサポートするが、そこから先掘り下げていくのは本人。いつ自分の意志で動き出すのか見守る姿勢でいる。今回どちらかというと、自分から進んで表にでない、たとえば、イングリッシュパフォーマンスのオーディションにも参加してこなかった生徒が、自ら手を挙げて参加。

そして、次の日わたしに、公演に参加してよかったと声をかけてくれた。楽しさとは何か、やりがいのあることとは何か見つけられたのだとこちらも感動した。

榑松先生:2週間彼女たちと過ごして、彼女たち自身が語っていたが、中学のころは反抗期だったということだ。今は自分の内面にあるものを宝物のように大切にしているから、反抗する気持ちがわいてこないと。だから、やはり生徒の発達段階というのがあるから、「演技」というスキルをこえた表現とは何かまでの「演戯」を中1や中2に要求することなどはできない。

まずは、英語の台詞を憶えるので精いっぱいだろうし、それに身振りや表情を連動させれば、まずは十分なわけだ。演技も棒立ちから、中2中3になるにつれて、豊かになっていっている。だから中学の英語劇としては学園の立派な伝統として作用している。

しかし、エール大学の学生との対話を通して米国の「シアター」という教育があることを知ってしまった八雲学園は、英語劇の次のステージを研究し始めた。英語の先生方とドラマ教育が盛んな学校もいっしょに見学し情報交換もしてきた。

だから、先生方も2週間前にもかかわらず、やりましょう!と前のめりになった。この先生方の意志と生徒のやる気みなぎる行動力は、まさに1つの得難いブレないsomethingだと思う。これが成長する核だなあ。

英語劇の次なるステージ

榑松先生:そして次なるステージは、それぞれの役割が全うする表情や身振りということ。英語が書けたり読めたりするだけではできない感情を表現するということ。英語はスキルとして「演技」として大事なのだが、表現という「演戯」となると、そこはまたトレーニングプログラムが必要になるし、かといってマニュアルがあるわけでも実はない。

「演戯」の練習風景に観察者としてかかわるのではなく、自分も参加しながら観察するという微妙なバランスがここでも要求される。どういうことかというと、中学までは、台詞をアウトプットしているときは、表情や身振りがでるが、そのとき台詞がない周りの生徒は棒立ちだったり、あまりその時の役割を意識していないものだ。

観客は台詞を語っている生徒に気がとられるから、その姿に気づかないだけだが、録画して後から見るとそれが気になってしまう。話しは少しそれるが、本当は見る側も観客として劇に参加するというのが演劇の世界だ。1人ひとりの演戯を見守る眼差しも、劇の空間を生み出す。それぞれがそれぞれの役割を演じ切るようになる――見る側の役割も含めて――のが次のステージ。

そうするにはどうしたらよいのか?まず生徒に問いかけるのは、自分の役であるレイチェルとかサンタナの誕生日はいつなのか、どんな性格なのか、どんなことで思い悩み、どんなことに喜びを感じるのかなど。つまり、役作りについて対話する。すると台詞の範囲内での「演技」にこだわっていた自分たちに気づくわけだ。

菅原先生:そのリサーチは、彼女たちは得意なはず。今回も百人一首大会にむけて、一首ごと歴史から内容からその背景を調べて展示している。これは、今回に限らず、文化祭や理科の自由研究、先週の英語祭でもとにかく模造紙にアウトプットしていく。

横山先生:見る側も役割を演戯しているというのは次のステージで大切だと思っている。ストーリーの意味や時代背景、役者1人ひとりのキャラクターの厚みなど理解しようという姿勢や見える前のリサーチなど、やることはいっぱいある。それに、行事、特に演劇の場合の危険性は、スターを祀り上げてしまうこと。

ドラマエデュケーションは、その活動を通して社会の縮図を知ったり作り上げていく大きなインパクトを持っているから、1人をスターにしてしまう世界観を形成するわけにはいかない。

榑松先生:その点は、八雲学園は優れた組織力を発揮していると思う。今回も百人一首大会はトーナメント制だから、負けてしまえば役割はそこでおしまいになるのが一般的な行事。ところが、負けたら負けたで、クイズはあるは、和歌作りはあるはでそれも表彰の対象となる。何枚取れたかだけが表彰対象ではない。大会の間中、役割があるのだ。

それに負けると「おしるこ」が食べられる。下準備は先生方がしているが、それを配るのは生徒たち。大会に参加できない場合は、配る役割がちゃんとある。実に上手くできている組織である。

 

 

 

 

 

 

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