八雲学園では、毎年12月に「英語劇」が行われる。ところが今年は、開催2週間前に、新しい動きが生まれた。今までは、中1の英語朗読劇、中2の英語劇が中心だったが、今回は高1と高2の有志によるミュージカルさながらの英語劇「グリー」がプログラムに急きょ織り込まれた。
一般に学校の行事は、新年度の年間予定表で決まっていて、変更するときは次の年以降となる。2週間前に有志が集まって、出来上がりの予想可能性が低い行為を急きょ取り入れる冒険はしない。今年の八雲学園は、前半エール大学の学生を受け入れた。後半ダライ・ラマ法王を迎え入れた。そして年末英語劇のプログラムをブラッシュアップした。
すべて年間予定表であらかじめ想定していたものではない。21世紀は未知なる出来事に遭遇するダイナミックな時代。それに対応すべく、教師、生徒、保護者が一丸となって立ち臨む体験を共有した。榑松史人先生(理事長・校長付 英語特別委員長)に英語劇のインパクトについて聞いた。
その日は、「英語祭」が行われて1週間も経ないうちに「百人一首大会」が行われた日。高校生の英語劇のリハーサルは、その多様な行事の準備の期間に行われていた。 by 本間勇人:私立学校研究家
(左から、菅原先生、榑松先生、近藤校長先生、横山先生)
教育の組織力 文化形成力
近藤校長:今日の「百人一首大会」もそうだが、学校行事も長い伝統の中で創意工夫があって、一つの文化を形成している。しかも今日の文化がタテだとすると、先週の「英語祭」はヨコ。タテとヨコの多様な文化が積み重なって八雲学園の教育の総合力ができているわけだが、今回のように行事ごとに創意工夫が顕れる瞬間に立ち会うことができ、みんなに感謝したい。
誰か特別な外部のスタッフを連れてきて、取り仕切ってもらうのではなく、先生方、生徒が一丸となって積み上げてきた体験の中から、1人ひとりが自分の掘り下げたいものを見つけ、発展させていく環境づくりができていると改めて感じる。今回の高校生による「英語劇」がまさにそれだね。
中学生のころに体験してきた英語劇を、高校になってもやりたいという意志が大きくふくらんで、それを実現させた。彼女たちの意志が生まれる環境づくりと先生方のサポートがあってこそ立ちあがったと思う。
横山先生:誰か優秀なリーダーが1人采配をふるったからといって、実現できるものではたしかにない。行事をやる意義や価値を教師や生徒1人ひとりが漏れなく共有できるコミュニケーションが存在しているし、そのくまなく張り巡らしているコミュニケーションの網の目に、つねに繰り返し伝えていくことができているからこそ、想定外の出来事が起こっても対応できる。
もちろん、このコミュニケーションの広がりは、事あるたびに全員がトランシーバーを持って、情報を常に瞬時に共有していることだけを言っているわけではない(笑)。もっと日常的な場面で、つながりが強いことが大前提。
菅原先生:意義や価値の共有は、行事をつくっていくときの地道なコミュニケーションによってこそ行われているけれども、行事そのものよっても行われていることは重要だと確信している。それは、たとえば、体育祭で。各学年が全員ダンスパフォーマンスを披露するのだが、そのとき高校3年生が全員で「旗」を使ってダンスをする華麗で凛とした姿は、後輩の憧れの的。
高3になったらああなりたいという意志が生まれるし、高3は高3で、その意志を生み出す責任を引き受けるというコミュニケーションがその場で展開される。それは文化祭でも同じだし、今日の百人一首大会でもそうだ。しかし、考えてみれば、「英語祭」では、まだそれがなかった。今回、それができあがり、八雲学園の多様な行事のあるべき姿がもう一つできあがったと感動している。
榑松先生:八雲学園の組織は、マニュアルを配布して、各人与えられた役割をこなしていく効率重視の機械組織ではない。すべての役割がつながって循環し、環境の変化に対応できる有機的な組織。だから、種が撒かれ、芽が出て、成長して花開き、果実が再び新たな生命を生んでいくという感じじゃないかな。
今回の高校生のグリー部、と彼女たちは自分たちでそう呼んでいるんだが、とにかく彼女たちとの出会いとその英語劇を創り上げていった過程は、組織力が花を咲かせる瞬間に立ち会えた。
こういう組織力があるからこそ、八雲学園はさらに進化する。その準備とリサーチのために来月渡米するが、確信と先生方と生徒の信頼に支えられてがんばってこれると思っている。