工学院 1人ひとりの物語(旅立ち)

自らをREASONとする対話の自由

一般に高校生対象の講演や研修は、葛藤を演出し最後は希望の光を共有してハッピーエンドで終わるのが常套である。しかし、橋本紡さんは、図書委員にそういう態度では臨まなかった。だからといって決して厳しい態度でなどということもなかった。

橋本さんの小説の書き方は、自らの人生の転機そのものであり、予定調和やシナリオを頼りにするのではなく、暗闇に突っ込み、こよなく自らをREASONにする自由を愛する自分そのもの。その人生26年間を、図書委員にさらけ出して、共有した。

だから、今度は、参加した図書委員1人ひとりと対話をした。ある生徒は、橋本さんが飼っている猫の種類を訪ねた。26年間の壮大な話をしたのに、猫の種類を訊くのかいと高笑いしながらも、丁寧に猫を飼う意味を話した。そこに小説の書き方を知りたい生徒の疑問にストレートに応えるヒントがあった。

一見小さな出来事も、丁寧に言葉で世界を紡ぐその姿勢は、シナリオやプロットを必要としない橋本紡さんの書き方であり生き方である。言葉で意味を紡ぐことが、出来上がってからあとで、誰かが分析すればプロットがあるということになるにすぎない。

またある図書委員が、橋本さんがどういう社会が良い社会だと思いますかと質問した。すると、みんなバラバラで生きていける社会と即答。みんなバラバラでいいのだと言っているのではない。それを支える社会であることが大事なのは説明するまでもないだろう。クアラルンプールで暮らしていると、日本で存在している「一般に」とか「ふつうは」と呼べる現実がないと。

民族によって、同じ身振りでも意味が違う。習慣が違う。ルールが違う。そんな人々の集まりで、「ふつうは」とか「一般に」という言葉は何の意味もなさないのだと。それでも、社会がちゃんと動くのだと橋本さんは語る。

そのとき、ある生徒が、橋本さんは最終的にはどこに住みたいのですかとまた尋ねた。すると、世界の果て、パタゴニアだねと即答。暗闇に突進して、世界の果てまでどこまでも自由に生きていく橋本さんの言葉に図書委員はどんどん深みにはまっていった。

サイン会のとき、待っている図書委員と少し話をした。感動したと身体から、何も尋ねないのに、言葉がでてきた。今独我論について考えを巡らしてしています。

簡単にいえば、現実はすべて脳内にあって、死んでしまえば現実も消滅するという、昔からある思想のバージョンなんですけど、それでよいのかということですよね。橋本さんの話と重なるところがあって、そんなことを考えながら聴いていました。

ラノベと現代思想の文章がヒントになっています。ラノベはきっかけとしてはものすごく参考になります。

すると隣にいた図書委員が、僕はラノベは読まない、純文学かな。でも興味と関心あるものから出発することを互いに尊重していますから、ここの図書委員はと。

橋本さんの話を、そのまま聞いているのではなく、図書委員1人ひとりがふだん考えていることと交差させながら聴いていたことがわかった瞬間だった。

図書委員と橋本さんの対話はそこから尚も2時間続いた。そこに居なかったが、1人ひとりバラバラでそれでよい車座ができていたようだ。橋本紡さんと図書委員1人ひとりの果てしない物語がようやくスタートした瞬間だったに違いない。

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