昨年に続き、今春の卒業生たちも、それぞれ「合格体体験記」を後輩のために残しました。この分厚い冊子を編集した進路指導部主任新井利典先生は巻頭言でこう語っています。
「今年度は17名の卒業生が執筆を引き受けてくれたたため、100ページを超える大作となりました。・・・これを読む在校生は、卒業生からのメッセージだと捉え、自分の学びに生かしてほしいと思います。」
「一人一人の個性が違うように、学び方も人それぞれです。自分自身の勉強方法は、周りのアドバイスに謙虚に耳を傾けながら、自分自身で模索するしかないのです。そのことを忘れずに、先輩たちの経験を参考にしてみてください」。
Q:中高時代の部活や自分なりの学び方を模索した経験は、大学に入って生きていますか?
菅谷:そうですね。コンピュータ関連の企業に就職したいと思っているので、そのために今は、基礎的な数学や物理の勉強は継続的に行っていますね。理系の場合は、研究室に入って、そこから研究室のネットワークで就職していきますから、基礎的な学びをベースに本格的に研究していきます。そういう意味では、受験科目で数学と物理はとっていたので、直接役に立っています。また、研究という点では、ユーザーではなくつくる側の視点に立って、興味を抱いて学んでいった体験は役に立つだろうとは思います。
ただ、思っていた以上に大学の講義は難しいですね。ある意味壁です。
Q:それは新たな分野が出てきたということですか?
菅谷:そういうことではなく、高校時代と大学時代では、やはり先生方の教え方が違っているということかなと思います。高校時代は、正解の出す過程も含めてかなり丁寧に取り組むことができました。正解のない課題論文のような学びも、そうはいっても先生はアドバイスやサポートしてくれましたが、大学は丁寧には教えてもらえないですね。自分で文献を探して理解していかなければならないけれど、そもそも解答を丁寧に解説してくれている文献がないことが多いです。
だから、自分で考えたり深く探究する高校時代の学びは、役に立ちますが、高校と大学では、考えてみれば当たり前ですが、レベルが違いすぎるかもしれません。でも、それを乗り越えれば、何かが見えてくるだろうし、そうでない場合は、ちょっと困りますね。
いずれにしても目先のことだけこなして満足するような勉強は高校時代はやめたほうがよいと思いました。
早川:今、自分は法律を勉強していますが、やはり紛争のケースメソッドは、正解がないので、多角的な視点から自分で考えていく必要があります。数学を学んでいたし、受験も数学だったということもあり、論理的に考えていくという中高時代の学びは、そのまま役に立っています。
Q:法律のイメージは、判例をある程度参考にしたり、条文を暗記したりすれば、解決するという感覚なのですが、いかがですか?
早川:もちろん、判例や条文は大切ですが、紛争や事件は、パターンは似ていても、やはり違うところがあり、判例や条文を暗記したからといって、そのまま適用できるというものではありません。そんな小手先の勉強をしていくと、立ち行かなくなるという実感はあります。それにロースクールに進学する学び自体が、昔の司法試験とはだいぶ違って、かなり正解のない問題をいかに解決するかという探究に重きが置かれています。
木戸:中学のころから教師になりたいと思って、自分の部活や勉強の文武両道という信念を貫いてきたことは、やはりそのまま役に立っています。それができるには、好きなことを見つける・興味のあることを見つけることが大切だということも、今の教育の勉強の中で、間違っていなかったと確信しています。
ただ、好きなことが見つけられないとか、興味のあることがわからにという生徒が多いということもわかってきました。そのような生徒をどう導くか、今そこに一番関心があります。
Q:やはり木戸くんは、大学入学半年にして、教師としての自覚がでてきているということですね。それにしても、現役の教師もそれは難しいと思っていることでしょう。どう解決しようと考えているのですか?
木戸:ありがとうございます。それは、やはりいろいろな体験や遊びを共にしながら、対話していくことだと今は思っています。体験や遊び、学びを通して、その生徒が得意だったり、好きなことだったり、そんなところが必ず現れてくると思います。そこから出発して導いていくことができたらと思います。もちろん、どこかで手を離さなければならないのですが、そのタイミングは一人一人違うので、持続して生徒が学んでいける様子を見守ることは必要だと思います。子供たちが、新しい自分に出遭えたらよいかなと思っています。
Q:それは、木戸くん自身がロールモデルということですね。早川くんも菅谷くんの場合も同じですね。こんなに善きロールモデルの体験が、重要だとは改めてすごいなと思いました。最後に、受験勉強というのはみなさんにとっては、価値あるものでしたか?
菅谷:もちろん、ありました。自分は、追い込みという方法はとりませんでした。コンスタントに計画的に勉強していくことで、メンタル面が安定するので、時間とか計画とか大事にしていました。過去問を解いていくときも、闇雲に解くというよりも、合格点をとるためにどの問題からはじめ、極端な場合は、捨てる問題を判断する時もありました。問題の難易度を見極めることは重要でしたね。時間配分と優先順位を念頭に置いていたのだと思います。
早川:自分の場合は、菅谷くんのように、コツコツやるタイプではなく、やる時はやるし、やらない時はやらないというタイプでした。さすがに、高3のバレーの部活を6月に終えたときからは、追い込みをかけました。自分は、英語は中学のときにすでに英検2級をとっていたので、油断したというコトもあります。
数学は得意というほどではなかったですか、社会に比べればなんとかなるなと思っていたので、数学に力を入れました。英語の成績もがくっと下がった経験もして、得意科目でもちゃんと勉強しなければということを学びましたね。現代文に関しては、しっくりこなかったという意識がありました。そういう意味では、受験勉強は自分を知る意味でとても価値があったと思います。
木戸:自分は国公立を目指していましたから、センター試験一筋で学びました。センター試験は英語の方が現代文より攻略しやすかったですね。英語の長文と現代文の長文の問いの作り方が違っていて、英語の方がより客観的な理解を促す問いが配列されているのに、現代文は、作問者の意図がどうしても反映していて、それを見抜くということが必要になります。
早川:そうだと思う。論文を書く場合は、フォームがあるし、自分の考えを展開していくからやりやすいけれど、現代文の読解は自分と作問者のズレがあるときがありますよね。
木戸:そうなんです。作問者もできるだけ、客観的に作成しているとは思いますが、100%、意図を排除することはできないと思います、だから、もっと自分の考えを論述するような問題が出題されるような改革の方向性はいいのではないかと思います。
菅谷:問題の難易度の妥当性というのもあります。自分は、そういう観点で思い切って捨てるという判断を大事にしたと思います。
Q:そんな批判的な分析ができたというのは受験勉強は価値があったということですね?
早川:クラスの友人と、学びの方法や入試問題の分析方法をよく話し合いました。そういう価値は得難いと考えています。高校の勉強が意味があるかという疑問についても話し合ったことがあります。目の前の受験勉強を避けないで、そこを通して、自分で考える学びを見つけられると考えます。
木戸:やはり、部活動と受験勉強の文武両道という体験は、大切で、いろいろな人間関係や自分の技術をどう向上させるかなど、考える機会はいっぱいあります。受験勉強の向こうにあるものが価値がありますね。
菅谷:自分の好きなことから、学んでいくという体験は裏切らないと思います。受験勉強を通して、自分のやりたい道を探して欲しいと思っています。