八雲学園 ラウンドスクエアなグローバル教育(了)

§3 異文化で友だちを作ることの意味

国際会議も終盤に近づくにつれて、八雲生5人の目は全体を俯瞰できるようになってきたようだ。同じバラザのメンバーで、母国語が英語なのに、ほとんど主張しないメンバーもいるのに気づいた。自分たちは英語をこんなに学ばなくてはならない。もし英語が母国語だったら、言いたいことはいっぱいあるのにと思ったときもあると。
 
また、最初の2日間は、日本語ではなく英語が母国語だったらとどんなによかっただろうと何度も思ったけれど、内向的な生徒は、何も日本人に限らないということも見えてきた。"Bring Your Difference"というテーマは、文化としてのアイデンティティ以外にも、やはり個性としてのアイデンティティも外国の地でも感じられるようになってもきた。
 
 
個性という領域で、話し合える場面もだんだんでてきた。もちろん、だからといって、すぐに友達になれたわけではない。最初は話せても、長続きしない生徒もいた。個性の領域では、高校生っポイ話が多くなり、スラングも飛び交うから、はいれない時もあった。
 
一方で、アイルランドからやってきた生徒は、自分たちと同じくニューヨークに寄ってきた。共通の話題は親しくなる大きなきっかけだという。特に相手が日本の文化に興味がある場合は、それをきっかけに、互いの文化の話題に進んでいったという。渋谷は日本のタイムススクウェアなんだってと尋ねられた時には、そうではないけれどと驚いたが、そのおかげで渋谷とはどういうところなのか詳しく話すことができたのだという。
 
今回のホスト校Ashbury Collegeに留学しに来ていた南アフリカの生徒は、気温の較差に驚き、寒くてどうしようもないと話しかけてきた。日本の気候などの話もできたという。
 
しかし、何といっても、今回親しくなれたのはインド出身の生徒だったようだ。とにかく日本のアニメやタレントのことについてよく知っていた。当然話は盛り上がり、親しくなるのに時間はかからなかった。今でも、メールでやりとりが続いているという。
 
インドの生徒は、たんに親しくなっただけではなかった。最終日前日、異文化交流会があった。各学校が自分の国のアイデンティティを表現する歌や踊りを披露するパフォーマンスが繰り広げられた。
 
八雲学園は31校中26番目に登場し、手作りの衣装を着て素晴らしい歌と踊りを演じた。演技を終えるや否や、親しくなったインドの生徒が駆け寄ってきて、アメージング!と絶賛したという。
 
そんなこともあって、インドの生徒のことについての関心や興味が高まった。そして、インドから実は複数の学校が来ていることに気づいた。驚いたことに、同じインドでも全く違う文化アイデンティティを表現するパフォーマンスが披露されたのである。同じインドでも言語が違うと文化も違う。東南アジアの国々は多言語だからこそ、母国語を愛し、公用語を活用する。実際にはそうできない状況が歴史上あった。
 
 
それはともかく、日本は、今では、母国語は1つだから1つの国の文化アイデンティティは1つだと思い込んできた。それゆえ、言語と文化のつながりを当たり前だと思ってきたのだという。
 
それで、母国語が英語であればよいと願った自分たちは間違っていたことに気づいたというのだ。英語を第二外国語や公用語として話すのは一方で大事だが、母国語を大事にしなければ、文化も軽んじられる。
 
母国語がみな英語だったら、文化も一つになる可能性がある。それはあまりにつまらないし危険だ。
 
何より、友達がいかに大事なのか、それを意識することができなくなる。おそらく、今回のテーマ"Bring Your Difference"は、それぞれの特異な違いを持ち寄って、それぞれの文化アイデンティティを互いに理解しようということではなかった。
 
なぜなら、八雲学園の5人の高2生は、互いに関心があるから、友達になる入り口があるが、それだけでは、その絆は深まらない。自然体験や奉仕活動など共通体験の中でいろいろなことがあるから、それを乗り越えながら友達になっていく。
 
最初関心がなくても、関心をこちらが持とうという意識も大切だ。そこから友達になり、やはり共通体験を通して絆を深め、今もメールでやり取りしているぐらいになる。
 
1つの文化の中にだけいると、そこにいれば興味が合う者どうし、あまり努力しなくてもすぐに友達になれるし、分かれても別の友達がすぐにできてしまう。
 
しかし、異文化で、友達になろうとする互いのアプローチやコミュニケーションを積み重ね、共通体験などしたときに、新しい共通アイデンティティがたしかに互いに生まれているのだ。
 
クルト・ハーンは、あなたのアイデンティティが社会を動かすというのは危険なのだ。そのアイデンティティに同調するのが危険なことは、ハーンにとって、ファシズムの中から自分自身が亡命しなければならなかった体験から、身に染みて了解していることなのであろう。
 
そのつど、互いに努力して創り上げる新しいアイデンティティ。その友達の絆を創るアクションが、あるとき世界自身が自らナチュラルに動かざるを得ないウネリと共鳴共振共感する旋律を生み出すのかもしれない。
 
軍事力でも、経済力でも、政治力でも世界の痛みを解決することはできなかったし、できないでいる。クルト・ハーンの理念としての夢は、教育がつなぐ友達どうしの内面にできる新しいアイデンティティの連鎖にあるのかもしれない。結果的に世界が変わる。
 
"Bring Your Difference"。さて、その先あなたたがたはどうするのか?八雲生は確かに何かを感じ、考え、見つけてきたのではないだろうか。
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