工学院 ライティングパワーが新しい学びを開く

工学院の21世紀型教育改革は4年目を迎える。プレ改革を入れると5年目。新高2が、そのプレ改革の学年にあたるが、すでに改革を牽引する学びの成果をあげている。

高1に引き続き高2のハイブリッドインタークラスの担任であると同時に、日本の教育における新しい学びのリーダーである石坂雪江先生(英語科)と今年から高校の教務主任に就任した田中歩先生(前英語科主任)がさらなる学びの新しいカタチを語る。 by 本間勇人 私立学校研究家

(左から石坂雪江先生、田中歩先生)

高2のハイブリッドインタークラスの生徒は、英検でいえば、準1級以上の生徒がほとんど。しかし、石坂先生は、民間英語試験のスコアを上げることが目的ではなく、教養をベースとした実用的な英語の授業が中心だという。

「実用的」というと、日常英会話ができることと思われがちだが、石坂先生は、人間や自然、社会にとって重要な問題について、ディスカッションやディベートなど多角的なパフォーマンスができることを意味するという。

そして、ディスカッションやディベートをするには、物事を捉え返し、自分なりに再定義できるクリティカルシンキングが必要なのであると。

石坂先生の授業のコンセプトは、そのためには、教養がなければならないというのである。なるほど、ギリシア神話、紋章学、詩学など日本の高校では扱わない領域の素材を使っている。しかし、そのような本を英語であれ、ただ読んでいるだけでは教養主義的で趣味人的な学びに過ぎないという。

では、何が「教養」なのか?それは様々な体験や読書、議論、対話を通して、自分なりに物語を創作できるようになることであるという。あるいは論理的仮説を立てられることだという。教養とは自己陶冶であるが、自己陶冶とは、オリジナリティとクリエイティビティが必要である。他人が書いたり言ったりしたことに拠って立って、ディスカッションしたり対話をしても互いに相乗効果を生み出せない。

知的に興奮できるコミュニケーションができるには、独創的でウィットに富んだ独自のコンテンツを物語れなければならないというのが、石坂先生の授業のフィロソフィーである。だから、ライティングの学びの環境が重要なのであると。

ハイブリッドインタークラスのライティングの授業は、多くの先生がかかわって行われている。上記の冊子の写真は、高校1年のときの同クラスのライティングの制作物の成果であるが、そのときかかわっていた外国人の先生は、ジョン先生(Jon Otto)、ジョエル先生(Joel Post)、アレックス先生(Alex Dutson)である。日本人の先生は岡部先生ともちろん石坂先生。

中でもジョン先生は、ライティングこそ死でさえ乗り越えることができるほどパワフルなのだという信念の持ち主で、石坂先生をはじめみなその想いを共有し、多様なライティングの機会を設けている。ある時は、フィクションとしての挿話、あるときは詩、あるときはロジカルシステム、あるときはドラマ、あるときはリサーチエッセイ。

上記の写真は、ジョン先生と岡部先生が協働して、グーグルドライブで、互いに自分のものの見方や考え方を共有し、リスペクトし合いながら、刺激を与えあいながら、パワフルなライティングを行っている。ICTも活用した先進的な授業のシーンだ。
 

授業の種類には、英語で哲学の授業もあるし、ドラマエデュケーションといった表現力を豊かにする授業もある。

しかし、その前提として多様なライティングの授業があるのである。先述したようないろいろな切り口のライティングの取り組みをすることで、表現への意欲や創造性が生まれ出てくるようになっている。石坂先生は、このマインドの形成こそ大きな成果だと語る。

田中先生も、この自分で物語を創るところから始めるのが、学びの本来の姿であると語る。「主体的・対話的で深い学び」と言われているが、調べ学習で終わったり、日本の大学入試で出題される課題文型小論文などのように、他人の文章の中に手がかり足がかりを見つけ、それをロジカルにアレンジすればできてしまうようなエッセイが行われている。

そのような入試に立ち向かうことは、疑似主体性でしかないと。やはり、自分なりに物語を創り、矛盾に遭遇し、それを創造的に問題解決していくところから始めることが主体性をつくるキーであるという。

今までは、英語科主任として、石坂先生と共に、そのような根源的なものを生み出す主体的な学習者を形成してきたが、今後は、すべての教科で、実行していきたいと教務主任としての抱負を語った。

特にハイブリッドインタークラスの生徒は、グローバル高大接続準備教育を行っているので、世界大学ランキング入りしている大学が選択されやすい。THEでは1100位くらいまで公表しているが、日本の大学も89校ランクインしている。

日本の大学も含め、世界大学ランキング入りしている海外の大学も射程に入れている。

しかし、このような視野を広めることによって、海外の大学と日本の大学には学びの格差があることにも気づかされると石坂先生と田中先生は語る。ある海外大学のエッセイの問について、いかに日本の大学入試と違うか説明してくれた。

もしも、入試問題のレベルや質に格差があるとしたら、それは学びにも大きな影響を与えるから、同じ17歳、18歳の生徒も、どの学びに取り組むかで、大きな差ができてしまう。日本の大学にだけ目を向けていると、世界では全く役に立たない偏差値ランキングという格差で思い悩むけれど、世界に視野を広めると、思考力のレベルの大きな差がついてしまうことに気づくのだ。

偏差値階層構造で競争している間に、そのシステム自体が、海外の学びのシステムに溝をあけられているということ。このことが示唆する背筋が寒くなる子どもたちの未来。石坂先生と田中先生は、すでにそのことに気づいている。

だから、工学院では、日本の大学を受ける生徒にも、この差を甘んじて受け入れるのではなく、その格差を解消できるパワフルなライティングの授業を行っているのである。今後が実に楽しみである。

 

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