Whimのメンバーと八雲生が、<stranger>から<community>に変容するにはどうしたらよいか。それは、もちろん、コミュニケーション。毎年、最初は日本文化や日本の食事をいっしょに体験する。しかし、今年は様子がかなり違ってた。
何が違っていたかというと、今ままでは、「英語」を媒介として相当レベルのコミュニケーションをする八雲生は限られていた。したがって、英語ではなく、書道、すごろくなどの日本のゲームを媒介にコミュニケーションをしてきた。
イエール大学の学生のすばらしいところは、日本のゲームを文化として楽しむ好奇心が旺盛なことだ。八雲生もウェルカムの精神で、相手が好奇心を持っている表情をしたら、それにきちんと呼応する表情で応じる。だから、場は和むし、「英語」はカタコトでも、共感することができた。
この「共感」=<エンパシー>が、イエール大学の学長ピーター・サロベイ教授が卒業式の演説で語ったもう一つのキーワードだった。ウェルカムの精神を大切にしてきた八雲学園にとって、イエール大学の学生とは出会うべくして出会う文化的な背景があったわけである。
ところが、今年は何が違ったかというと、「英語」でもきちんとコミュニケーションがとれるようになり、ユーモアのレトリックで互いに大笑いしたり、日本の文化の説明にイエール大学の学生が感動したりしていたのである。
近藤理事長・校長も自然に英語で、コミュニケーションの輪に入ってきて,場が盛り上がった。このようなシーンが、今までになく自然な雰囲気だったのだ。
思い返してみれば、イエール大学の学生との交流が契機となって、ミュージカル部「グリー部」が立ち上がった。菅原先生によると、今では最大規模の部活だそうである。
八雲といえば、もともと英語教育で有名なのだが、授業のみならず、学園生活全体が英語でコミュニケーションすることは当たり前になっていたのである。そして、毎年イエール大学の学生と交流するたびに、もっと自然に、もっとたくさん議論したいということになったというのである。
昼休み、中3の生徒とすれ違ったので、ちょっとインタビューしてみた。このような機会があることは何か意味があるのかとたずねると、「言葉ではいい尽くせないほど貴重な経験です。中1、中2のときは、先輩方の交流を見ているだけで、自分たちもいずれと思い、イングリッシュファンフェアとか英語劇などの英語でコミュニケーションする機会にチャンレンジしてきました。」
「でも、実際コミュニケーションしてみると、まだまだんだと思い知らされたし、ますます英語を学びたいという気持ちが溢れてきました。」
「高1になる前に、サンタバーバラに英語研修にでかけますから、そこでもう一度チャンレンジして、来年こそイエール大学の学生ときちんと英語で対話ができるようにするつもりです。」と実に彼女たちの脳内は神経物質がいっぱいにあふれていた。
そして、驚いたことに、3人とも口をそろえて、「高1になったら、6月からの3ヶ月留学に挑戦します。行けるかどうか選抜されるので、まずそこをクリアする挑戦をしなくてはなりませんが、3ヶ月留学に行った多くの先輩方が、対等にコミュニケーションしている姿を見て、あのぐらいにならなければ、英語で考えプレゼンできるとは言えないと思っています」と決意の熱い思いを聞いた。
<stranger>から<community>にシフトするには、共感=エンパシーが必要なのだが、それはこんなにもモチベーションや知的刺激を生み出すものなのだと感心した。なによりイエール大学の学生や先輩方の挑戦が憧れのロールモデルになるという効果は絶大ではないだろうか。
しかし、感動の渦は、放課後ますます大きくなるのだった。空手部の部員の練習風景を見に行ったイエール大学の学生は、目を丸くして驚いた。「ようこそ、八雲学園の空手部へ。2020年の東京オリンピック・パラリンピックで競技に選ばれた空手の型をご覧ください」と流ちょうな英語から始まった空手道場。
おそらくイエール大学の学生は、空気を切り裂く体の動きと気合の声の共演を見たことはなかったのではないか。今米国ではマインドフルネスをいっぱいに心にふくらませる瞑想が見直されているが、その「道」の1つにこのような武道もあるのだということに興味を抱いたに違いない。
空間と身体と声のエンパシーのアクティビティ。それは、アカペラのコーラスと形は違うが通じるものがあるのだと。エンパシーはいよいよ体感や言葉の意味の触れあいという具体的なものから、構造という抽象性の響き合いに移っていったのである。