11月9日、そして14日、15日と3日間にかけて聖徳学園で国際協力プロジェクトの中間報告が行われました。このプロジェクトは、JICAの青年海外協力隊のサポートを受けながら聖徳学園の高校2年生が1年間かけて国際協力を行っていく学習です。今年は、ルワンダ、ミクロネシア、タイ、スーダン、モザンビーク、インドネシアについて、年度末の成果報告を目指し各クラスがリサーチを行っていました。 by 鈴木裕之:海外帰国生教育研究家
私が見学したのは、インドネシアを担当するクラスのプレゼンテーションです。5名ほどで構成されたチームが、インドネシアの現状をどのように捉え、そこから何を学び、何を届けようとするのかを5分間で発表します。
チームによって発表のスタイルは様々。審査員でもある校長先生に質問をぶつけてくる元気なプレゼンターもいれば、感情を抑えたトーンでインドネシアの貧困を切実に語りかけるプレゼンターもいます。スタイルが様々であっても共通しているのは「何かの役に立ちたい」という思いです。
インドネシアであれどの国であれ、基本データなどはインターネットでいくらでも集めることができます。しかしこのプロジェクトでは単なるリサーチにとどまらず、その国が抱えている問題に目を向け、同じ地球市民としてどんな協力ができるのか、またその意識をどのような行動につなげるのかというゴール設定をしているところに特徴があります。
それぞれの国が抱えている「問題」というのは、あくまでも主観というフィルターを通したものです。地域や個人によっても問題の捉え方は異なります。生徒たちは、各チームのプレゼンテーションを見て、あるいは青年海外協力隊など外部の人のフィードバックを得ながら、自分たちの問題の捉え方をリフレクションしていきます。
このプロジェクトを推進する山名先生が中間発表という場を設け、そこにこだわるのは、他者の目を通したリフレクションを体験させたいという意味があるからでしょう。プレゼンテーションの前に昼食会を設けたり、プレゼンテーションの後に学校関係者以外の人にコメントをもらう場を作ることで、生徒に外部評価というものを意識させているわけです。
ステレオタイプな見方でその国を捉えるような国際協力はかえって先進国の独善になってしまうことは、青年海外協力隊の実体験を取材することで生徒たちは学習済みです。自分達の問題の捉え方をクリティカルに考える習慣は、海外の人たちと協働していく際に必ず役立つスキルとなります。
それにしても山名先生は、プロジェクトのコーディネーターとして青年海外協力隊という外部のエキスパートとうまく役割分担をしていました。生徒たちが前向きに取り組めるようにちょっとした励ましの言葉をかけたり、時間にルーズになっているグループには、あえて順番を後回しにするなど、「仕切る」ところでは緩急自在に生徒たちをリードします。
そんなリードに助けられる面もあって、生徒たちはみな伸びやかな雰囲気で発表しています。高校生のプレゼンテーションでは、この明るさがベースにあることが大切です。チームで協力する力があるからこそ国際協力も可能になるのです。
貧困などの原因を突き詰めていけば、個々の原因に共通する構造的な問題が浮かび上がってきます。今回のインドネシアチームは、他の国を担当するチームのプレゼンテーションを見て、その問題が、実は国内にも同じように横たわっていることを見抜いていくはずです。貧困に限らず、様々な問題に同様の構造があることを理解するためには、このような横断的な学びが必要になるわけです。
こういった横断的なプロジェクト学習が可能になるのは、聖徳学園という学校全体がプロジェクト学習を進めていることに関係しています。
校長の伊藤先生は、いくつもの新規プロジェクトを外部と連携しながら進めています。それぞれのプロジェクトに推進役を立てて、見事に指揮を振っているのです。聖徳学園の生徒たちがプロジェクト学習における様々なスキルを習得するのは、こういう学校文化が働いているからなのでしょう。