授業と特別教養講座の接点
池末先生の高3の地理の授業は、チームに分かれてディスカッションし、チームごとにプレゼンするスタイルだった。
その授業を桑子先生も見学されていたので、このタイプの授業は共立女子では多いのですかと尋ねたところ、「私の授業でも、このスタイルが多いですね。他の先生方も良く活用していますが、科目や単元によっても違うでしょうね。しかし、このタイプの授業に対する抵抗感はないですね。生徒の興味付けや成長に役立つことが第一でしょうから」と、常に生徒が主役であることが伝わってきた。これは特別教養講座でも大切にされていることである。
今回の授業では、埼玉、千葉、東京と生徒の居住地によってチームが組まれていた。調べ学習の時間はないので、日々身近に体験している地域の知識をフル動員して、地図をみながら地下鉄や私鉄、JR各線の改善提案をするという内容だった。
地図と体験を対照しながら、そこで生活する人々のイメージを話し合い、どのように改善すると幸せな生活を描くことができるのかという学び。
エリアは同じでも、住所までは同じでないから、共通の体験と異なる体験を持ち出し、検討していた。特別教養講座では、この部分は事前学習やフィールドワークということになるだろうから、外に出ないでシミュレーションする違いはあるが、やはり授業と特別教養講座には接点があることは明白だった。
また、プレゼンのための内容編集には、「普遍性」「自分の経験」「テーマの説明」「事例」「賛否」「どう思う・どう考える」などのプレートが黒板に貼ってあり、それを並べ替えれば整理しやすいようになっていた。また、並べ替える時のつながりを明確にするために接続語もヒントとしてあった。
この編集のためのプレートは、金井先生によると、高校では総合学習で小論文を学ぶときに同じように活用されているということだった。同校の英語の使用教科書から推測するに、英語もパラグラフライティングとして、同質の型を学んでいることだろう。こんなところにも教科横断型の接点が埋め込まれていた。
しかし、重要なことは「型」の有無ではない。その「型」が束縛になるもしれないし、解き放つきっかけになるかもしれないというリスク感覚を教師が持っているかどうかである。教師と生徒は、操作性と創造性のバランスの関係にある。操作性にかたよると、興味付けや楽しさは失われる、生徒の創造性や思考力を阻害する。
創造性にかたよると、楽しさがファニーに変質し、自分の興味と関心以上にジャンプできないという情況に陥る可能性もある。
池末先生は「プログラムは創らなければならないし改善は当然ですが、生徒の発想や調べ方、考える過程は、できるだけ筋書きを描きたくないんです。今やっている特別教養講座は、筋書きは描いていないので、だから楽しいということもあるけれど、7年目になって、プログラムは定着したので、そろそろ次の段階へとも感じているのです。今のところはまったくアイデアはないのですが(笑)」と語る。
教師の創意工夫とはよく言われるが、教室の中だけで、本当にできるのか?教室と外の両方の協調と緊張があってはじめてそこに創意工夫の跳躍点が見つかるのではないかと気づかされた瞬間だった。