2015年にインターナショナルコースがスタートする時、現在の中2生がその第1期生となる。その意味でグローバルコースの内容がインターナショナルコースの成否を左右すると言っても過言ではない。2014年にスタートするグローバルコースについて語る小島先生の目は、今いる在校生の未来を見据えていた。
小島先生は、グローバルコースで身につけるべき力として「精神的な強さ」を真っ先に挙げる。これまで生徒たちの留学体験を長く見てきた経験者の言葉だけに、説得力がある。
英語を多少やっているからといって、即座にそれでグローバルだとかインターナショナルだということにはなりません。もちろん、グローバルコースの生徒であれば、中3までに全員英検2級の取得を目標にさせますし、当然英語力は重視します。しかし、海外に出て勉強していく場合に必要なことは、様々な国から来た留学生の中で、強い信念を持って自分を主張していくとか、少々辛いことがあってもそれに耐える力が発揮できるといったことなのです。
小島先生が話された「様々な国から来た留学生の中で」という部分は特に大切である。英語ネイティブばかりの環境にぽつんと入るのが留学なのではない。むしろ、様々な母国語を持つ生徒が共通語としての英語を使うことに意義があるのである。そのような多言語の環境の中で、異文化に対する寛容さや自文化に対する誇りが育つと小島先生は指摘する。
例えば、文化学園大学杉並では、台湾からの生徒との交流会などもこれまでたびたび経験してきたそうだ。そのようなときには、生徒自らが積極的に手を挙げて参加するように勇気づけるという。そうやって異文化の人とのコミュニケーションの機会を増やしていくと、自然に、日本文化に対する理解が重要であることに気付いていく。
その一つが演劇を取り入れることである。たとえ脇役のセリフであっても、それを演じる生徒にとっては、どういう抑揚でそれを言うかは大問題となる。旅の一団などの役だと複数の生徒がそれを演じるため、そこに議論も生まれてくるという。そういえば、文化学園大学杉並ではディベートや英語劇など、リベラルアーツにつながる学びのイベントも盛んである。
教養や文化といった、コミュニケーションの土台を固めつつ、その上で英語というコミュニケーションツールを磨いていくことがグローバル社会で求められているという考えが浸透しているのである。
また、コミュニケーションの土台として自分を確立することの重要性についても、小島先生は次のように語る。
在校生がしり込みせずにインターナショナルコースに進学するような気持ちを育てることがまずは課題です。先駆者・先達になることを厭わない精神、従来通りといったことに甘んじない気持ち、こういうものを身につけてほしいのです。
IBの学習者像で言えば、Risk-takers(挑戦する人)であり、Principled(信念のある人)であれということであろうか。
さらに、多様性への寛容さについては次のようなお話をしてくださった。
給食の時間などでも、嫌いな物があると、それをすぐに人にあげようとする生徒がいますね。そんなときには、次のように言ってきかせることがあります。百歩譲って、嫌いな食べ物があることはよいとしましょう。ただし、それを目の前から消そうとしないで、お皿の上に置いておきなさいと。
自分の苦手なものが目の前に存在し続ければ、それを意識せざるを得ない。給食の話が異文化理解のプロセスの比喩であることを、そうやって生徒は理解していく。
グローバルコースがインターナショナルコースの土台を築くという役割を担っている以上、単に英語力だけではなく、精神的にタフであることや異文化理解を重視するのは必然である。それは、ダブル・ディプロマを目指すインターナショナルコースの本質に関わるのだ。つまり、英語力の向上がゴールなのではなく、世界とコミュニケートするスタート地点に立つために英語力を身につけるということなのである。