共立女子 不易流行としての21世紀型教育

共立女子の入学式の型は、明治19年(1886)創立の精神を再生している。先覚者34人が発起人となり、女性に専門的知識と高度の技能を修得させ、女性の自主性と社会的自立を育成することを目的として創立されたのだが、19世紀末において、すでに理念形成それ自体がコラボレーションの型という出発点になっている。

時代の表層の変化ではなく、本質に基づきた不易流行としての21世紀型教育を共立女子の入学式にみた。

                                           by 本間勇人:私立学校研究家

中学の入学式は、あの共立講堂で行われた。壇上には、中学の教育を担当する専任の教員が勢ぞろい。この光景は、他校ではあまりない。一般には、理事長、校長、PTA会長、同窓会会長など代表者が壇上に現れる。

しかし、共立女子は、教師と生徒のコラボレーション、共に立つことが教育の理念であるから、その表現として、上記の写真のような光景になるのである。入学式の「型」には、その学校の深層に内在する精神が表出されるのである。

また、講堂に集った共同体の姿勢が、美しい礼法にかなっているのも、壮観である。しかし、これも、式が始まる前に、礼法の教師と在校生が、礼法の極意を伝授している。「型」はしかし、意匠ではなく、深層の相互に心を通じ合うトリガーであることをきちんとロゴスで継承していた。

これらの表現は、創立時にさかのぼる伝統であるが、21世紀型教育としては、コラボレーションのためにオープンマインド、ビジョンのシェアを行っていく意味を持っている。

21世紀型教育は、大量生産・大量消費を支え、そのための要素としての人材をつくてきた20世紀型近代教育の影の部分は否定するが、誠実・勤勉・友愛という普遍的な人間力育成の近代教育の光の部分を否定するものではない。むしろ、グローバルな世界に、それを語学とICTとリベラルアーツによって不易流行として伝えるものなのである。

そして渡辺校長は式辞の中でこう述べる。

さて きょうから中高一貫教育の六年間が始まりますが 古の中国の思想家である孔子の次の言葉を これからの皆さんの指針にしてほしいと思います。
 
「之を如何せん 之を如何せんと 日わざるものは 吾 之を如何とも すること末きのみ」と。
 
これはどうしよう これはどうしたら良いだろうと 常に自分に問いかけ 自分なりに 思案に思案を重ねて 努力する人間でないと 私は何も教えることができない
といった意味になるでしょう。
 
自問自答し 努力する姿勢さえあれば わたくしたち教職員は 心をひとつにして 力を合わせ新入生の皆さんや 保護者の方々の ご期待に 十分に 応えられるように 指導にあたってまいります。
 
 
ソクラテス、フッサール、ハイデガー、シュンペーターなどヨーロッパの思想に造詣の深い渡辺校長が、孔子の言葉を引用して語った。これは欧米のローカルスタンダードをグローバルスタンダードに置き換えるのではなく、東洋の発想と西洋の発想の共通する最高価値を見出そうとした、19世紀末の共立創設の先覚者の発想と共通する。
 
不易流行は式の「型」のみならず、思考の「型」によってももたらされるのである。

 

 

 

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