PBL

第2回 21会カンファレンス 開催 (1)

5月30日(金)富士見丘学園に21会メンバー校の先生方が結集した。都心のビル群が一望できるラウンジで、21会会長で富士見丘学園理事長校長の吉田先生が、静かに、しかし力強い決意とともに、21会と私立学校の精神を語った。 by 松本実沙音 :21会リサーチャー(東京大学文科二類) & 鈴木裕之:海外帰国生教育研究家

開会に先立ち、総合司会の菅原先生(八雲学園)と本橋先生(聖学院)は、21会内部の参加者だけでカンファレンスを行うことの意義について、「21会の考え方、目的、これからどういったことをやっていくのかということを会員校の中で共有していく機会」と位置付け、この日のカンファレンスで経験したことを各学校に持ち帰って広げてほしいというメッセージを送った。そして、会場が21世紀型教育に対する期待感に包まれた中、富士見丘学園の吉田理事長校長の開会挨拶が始まった。

「21会の真骨頂」 吉田晋会長(21会会長・富士見丘学園理事長校長)

全体挨拶において吉田先生は、特別な催しを行うときに利用するペントハウスラウンジに21会校のメンバーをお招きすることができて大変嬉しいと率直な気持ちを真っ先に表現した。21会校メンバー校を身内として歓迎したのだ。そして身内だからこそ話せる本音で語ってほしいという思いも同時に表明した。

中教審の委員でもある吉田先生は、これまで公立の学校に様々な提言をしてきた経験から、21世紀型の教育はやはり私立学校でしかなしえないことであると痛感している。どれほど制度改革が行われても、理念や継続性のないものは、結局最後にダメになってしまう。そうした思いから、私立学校、そして21会という有志が強く連帯していくことへの期待を表明したのである。

自分だけ、自校だけという精神は、学校の本来的な姿ではない。21世紀の社会を考えれば、私たち自身が持つべき価値観が教育内容として問われてしまうのだというメッセージである。私立学校が6年一貫教育やグローバル教育などにおいて公立のモデルとなってきたことを誇りとしつつ、これからは私立学校全体がより高め合っていく関係を構築していくことの必要性を訴えた。

21世紀型教育を推進する自分たちがまずは開かれた価値観で連帯していこうとするところは、まさに吉田先生が21世紀私学人たる所以である。

この場に集うメンバー校の想いを確認するところから、第2回21会カンファレンスは開始された。

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工学院 PIL×PBLを全面展開へ(3)

PIL×PBLの授業のプロトタイプづくり始まる

カリキュラムイノベーションチームは、議論をしているだけではない。同時に自らの授業でPILとPBLの授業のモデルやプロトタイプづくりも行っていく。生徒の学力をさらに伸ばすために、当然その結果として、大学進学実績が伸びるようにという信念は当然固い。

国語科主任の斎藤先生は、高2の「古典常識」という授業で、PIL×PBL授業に挑戦した。古典常識の知識を記憶するだけではなく、そこから日本の文化や生活の何が見えるのか、異文化とのつながりがどう見えるのか、生徒の世界を読み解く眼を養う授業となった。本来の古典の勉強と同時に、大学入試における古典の問題で得点も取れるような一挙両得の授業デザインとなった。

プロトタイプづくりには、3時間の授業を活用した。齊藤先生とパートナーが授業に参加し、授業終了後、プロトタイプのデザインついて議論し、改善していくというプロセス。1時間目は、まずはいつもの授業スタイル。そこにPBLにシフトするタイミングがあるかどうか確認するところから始めた。

1時間目は、いつもの授業であったが、すべてIDO/YOUHELP(Iは教師、YOUは生徒)の問答で構成されていた。生徒は資料を調べながら、ワークシートに答えを書き込んでいく。そのとき、齊藤先生は、資料のどこに書いてあるかを問うのではない。午前や正午の中に生き続けている江戸の時間を表示する漢字はあるか、そのことは何を意味するのか問いかけていく。

そして、生徒の側から、文化も生活も違っているのに、なぜ今の文化に昔の暦や行事のなごりがあるのか質問がでる。そのとき、齊藤先生は、その質問については2時間目以降考えていこうと提案して授業を終えた。

授業終了後、齊藤先生も見学していたパートナーも、手ごたえを感じた。今回はYOUが単数だったけれど、あれがYOUたちという複数に問いかけられれば、ピアインストラクションやプロジェクト型の授業(PIL×PBL)に即シフトできる。しかも、生徒自身が問題を発見しているのだから、興味・関心・好奇心がわいているところからスタートできるタイミングであると導かれていった。

2時間目も最初の時間は、生徒が自分で調べてワークシートに書き込んでいく作業を行いながら、ますます今と昔の違いに興味をもち始めたところで、では、使う時期などは違うけれど、暦が存在していることは共通なのだから、まずはその暦の共通点から語り合うことにした。2時間目終了後、齊藤先生は、生徒のワークシートから情報を収集して、テータを整理した。

そして3時間目を迎えた。いよいよ考えを深める問題から出発。ただし、自由に話し合いなさないではなく、理由をまず考え、それからその理由の理由を考えるというように、ハードルを二段階にわけた。また、全員が考える機会を確保するために、まずは各人の考えをポストイットに書き込み、それをシートにはりつけてから、チームの意見をつくるために議論をしていった。

さらに、それらの議論を通して、今後日本とグローバルな社会について考える時に、大切な対概念について議論し、プレゼンすることになった。

授業終了後の齊藤先生とパートナーとの振り返りの対話では、生徒たちが古典常識の言葉の背景を議論していく過程で、根本的にぶつかり合う、「普遍と特殊」「社会と個人」などの人間や社会の本質的な問題に到達したことを確認。そして、ここまできたときに、はじめて教科横断的なカリキュラムが組めるというヒントも得た。

プロトタイプを構成する要素としては、シークエンス、テキストや問いなどのリソース、学びの道具、そしてなんといても、生徒がどんな知識をどこまで掘り下げることができたのか評価できる思考コードをいかに組み合わせるか、1つのモデルを提示できるのではないかというところまで、一気呵成に上昇気流に乗った。

 

工学院 PIL×PBLを全面展開へ(2)

カリキュラムイノベーションチームはPBL型開発

知的なプログラムの開発をするときには、まずはビジョンを共有する。ただし、その段階でのビジョンは、ある程度の共有はするが、未規定性のままの仮説。試行錯誤の開発が進むにつれて細かいところは変わっていける柔軟な「アソビ」は残すということのようである。

工学院が目指す21世紀型教育のビッグピクチャーは絵としては出来上がっている。しかし、≪GIL≫(グローバル、イノベーション、リベラルアーツ)の一般的な意味は、すでに20世紀末にも語られているが、2007年以降、あるいは3・11以降、それらの概念は、再び意味が変わってきていると言われている。まずはその確認からディスカッションは始まった。

メンバー1人ひとりの言葉は、当然違うが、ある程度方向性は共通していた。

自分のローカルな知識も認め、世界の知識もまざりあえるようになる。

well-rounded education

双方向型・共同作業型によって、生徒が自分で課題を見つけ解決していける教育改革

従来の大学入試のみに求められる教科ではなく、教科間の枠組みを超えた学びの提供

などなど活発に議論がなされ、その都度プレゼンしながら、共有の作業が続いた。

同様に、≪GIL≫を実現する21世紀型スキル(問題解決能力、チームワーク力、批判的思考力、コミュニケーション能力、情報リテラシー)についても、ディスカッションそしてプレゼンテーション。

こうして校訓そしてビジョンを共有するディスカッションをしたときに、それがディスカッションとして成立していると評価するのはいかにして可能か?スタイルとしてディスカッションしているだけだったのか、あるゴールに向かってディスカッションはできたのか。コマ目に「振り返り」をいれる「メタディスカッション」も挿入されていた。そんな折、成長や発達のキーワード「アウフヘーベン」という言葉が発せられた。

カリキュラムイノベーションチームの多くは、昨年国際バカロレア(IB)のワークショップ型研修に参加してきている。そこで、教師中心主義でもなく生徒中心主義でもなく「学習者中心主義」であるという理念は工学院の構えに共通していると感じて帰ってきた。

つまり、生徒のみなならず、教師も共に学びながら、互いに成長していく学びの環境こそ21世紀型スキルが実現する学びで、≪GIL≫を形作る大きな構成要素であると。「アウフヘーベン」という用語は、そのような発想のIBの基本的な哲学の根っこにある考え方である。日本の教育では、今ではすっかり使用されなくなった言葉だが、その概念は、発達心理学や認知心理学の中で生きている。そんな話も出た。

そして、結局「アウフヘーベン」の概念にしても、発達心理学や認知心理学における発達の概念にしても、大事なことはどの段階に成長したり発達したりしているのかをとらえる「クライテリア(基準)」が、明快でない限り、どこでどんな質問を投げかけたり、生徒どうし教え合ったり(PIL)、ディスカッション(PBL)したりするチャンスをつくるか判然としないではないかということになった。

一方通行的に知識を教えている講義型授業では、生徒が「知識」をどこまで記憶したのか、それを測っていればよかったのだが、「知識」をどのように組み合わせ/組み替えるのかまで考慮に入れると、その段階を予め想定しながら、教師と生徒がどの段階まで発達したのか拠って立つ指標や基準、つまり評価コードが新たに必要になってくる。

それを「思考コード」(現状では未知のままのX codeである)という名で、工学院独自のそれでいてグローバルスタンダードに通じる、ハイブリッドなグローバル教育を開発するのがカリキュラムイノベーション開発メンバーの使命であるという地平が広がったのである。

 

工学院 PIL×PBLを全面展開へ(2)

カリキュラムイノベーションチームはPBL型開発

知的なプログラムの開発をするときには、まずはビジョンを共有する。ただし、その段階でのビジョンは、ある程度の共有はするが、未規定性のままの仮説。試行錯誤の開発が進むにつれて細かいところは変わっていける柔軟な「アソビ」は残すということのようである。

工学院が目指す21世紀型教育のビッグピクチャーは絵としては出来上がっている。しかし、≪GIL≫(グローバル、イノベーション、リベラルアーツ)の一般的な意味は、すでに20世紀末にも語られているが、2007年以降、あるいは3・11以降、それらの概念は、再び意味が変わってきていると言われている。まずはその確認からディスカッションは始まった。

メンバー1人ひとりの言葉は、当然違うが、ある程度方向性は共通していた。

自分のローカルな知識も認め、世界の知識もまざりあえるようになる。

well-rounded education

双方向型・共同作業型によって、生徒が自分で課題を見つけ解決していける教育改革

従来の大学入試のみに求められる教科ではなく、教科間の枠組みを超えた学びの提供

などなど活発に議論がなされ、その都度プレゼンしながら、共有の作業が続いた。

同様に、≪GIL≫を実現する21世紀型スキル(問題解決能力、チームワーク力、批判的思考力、コミュニケーション能力、情報リテラシー)についても、ディスカッションそしてプレゼンテーション。

こうして校訓そしてビジョンを共有するディスカッションをしたときに、それがディスカッションとして成立していると評価するのはいかにして可能か?スタイルとしてディスカッションしているだけだったのか、あるゴールに向かってディスカッションはできたのか。コマ目に「振り返り」をいれる「メタディスカッション」も挿入されていた。そんな折、成長や発達のキーワード「アウフヘーベン」という言葉が発せられた。

カリキュラムイノベーションチームの多くは、昨年国際バカロレア(IB)のワークショップ型研修に参加してきている。そこで、教師中心主義でもなく生徒中心主義でもなく「学習者中心主義」であるという理念は工学院の構えに共通していると感じて帰ってきた。

つまり、生徒のみなならず、教師も共に学びながら、互いに成長していく学びの環境こそ21世紀型スキルが実現する学びで、≪GIL≫を形作る大きな構成要素であると。「アウフヘーベン」という用語は、そのような発想のIBの基本的な哲学の根っこにある考え方である。日本の教育では、今ではすっかり使用されなくなった言葉だが、その概念は、発達心理学や認知心理学の中で生きている。そんな話も出た。

そして、結局「アウフヘーベン」の概念にしても、発達心理学や認知心理学における発達の概念にしても、大事なことはどの段階に成長したり発達したりしているのかをとらえる「クライテリア(基準)」が、明快でない限り、どこでどんな質問を投げかけたり、生徒どうし教え合ったり(PIL)、ディスカッション(PBL)したりするチャンスをつくるか判然としないではないかということになった。

一方通行的に知識を教えている講義型授業では、生徒が「知識」をどこまで記憶したのか、それを測っていればよかったのだが、「知識」をどのように組み合わせ/組み替えるのかまで考慮に入れると、その段階を予め想定しながら、教師と生徒がどの段階まで発達したのか拠って立つ指標や基準、つまり評価コードが新たに必要になってくる。

それを「思考コード」(現状では未知のままのX codeである)という名で、工学院独自のそれでいてグローバルスタンダードに通じる、ハイブリッドなグローバル教育を開発するのがカリキュラムイノベーション開発メンバーの使命であるという地平が広がったのである。

 

工学院 PIL×PBLを全面展開へ(1)

工学院大学附属中学校・高等学校(以降「工学院」)の校長平方邦行先生は、工学院の目差す21世紀型教育を実行するとは、授業改革をおいて他にないという信念を学内外の先生方、生徒、保護者にことあるごとに語る。

知識を伝え、記憶するだけの20世紀型教育から、知識そのものも吟味しながら、知識と知識を組み合わせたり、組み替えたりしながら、自ら発見した問題を解決していくIB型思考力はいかにして可能か。それは米国ハーバード大学やMITなどが先進的に開発してきたPILやPBLの授業の本質を踏まえた授業改革によって可能になると。

今年一年かけて工学院の先生方が、校長と共に一丸となって研究に取り組む。日本の教育が変わる瞬間をドキュメンタリー風に追跡取材していく。by 本間勇人:私立学校研究家

PIL及びPBLという授業システムを開発する時に、大事なことは何であるか?これを抜きに組み立てていくと、先生方の個性が発揮されないし、自在に授業が回転しない。枠にはめられる感じがするからである。道具やアイテムは、使いこなせなければただの廃棄物に過ぎない。

そこで、先生方は、外にテクニックを求めるのではなく、まずは自らの内を観察することから始めた。

たとえば、4月に新中1が入学してきた時、まずは工学院の理念をロゴス化した3つの校訓「挑戦・創造・貢献」をどのように生徒と共有するのか、してきたのか振り返る。

まずは、学年主任であり、社会科主任であり、今回のPIL×PBL授業の開発のメンバーである松山先生は、「学年だより」で、3つの校訓を中1やその保護者に近づきやすい言葉に「置き換え」て伝えた。この行為は、PIL×PBL授業では、重要な最近接発達領域の共有の営みである。ハードルを低くしながら、生徒が自分なりに考えて乗り越えることができるように問いかけているのである。

松山先生は、オリエンテーションにおいて、まずは≪one for all all for one≫の体験から、前に踏み出すアクションの大切さ、壁をいかにして乗り越えるか考え抜く力の大切さ、仲間を助けることの大切さを実感できるようにプログラムを設計していく。

体験、実感、関心、好奇心・・・から学びが旅立たなければ、モチベーションは内燃しない。

最初の学年のロングホームルームでは、生徒1人ひとりが今年1年の想いを漢字一字にこめてプレゼンするところから始まった。松山先生も2012年の4月に「祈」という漢字から始めたというデモンストレーションを行った。

すると、生徒はそれが東日本大震災を踏まえていることにすぐに気づきグーッとこのイベントに集中していった。興味・関心が、魂に触れたときに湧き上がる。その雰囲気が教室に広がった。

このプログラムは、教科の授業ではないが、ある意味教科横断型の授業だとすれば、PIL×PBL授業の本質を共有している。

しかも、このプログラムは、平方校長が就任する以前から行われていた。ということは、PIL×PBL授業の本質は「暗黙知」として工学院には存在していたことになる。

このように、暗黙知として存在しているPIL×PBL授業の本質と通じるものが、学内でどこまで広がっているか、シェアする研究が始まったのである。

 

工学院 PIL×PBLを全面展開へ(1)

工学院大学附属中学校・高等学校(以降「工学院」)の校長平方邦行先生は、工学院の目差す21世紀型教育を実行するとは、授業改革をおいて他にないという信念を学内外の先生方、生徒、保護者にことあるごとに語る。

知識を伝え、記憶するだけの20世紀型教育から、知識そのものも吟味しながら、知識と知識を組み合わせたり、組み替えたりしながら、自ら発見した問題を解決していくIB型思考力はいかにして可能か。それは米国ハーバード大学やMITなどが先進的に開発してきたPILやPBLの授業の本質を踏まえた授業改革によって可能になると。

今年一年かけて工学院の先生方が、校長と共に一丸となって研究に取り組む。日本の教育が変わる瞬間をドキュメンタリー風に追跡取材していく。by 本間勇人:私立学校研究家

PIL及びPBLという授業システムを開発する時に、大事なことは何であるか?これを抜きに組み立てていくと、先生方の個性が発揮されないし、自在に授業が回転しない。枠にはめられる感じがするからである。道具やアイテムは、使いこなせなければただの廃棄物に過ぎない。

そこで、先生方は、外にテクニックを求めるのではなく、まずは自らの内を観察することから始めた。

たとえば、4月に新中1が入学してきた時、まずは工学院の理念をロゴス化した3つの校訓「挑戦・創造・貢献」をどのように生徒と共有するのか、してきたのか振り返る。

まずは、学年主任であり、社会科主任であり、今回のPIL×PBL授業の開発のメンバーである松山先生は、「学年だより」で、3つの校訓を中1やその保護者に近づきやすい言葉に「置き換え」て伝えた。この行為は、PIL×PBL授業では、重要な最近接発達領域の共有の営みである。ハードルを低くしながら、生徒が自分なりに考えて乗り越えることができるように問いかけているのである。

松山先生は、オリエンテーションにおいて、まずは≪one for all all for one≫の体験から、前に踏み出すアクションの大切さ、壁をいかにして乗り越えるか考え抜く力の大切さ、仲間を助けることの大切さを実感できるようにプログラムを設計していく。

体験、実感、関心、好奇心・・・から学びが旅立たなければ、モチベーションは内燃しない。

最初の学年のロングホームルームでは、生徒1人ひとりが今年1年の想いを漢字一字にこめてプレゼンするところから始まった。松山先生も2012年の4月に「祈」という漢字から始めたというデモンストレーションを行った。

すると、生徒はそれが東日本大震災を踏まえていることにすぐに気づきグーッとこのイベントに集中していった。興味・関心が、魂に触れたときに湧き上がる。その雰囲気が教室に広がった。

このプログラムは、教科の授業ではないが、ある意味教科横断型の授業だとすれば、PIL×PBL授業の本質を共有している。

しかも、このプログラムは、平方校長が就任する以前から行われていた。ということは、PIL×PBL授業の本質は「暗黙知」として工学院には存在していたことになる。

このように、暗黙知として存在しているPIL×PBL授業の本質と通じるものが、学内でどこまで広がっているか、シェアする研究が始まったのである。

 

戸板 もうひとつのPBLに挑戦

戸板の市川先生のピアインストラクションを導入した授業は、すでに紹介したが、今回はPBLを活用して授業を行うと聞き及んだので、再び見学させていただいた。

プロジェクトベース学習を、1時間の授業の中にどのように導入するのかと思っていたところ、今回はもう1つのPBL,つまりプロブレムベース学習だった。知識を講義するときと、知識をリンクするために時代を読む授業をするときと、授業のデザインをPILやPBLに自在に切り替える市川先生。なぜそんな器用なことができるのか、その理由について追求してみた。(by 本間勇人:私立学校研究家)

トリガークエスチョンの二重性

クラスに投げられた問いは「聖徳太子が中央集権国家を目指したのはなぜか?」という歴史の問題。考察するために、まずは4つの国内の時代事象と4つの隣国の時代事象を並べ替えリンクする問題を出した。大きな問題を考える時に、歴史的因果関係を予測するところからはじまったわけである。

今回は、この8つの時代事象については、これから習う内容で、生徒にとっては未知の領域。しかし、すでに古代国家成立の過程は習っているわけだから、時代のダイナミズムのプロトタイプはおぼろげながらできているはずだと市川先生は説明してくれた。

すなわち、今回のトリガークエスチョンは、聖徳太子の時代の知識のつながりを理解する問題であると同時に、歴史のダイナミズムのプロトタイプを考える二重性が仕掛けられていたのである。問題それ自体を解決する思考と他の時代の問題を解くときに応用可能なプロトタイプを見出す二重性。

しかし、この二重性をコンコンと説明するや、どちらも知識になり、結局はほとんどの場合、へえーで終わり、応用がきかない。

ワールドカフェ風に

そこで、市川先生は、ワールドカフェ風にチームで対話しながら考えていくプログラムをデザインした。互いに考えを交換しながら、チームの統一見解をつくる。そこでかなり、歴史のダイナミズムが見えてくるのであるが、議論は多様な方がよい。

だから、次に、各チーム1人ホストを残し、メンバーがそれぞれ違うチームに、情報収集しにいく。自分たちの考え方より説得的な情報を持ち帰るためだ。

このワールドカフェ風の対話の特徴は、誰が正しいのかわからないということだ。ただひたすら議論を続けることで、より説得的な論理ができあがっていくのである。

ボームの対話理論

議論をしていけば、説得的な論理が自然と生まれてくるとは、20世紀型教育では、信じ難いし、無責任な授業のように思えるかもしれない。しかし、ワールドカフェのワークショップの背景理論である量子力学者デヴィッド・ボームの「ダイアローグ」によれば、余計な力が介在しない方がコヒーレント(一貫した)な理論が見えてくるのである。量子力学的な化学反応理論同様の発想である。

また、ワールドカフェの社会学的基礎であるハーバマスのコミュニケーション行為の理論によれば、20世紀型コミュニケーションは戦略的でそれはシチズンシップベースのコミュニケーションにシフトする必要があるのである。

この学問的見識を検証するかのように、市川先生のPBL型授業は、生徒たちを説得力ある歴史のプロトタイプを見出す論理に導いている。

アイデンティティを生成する対話

それにしても、戸板が進化するぞと宣言して3か月も経ていない。それなのに、どうしてこのような授業にチャレンジできるのだろうか。市川先生は、生活指導部長でもある。それで、こう語る。

生活指導の一番の目的は、生徒自身が、自らのアイデンティティに行きつくことです。そのためにワールドカフェ風の対話をすでに取り入れていました。そこですでに手ごたえを感じており、日々の具体的な現象に直面している自分の中に生徒たちがより高次のアイデンティティを見いだしていくことと個々の歴史的事象の背景にある歴史のダイナミズムのプロトタイプを見出す知性は同じだと直感したのです。ですから授業のデザインそのものは今まで実践してきたことなのです。ただ、それを教科に応用してみようとは思ってもみなかったですね。

高次な対話は、横断的な知性を養うのにこれほど有効なのである。市川先生の授業はそれを証明した。そして高次思考は数学にすぐに飛び火した。数学の授業でもPBLを導入し始めたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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文大杉並 「感動」を支える PBL型の学び(3)

英語科の窪田先生からは、英語コースの特色である英語劇(Drama)について話を伺った。Dramaは、ただ英語を暗記すればできるというものではない。台詞がリアリティを持つためには、役作りをする中で、その人物の考え方や、文化・時代背景について、深い理解が必要になるのだという。
 
 
 
 
 Dramaを指導するネイティブの英語教員は、配役についてのイメージを、リハーサルを通して固めていく。生徒はそれが分かっているから、先生に働きかけることもするし、仲間同士で教え合ったり、支え合ったりもする。
 
 当然劇には主役もいれば、端役もある。裏方を担当する者もいるのだが、それぞれの役割を果たしながら全員で一つの劇を作り上げることがポイントだという。時には演出の仕方を巡って先生と生徒が白熱の議論を交わすなど、劇のセリフだけではなく、自然に英語を使う場面が多くなるようである。
 
 ここにはやはり文杉の学びの特長が表れている。すなわち、講義などで知識を得るタイプとは異なる学び、いわゆる参加型の学びが組み込まれているのだ。しかもDramaではテーマが無尽蔵にあるわけだから、究極のPBLと言ってよい。
 

 かつてはディベートを行っていたというが、より感情を込められるということから、ディベートからDramaに変わったという経緯があるらしい。このあたりも文大杉並らしさと言えるであろう。
 
 ディベートもDramaも、古代ギリシアに源流を持ち、相手に何かを伝えるアートという点で共通している。論理に訴えることを重視するディベートよりも、感情に訴えるDramaは確かに文大杉並に相応しい取り組みだったのかもしれない。校長の語った「感動の教育」、教頭が触れていた「感性」、そして窪田先生の「英語劇」が一つの筋として私の中でつながってきた瞬間だった。
 
 文化祭の出し物として有名なファッションショーもまた、同じ文脈で見ることができる。それはイベントがPBLとして機能しているということである。そのPBLが感動を引き出し、文大杉並の教育のエンジンとなっているのである。
 

文大杉並 「感動」を支える PBL型の学び(2)

青井教頭先生は、文大杉並の生徒の特長を一言で表現するなら「感性」という言葉に集約されると語った。それは、文化学園大学が、服装や建築や文化といった「アート」を重視していることに由来するのかもしれないが、一方で、中高で経験する豊富な海外研修プログラムとも大きく関係しているのである。

 

 青井先生は文大杉並の海外プログラムを広げてきた立役者である。修学旅行での学習プログラムやイギリス・カナダの語学研修、ホームステイなどをコーディネートしてきた。パリのユネスコ本部で活躍している日本人の話を聞く、というキャリア教育プログラムなどもその一つである。

 そんな青井先生が注目するのは、海外から戻ってきた生徒たちの豊かな感性である。パリの修学旅行でも、街並みの中でさりげなく見えるおしゃれに対する感覚は非常に鋭敏だという。パリから戻ってくると、美術の時間に描く絵の色使いも変わってくるのだそうだ。

 確かに、図書館などの学習空間のレイアウトひとつ取ってみても、おしゃれで居心地のよいデザインになっている。それも文杉の生徒の美的感覚の鋭さを物語っているのであろうか。

 
 本の貸出率もディスプレイの仕方によって、10倍も変わってくると青井先生は語る。
 
 また、卒業生のTA(トータルアドバイザー)が待機しているオープンスペースも、かつて教室の中で実施していた頃よりも生徒の集まりがよくなったとのこと。それだけ「感性」に響くかどうかが重要なファクターであるということ。
 
 
 青井先生の話を聞いていて感じるのは、主役は生徒であるという、徹底したホスピタリティの精神である。生徒を固定的に捉えていないから、生徒は逆に生き生きとしてくるのであろう。修学旅行などでは、必ず事後アンケートを取り、評判の良かったイベントは何か、といった振り返りをしている。つまり、生徒の「感動」×「体験」をプロデュースする仕掛け人的存在なのだ。
 
 さらに青井先生はこのような研修旅行などの学びを、どのように生徒に表現してもらうかを来年に向けて構想中であるという。論文集になるのか、写真などの展示やポスターセッションになるのか、はたまた生徒によるプレゼンテーションになるのか、非常に楽しみである。プロ顔負けのファッションショーをデザインする文杉のことであるから、「プレイフル・ラーニング」的な意味での学びが展開されるに違いない。
 
 来年度は中学部でグローバルコース、平成27年からは高校でインターナショナルコースが開設される。インターナショナルコースでは、ダブルディグリーの取得が可能になるということなので、グローバル教育に対する文大杉並の勢いはまだまだ続きそうである。

 

文大杉並 「感動」を支える PBL型の学び(1)

文化学園大学杉並中高(以降「文大杉並」、または「文杉」)の建学の精神は「感動の教育」である。生徒の心に感動があるからこそ、思いやりや尊敬も育まれ、生きることの意味も感得されるという。そのような感動を生み出す文大杉並の教育の根底には、PBL(プロジェクト・ベースド・ラーニング)型の学びが浸透している。松谷校長、青井教頭、英語科の窪田先生にお話を伺った。(by 鈴木裕之:海外帰国生教育研究家)

 

感動の教育

 松谷校長は、長らく文大杉並テニス部の顧問を務め、経験も実力もほとんどゼロに等しかったテニス部を全国一のレベルに導いた立役者である。そこで経験したであろう苦労や感動の数々はとてもここに書ききれるものではないが、あえてその凄さの手がかりを松谷校長自身の言葉に求めるならば、「同じ高校生を相手にするのだから、能力が大きく違うわけではない。最後は精神力の差になる。そして、その精神力は日々の練習によってのみ鍛錬される」と喝破する点にある。
 当然であるが、厳しい練習に生徒がついてくるためには、指導する側に、それだけの魅力や引きつける力がなければならない。生徒に日々感動を与える力を教師自身が有していないと、生徒は途中で挫折してしまうかもしれない。校長はかつての経験を次のように振り返る。
これまで何度も壁にぶつかってきたし、逆に生徒に教わったこともある。決勝戦で敗れてしまった翌朝、テニスコートの近くの宿舎で寝ていると、ボールの音がポンポンとする。昨日敗戦でうなだれていたはずの生徒が、来年こそ勝ちましょうと言ってきて励まされたこともあった。諦めない気持ちを教わり、実際にその翌年に優勝することができたのです。
 松谷校長は、スポーツでも勉強でも面白さを伝えることが結局は強くなることにつながるのだ、と語る。そして、いよいよ校長として、授業にもリーダーシップを発揮し始めたと周囲の先生は期待をもって話してくれた。それは、生徒の「学ぼうとする力」に働きかけることである。

 

「学ぼうとする力=興味と関心」を引き出すPBL型の授業

 文大杉並では、学びを「学ぼうとする力」「学ぶ力」「学んだ力」という三つの側面から捉えている。そして「学ぼうとする力」を伸ばすために、授業の最初の5分間に必ず生徒の好奇心を引き出す工夫をするように徹底されているのだそうだ。一見シンプルな工夫であるように思うが、校長がリーダーシップを取ってこれを実施していることの意味は大きい。というのも、授業をする先生にクリティカルな視点が埋め込まれ、そして、それが個人技ではなく、システムとして機能するようになったことを意味しているからである。

 授業という場は、ともすると誰も口を挟めない聖域になりがちである。凄い授業を行う先生がいても、それがなかなか他に波及しないことがある。システムになるかどうかはひとえにリーダーにかかっていると言ってよい。その点、かつてテニス部を全国レベルに導いた松谷校長の手腕は折り紙つきだ。信頼をベースに進めるリーダーシップの手法は、確実に文大杉並の先生方に浸透しつつある。

 松谷校長の考えが浸透しているとすぐに分かったのは、実際に校舎内の授業を見学させていただいた時である。ある中学校1年生の国語の授業では、自分が調べた漢字の意味を黒板に書き、皆の前で発表していた。また地理の授業では、生徒の興味を引き出すためのビデオを流していた。英語の授業でも、映画の1シーンを流して、そのセリフに使われているワンフレーズから英文法を学ぶなどといった工夫が行われるという。生徒の「学ぼうとする力」を引き出そうとすれば授業は自ずとPBL型になっていくわけである。

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