共立女子 渡辺校長 最高価値の実現の道(3)

私学人の根っこ

19世紀末は、近代世界思想の同時的共有が進んだ。不思議なことに、数学やアート、哲学、宇宙物理はたがいに共振し越境し始めた。すべては関数概念で説明がつくという啓蒙主義的ポストモダニズムの基礎がはやくもできあがっていた。

日本の私学人も、この思想の影響を大いに受けた。新渡戸稲造も内村鑑三も、福沢諭吉も、渋沢栄一も、江原素六も、儒教思想と欧米思想の両方に深く学んだ。共立女子は特にそうである。各界から集まった創設者34人の思想の関係総体が創り出していたからだ。

私学人の根っこは、特定の理念を信奉したのではなく、すでにその理念はハイブリッドグローバルスタンダードだったのである。

そしえtこのハイブリッドグローバルスタンダードを渡辺校長も継承してきた。この壮大なタフな思想こそ、今日の現場の先生方のハイブリッドな学びを保守する土台なのである。

平成26年の中学生を迎える式辞で、こう語られた。

「きょうから中高一貫教育の六年間が始まりますが 古の中国の思想家である孔子の次の言葉を これからの皆さんの指針にしてほしいと思います。
 
「之を如何せん 之を如何せんと 日わざるものは 吾 之を如何とも すること末きのみ」と
これはどうしよう これはどうしたら良いだろうと 常に自分に問いかけ 自分なりに 思案に思案を重ねて 努力する人間でないと 私は何も教えることができない
といった意味になるでしょう。
 
自問自答し 努力する姿勢さえあれば わたくしたち教職員は 心をひとつにして 力を合わせ新入生の皆さんや 保護者の方々の ご期待に 十分に 応えられるように 指導に あたって まいります。」
 
 
そして、平成25年度の高校の卒業式の時には、クラーク博士のあの言葉を引用した。しかし、その含蓄は、あまりに深かった。
 
『札幌農学校の初代教頭 ウィリアム・スミス・クラークは 言いました。
 
「少年よ 大志を抱け しかし金銭を求める大志であってはならない 私欲を求める大志であってはならない いわゆる名声という つかの間の空虚なものを求める 大志であってもならない 人はいかにあるべきか その道を全うするために 大志を抱け。
 
人の一生には限りがある 限りがあるからこその人生 その限りを 間近に感じることのできる老人のように 日一日を 確実に刻むのだ」
 
 翻って考えてみると 大志を抱け という時 無意識に人は経済や社会的な 自己実現を念頭においているのではないでしょうか。 しかし公に向けての意思 全体のために自分は何をなすべきかという意思がなければ 本来何も始まらないのです。 自分の成功のためではなく かくあるべき という人になるように 大志を抱け ということなのです。 クラークはこういっているのでしょう。
 
「少年よ 大志を抱け ただし公のために また 戻ることのない この時間を何のために私達は歩むのかを 常に意識しながら」
 
皆さんは学問ばかりではなく 人間としての生き方を 共立で身に付けました。
 
どんな時代でも いかなる社会でも 皆さんは さまざまな事に対して 自分の問題として 考え 行動する 知性をもった 自立した女性として生きていってほしいと思います。
共立で得たこと 学んだことをもとにして これからの社会生活を 切り開いていってほしいと願っております。
 
「共立生よ 大志を抱け」』
 
最高の価値を実現するために、私学人渡辺眞人校長は古今東西の英知を現代の教育活動に不易流行として結びつける関係構築主義者なのである。

 

Japanese
Twitter icon
Facebook icon