Created on April 6, 2017
2017年4月、再び「高校1年」の季節が巡ってきた。しかし、今年の高1は、特別な意味を時代が付与している。すでに21世紀にはいって17年も経とうとしているにもかかわらず、まだ20世紀近代社会の光と影のうちその影の部分を払拭できないどころか、ますます混迷をきたしている時代であるため、いよいよ持続可能な社会の形成に挑む最終目標グローバルゴールズに向けて新しい知を身につけざるを得ないプレ学年という歴史的位置づけを背負わされている。
2020年大学入試改革とは、たんに大学制度や入試問題の表層的な変更を意味するわけではない。高大接続が、その新しい知を生み出す契機となる「事」を意味している。同時に、その新しい知がいかなるものであるか、実際には予測不能なぐらい産業構造や科学技術、脳科学、ICT技術などが急速に進化し、日常生活の制度設計の変化の速度を超えてしまっている局面に衝突している時代でもある。2020年の前夜、その最も不安定な時代にタイムスリップしたかのような15歳が、今年の「高1生」なのである。
この近代社会の前代未聞の歴史的ウネリの響きを感じて、社会の制度設計の意志判断にいよいよ参画する直前に立つことになる高1という年齢は、いまここで特別な意味を持った高1として迎えられているわけである。しかし、その特別な意味が、自分事として受け入れられる準備ができずに、その自己決着を先送りされたまま、高校に進学するのが、今に到る日本の教育制度の常だった。それゆえ、先進諸国の中でも未来に不安を抱き自己肯定感を抱けない高1生が多いという結果になっているのではないだろうか。
だからこそ、工学院大学附属高等学校は、平方校長、高1学年主任の松山先生を中心に先生方一丸となって、この歴史的なウネリの響きを感じつつ、いまここで自己を見つめ、自己の可能性に気づき、その可能性が他者にどのような影響を与えるのかを、仲間と共に語り共感しながら、未来のビジョンを開くオリエンテーションを開始した。by 本間勇人 私立学校研究家
工学院の高1のオリエンテーションは、ヒルトン小田原リゾートで行われる。まるまる3日間、生活を共にして語り合い、議論し、自己を見つめ、他者を想い、未来の社会と自分をイメージしていく。
初日は、自分という人間を表現する漢字一文字を選択する意志決定をするところから始まった。漢字の意味と自分の想いや考え方、価値観、生き方などの背景文脈をつなげていく。自分のメンタルモデルを内側から明らかにしていくワークショップ。
しかし、この段階では、まだ自分自身が気づいていない自分を表現するには到らない。あくまで、自分の見える部分を見渡しながら、自分の目標を決め、そこからバックキャストしながら自己表現をしていく。
次のワークショップは、自分というキャラクターを分析して、チームでその結果をどう考えるか対話していく。いろいろな人間関係の問題に直面したときに自分の選択判断に迫られる。自分は躊躇して行動できないとちょっと気持ちが苦しくなる。
そのとき仲間が躊躇しているのではなくて、まずはまわりの状況や他者の状況をしっかり知ってから、次に進もうとしているのではないのかと助言する。躊躇している自分というネガティブなお思い込みを払拭して、先に進めるわけだが、このような対話の千行は、なかなかキツイ。
(ハイブリッドインターナショナルクラスのホームルームでは、クラスのビジョンを英語で共有)
しかしながら「知る」ということが、見える物だけを組み合わせて成り立つわけではないことに気づくセンシティブな過程は、仲間がいるから不安や恐怖から逃げないで立ち臨めるという大切な経験を積み重ねてける学校だということが了解できるようになっていく。
そして、なんといっても、今回は高1担当の先生方だけではなく、高校2年、3年の担当の先生方も全員がファシリテーターとして参加している。ふだん授業でPBL(プロジェクトベーストラーニング)を行っているので、チーム学習がベースのワークショップ型オリエンテーションは先生方全員による内製的なプログラムとして実行できてしまっている。
(熱く語る学年主任松山先生)
もちろん、このようなオリエンテーションのPBLは、パッションベーストラーニングという性格が前面にでてきているのではあるが。そのため、ワークショップとワークショップの間の時間や就寝前のホームルームでは、生徒のンマインドはオープンになりクリエイティブな精神が膨らむ。明日のプログラムの一部を隣のクラスと合同でできないかと、先生に交渉しにやってくるメンバーがはやくも立ち現れるシーンも生まれた。
(プログラムのヴァージョンアップの交渉にやってきている生徒)