東京女子学園理事長・校長 實吉幹夫先生 疾風怒濤の精神に返る(5)

§5 根本に立ち返って議論すべき事例
 
實吉先生:自由を貫徹し、生徒が教養を身につけられる教育を実践するには、根本まで立ち返って議論して解決していくべき問題がたくさんある。
 
 

その一つが、「消費」である。私立学校は、公立学校と違い、経済活動において、「消費」の対象である。現状のアベノミクスがこの「消費」に影響を与えるわけだから、関係ないでは話はすまない。
 
アベノミクスは、マクロ的な意味でのGDPの成長を推進している。それはそれでよいが、ミクロ的には、それが「消費」にどういう影響を与えているかだ。
 
株価高と円安に焦点があたっているために、貨幣供給が中心になっている。そしてその一方でグローバル化の推進。
 
これでは、実は「消費」は停滞する。消費なき経済成長はありえないから、結果的に「消費」を活発化するために、定価が下がる。そのためには安い賃金の労働者が必要になる。グローバル化はまるでそれを促進しているようだ。そうすると、日本の雇用創造がマイナスになる可能性があると反グローバリゼーションの経済学者は論じている。
 
 
(東京女子学園のキャリアガイダンスは、生き方教育)
 
いろいろな考えがあるわけで、どれが正解かはわからない。しかし、私立学校の教育は、福祉ではないし、いわゆる消費者目線にかなった安い消費活動でもない。それは人材をある意味生産するし、そういう人材開発のために投資するという発想が重要。
 
消費と生産の拡大成長という相乗作用を生み出す場である。アベノミクスに支えられて成長しているグローバル企業を見ていると、そういう消費と生産の拡大成長という関係性を創造しようというイノベーションへの投資はなされていないのではないかと思う。
 
このような短期思考が広がる経済の制度設計では、自由を貫徹し、視野の広い洞察力ある教養を身につける教育環境をつくる私立学校にとっては厳しい環境と言わざるをえない。
 
 
(価値ある生き方を実現する進路について話し合うキャリアガイダンスのプログラム)
 
技術的なイノベーション神話があるが、19世紀から20世紀にかけての技術革新による経済成長は、21世紀には期待できないと論じる経済学者や評論家がいる。つまり、21世紀のITに代表される技術革新は、すべて20世紀までに開発されたもので、その応用をやっているにすぎないというのだ。
 
そうなってくると、技術としてのイノベーションより、教育としてのイノベーション、自由と教養の教育への投資こそ注目されてよいのでもないかと考えているわけだが、答えはいまのところでていない。21世紀にふさわしい消費と生産の経済の関係性を我々は議論しなければと思っている昨今である。
 
また、6・3・3制の見直しも審議会で議論し始まっているが、これも根本に立ち返って議論すべきことだ。
 
幼稚園から小学校に上がる段階で、あるいは小学校から中学校に上がる段階で、中1ギャップがみられるから、見直さなければという、これもまた「現象」に翻弄された議論である。
 
たしかに、中学卒業段階、高校卒業段階で、社会で仕事を見つける技術を身につけることが要請される時代がしばらく続いた。しかし、米デューク大学のキャシー・デビッドソンではないが、今まであった仕事が役割を終えて新しい仕事がどんどん誕生するこれからである。
 
 
中学卒業段階、高校卒業段階で新しい仕事に対応できる技術を身につけられるかと問われれば、難しくなってきている。この時代の変化に対応できるように学校の制度を変えるということに反対はしない。公立中高一貫校の出現も、このような時代変化に対応すべくでてきたのであろう。
 
しかし、法制定の適正手続きを取らない限り、国民全体にかかわる話であるから、既成事実を積み上げるような制度設計変更は問題である。
 
きちんと学校教育法を変えるための議論をしていくべきである。
 
その過程の中で、本当に中1ギャップは制度設計の問題なのかどうか問われなければならないだろう。
 
というのも、それはむしろキャリア教育の問題なのかもしれないからだ。現状の広く行われているキャリア教育は、どちらかというと高校卒業段階での進路先教育になってしまっている可能性がある。これは多くの教育学者が調査して報告している。
 
しかし、私立学校は、各学校の建学の精神と教育理念を礎として、各学校が有する哲学や理念を駆使して、生徒1人ひとりの自我の確立に向けた教育プログラムを創っている。
 
だから、中学1年は、入学してから夏休みまでは、小学校7年生として認識し、どのように中学生に成長していくか、とくに人間関係を築く基礎力に焦点をあて、その移行期を生き方教育のキャリア教育の一環としてプログラムを創っているのではないか。
 
だとすると、これは教育制度の設計の問題だろうか。未来からの留学生としての子どもたちが、社会にでて働きたい夢は、制度で膨らませるのではなく、自由に大局的に未来を洞察できる教養を身につける教育こそが根本的に重要なのではないか。
 
そしてこの根本的な議論ができるには、教師の資質向上は欠かせない。毎年、東京私学教育研究所が中心になって、研修を行っているのは、根本に立ち返って議論する刺激を与え、学校に返っても引き続き議論をする勇気と自信をもってもらいたいからだが、その成果はゆっくりではあるが、かなり手ごたえを感じている。研修の委員をやりたいというメンバーが各学校の一般の教師からも出てきているし、研修終了後、その時出会った教師がその後も連絡を取り合い、企画を提案してくれる。その中から実際基礎学力や教師の資質向上に関する研究会が立ち上がったケースも実績としてある。
 
経済が停滞し、どうしても短期思考になりがちな今日だからこそ、根本に立ち返る「哲学」をしっかりもって、議論していくことは重要なのだと信じている。
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