聖学院PBL 英語でドラマエデュケーション

聖学院の高橋一也先生は、聖学院21世紀国際教育部部長であり、英語の先生であり、edutechnologistであり、またあるときは、レゴ学習プログラムデザイナーであり、その指導手法は、ストーリテーラーであり、ファシリテーターであり、コーチであり、現代思想家であり、またあるときはデータ-サイエンティスト。何よりオーセンティックな教員である。

学習プログラムデザイン手法は、きっちり講義スタイルの時もあるし、PILのときもあるし、PBLのときもあるし、マルチタレントを発揮する。今回は英語でドラマエデュケーションの授業を取材した。by 本間勇人:私立学校研究家

いつもの高橋先生の授業では、電子黒板やパソコン、レゴなどいわゆる21世紀型スキルを自在に活用しているマジシャンのような姿がまぶしいのであるが、今回はICT機器は一切使わず、感覚と心情と論理と表現と英語と身体などすべてを自在に結びつけるドラマの授業を行っていた。

中3のこの時期であるから、いきなりシェークスピアをやるわけではなく、まず「状況」を表している英文を読んで、スキットをグループワークで創作する授業。英語のストーリーは、論理だけではなく、意味のズレを活用したユーモアがあふれるオチが必要。

しかもそれは棒読みではまったくユーモアはあふれない。身体と声と心を、参加者と共振する場を作らなければならない。

授業はアクティブでインタラクティブでクリエイティビティの要素がなければ、生徒はワクワクしないし、モチベーションはアップしない。しかし、ただそれだけでは、モチベーションは持続しないし、実は生徒の才能が開花されるかどうかは偶然の成り行きになってしまう。

だからといって、リサーチやディスカッション、エッセイのトレーニングにシフトすればよいかというと、それはそれで急にモチベーションは下がり鬱屈としてくる場合もある。

逆に20世紀型の古い講義でも、モチベーションの高いクラスを形成するのは可能だと語る。

(ストラスブール大学から博士課程3年の研究生も参加。CEFRのDPを取得していて、フランス語と英語の教師の資格も持っている。高橋先生のネットワークはたしかに国際的だ)

たしかに型は、アフォーダンス的心理効果があるから、刺激的だが、それだけに頼っていると、パワースーツを着ているようなもので、すべてがなくなったときに、一人の力で地球に立てるのだろうか。

教師というのは、自分にとって都合の良い環境で授業を行うのではなく、そうでない逆境においても生徒が生きていける力を身につけられるようにプログラムをデザインするものであると。

その場においても、生きる自信、諦めない勇気を持続できるのは、サポートのない状況で、しかも限られた時間で、閉塞状況を打破する体験シミュレーションを積み上げるのが一番であると。

(同僚ディーン先生とのコラボ授業でもある)

グローバル社会でパフォーマンスとかプレゼンテーションといったとき、日本人はとかくハイコンテクストにこだわるが、どんなに質の高いストーリーもスピーチも最初の30秒で、魂を伝えられるかどうかにかかっているというのが高橋先生の持論。

そのうえで、おもしろいストーリー、そして機知にとんだオチが教養の豊かさをアピールできるのだと。

そう語りながら、スキットのグループワークをコマめに見守り、同じ意味だけで言葉を選択しているグループに、語用論的文法の視点も問いかけている。徹底的に見守り、気づかせ、考えさせる授業だ。

そして、最後はスキットのパフォーマンス。英語で語り尽くすだけでなく、ユーモアも表現。中3の後半はシェークスピアに挑戦するということだ。また見学しにきたい。

メルテムさんは、この授業に参加してこう感想を語ってくれた。

「聖学院の生徒さんは議論している時にパースペクティブが豊かだと感じました。ふだんから考えたり創作する経験が多いのでしょうね。それに、なんといっても高橋先生はリスクテーカーで尊敬します。フランスでもやはりテキストの枠内で教えることが教師にとって安全で、ここまでアドリブや想定外の考えが飛び出てくる授業を展開するのは、リスクが多すぎると言われています。」

教師というのは、何処も同じ不安や悩みを持っている。そしてその不安や悩みをクリアして、子どもといっしょに未知の世界を歩むリスクテーカーとしての教師は、これまた国境を越えて共感し合えるのだと実感した。

授業を通してグローバルネットワークができる。これぞグローバル教育の真骨頂ではないだろうか。

 

 

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