順天 SGHクラス≪GLAP≫始まる(3)
順天のSGHの≪GLAP≫ユニットの取材に訪れたとき、中2の父母の集いの授業参観も開催されていた。片倉副校長が、いわゆる授業ですが見学してみますかと誘われたので、二つ返事で授業を拝見した。そして驚いた。
順天のSGHの≪GLAP≫ユニットの取材に訪れたとき、中2の父母の集いの授業参観も開催されていた。片倉副校長が、いわゆる授業ですが見学してみますかと誘われたので、二つ返事で授業を拝見した。そして驚いた。
土曜日は、SGHの≪GLAP≫ユニットだけではなく、全学年が、多様な学びの体験をしている。ある中学生のチームは、博報財団とコラボレーションして、海外の生徒に日本語を教えながら、原宿などを案内する準備をしていた。
今春、文科省の次期学習指導要領改訂のためのモデルになるSGH(スーパーグローバルハイスクール)指定校に、順天学園が認定された。SGHは、将来、国際的に活躍できるグローバル・リーダーを育成するため、グローバルな社会課題を発見・解決できる人材や、グローバルなビジネスで活躍できる人材の育成に関する教育課程等の研究開発を行うプロジェクト校である。
順天はその指定校として、まずは高等学校1年のイングリッシュコースの生徒と希望者で編成した≪GLAP(グローバルリーダーズ・アクションプロジェクト≫というユニットで、SGHの研究開発を開始した。 by 本間勇人:私立学校研究家
授業の取材に訪れたとき、≪GLAP≫は、ちょうど「世界一大きな授業」のワークショップを行っていた。このプロジェクトは、3つのタイプの研究課題に取り組むことになっている。
共立女子の入学式の型は、明治19年(1886)創立の精神を再生している。先覚者34人が発起人となり、女性に専門的知識と高度の技能を修得させ、女性の自主性と社会的自立を育成することを目的として創立されたのだが、19世紀末において、すでに理念形成それ自体がコラボレーションの型という出発点になっている。
時代の表層の変化ではなく、本質に基づきた不易流行としての21世紀型教育を共立女子の入学式にみた。
by 本間勇人:私立学校研究家
聖学院といえば、今やプロジェクト学習(PBL)の拠点。PBLは、SGH(スーパーグローバルハイスクール)やIB(国際バカロレア)、米国のチャータースクールなどで活用されているアクティブラーニング。大学でも今やっと広まりつつある。by本間勇人:私立学校研究家
(2014年6月8日、男子校フェアで聖学院は「思考力セミナー」を披露)
カリキュラムイノベーションチームはPBL型開発
知的なプログラムの開発をするときには、まずはビジョンを共有する。ただし、その段階でのビジョンは、ある程度の共有はするが、未規定性のままの仮説。試行錯誤の開発が進むにつれて細かいところは変わっていける柔軟な「アソビ」は残すということのようである。
工学院大学附属中学校・高等学校(以降「工学院」)の校長平方邦行先生は、工学院の目差す21世紀型教育を実行するとは、授業改革をおいて他にないという信念を学内外の先生方、生徒、保護者にことあるごとに語る。
知識を伝え、記憶するだけの20世紀型教育から、知識そのものも吟味しながら、知識と知識を組み合わせたり、組み替えたりしながら、自ら発見した問題を解決していくIB型思考力はいかにして可能か。それは米国ハーバード大学やMITなどが先進的に開発してきたPILやPBLの授業の本質を踏まえた授業改革によって可能になると。
今年一年かけて工学院の先生方が、校長と共に一丸となって研究に取り組む。日本の教育が変わる瞬間をドキュメンタリー風に追跡取材していく。by 本間勇人:私立学校研究家
工学院大学附属中学校・高等学校(以降「工学院」)の校長平方邦行先生は、工学院の目差す21世紀型教育を実行するとは、授業改革をおいて他にないという信念を学内外の先生方、生徒、保護者にことあるごとに語る。
知識を伝え、記憶するだけの20世紀型教育から、知識そのものも吟味しながら、知識と知識を組み合わせたり、組み替えたりしながら、自ら発見した問題を解決していくIB型思考力はいかにして可能か。それは米国ハーバード大学やMITなどが先進的に開発してきたPILやPBLの授業の本質を踏まえた授業改革によって可能になると。
今年一年かけて工学院の先生方が、校長と共に一丸となって研究に取り組む。日本の教育が変わる瞬間をドキュメンタリー風に追跡取材していく。by 本間勇人:私立学校研究家
カリキュラムイノベーションチームはPBL型開発
知的なプログラムの開発をするときには、まずはビジョンを共有する。ただし、その段階でのビジョンは、ある程度の共有はするが、未規定性のままの仮説。試行錯誤の開発が進むにつれて細かいところは変わっていける柔軟な「アソビ」は残すということのようである。
PIL×PBLの授業のプロトタイプづくり始まる
カリキュラムイノベーションチームは、議論をしているだけではない。同時に自らの授業でPILとPBLの授業のモデルやプロトタイプづくりも行っていく。生徒の学力をさらに伸ばすために、当然その結果として、大学進学実績が伸びるようにという信念は当然固い。
富士見丘中学校高等学校(以降「富士見丘」)は、SGH認定校の活動を通して、教師も生徒も探究活動をベースにしてきた組織であることを可視化するに到りました。一般にSGH校といっても、中高一貫校の場合、その活動は高校に限られますし、高校生も全クラスが参加するというわけではないのです。
ところが、富士見丘は中高全員が、SGH指定校の条件を土台にする探究活動を行います。もともと自主探究「5×2」という生徒1人ひとりの好奇心にもとづいたテーマを探究していく活動はあったのですが、それが、個人の探究活動から、クラスや学校全体にコラボしながらの活動になり、さらに大学や非営利団体などと連携して探究活動は研究活動に転ずる広がりを学内外の広い範囲につながったのです。
学内外とつながることによって、相互にコミュニケーションをとらなければなりませんから、その活動の全貌が可視化されることになったのだと思います。
富士見丘の理事長・校長吉田晋先生は、新年度の教職員会議で、今年SGH(スーパーグローバルハイスクール)アソシエートとして、来年度のSGH指定校になるための十全の準備をしていくことを宣言。教職員一丸となってチームプレイをしていくことになった。
4月のワールドカフェ風の新しい説明会も、対話やディスカッションをベースにするスーパーグローバル教育へのデモンストレーションとして行われ、吉田校長は、SGHへの道を歩んでいくことを学外にも宣言することとなった。by 本間勇人:私立学校研究家
三田国際は、偉大な教育改革を断行して2年目を迎えます。インターナショナルクラスのイマージョン教育は、日本の教育界に大きなインパクトを与えました。そして今も与えています。英語をオールイングリッシュで行うばかりではなく、理科、社会、数学までもオールイングリッシュで行うクラスができたからです。言い換えると、いわば一条校としてのインタナショナルスクールの糸口がそこに生まれたからです。
また、昨今トレンドになっているアクティブラーニングも、相互通行型授業あるいはPBL(=Problem based Learning)として、当然展開しています。ただ、このPBLは、驚くべきことに、インタクラスのみならず本科クラスすべての授業で行われているのですから、驚愕の振動が日本全国に走りました。
そして、さらに驚くべきことは、改革2年目を迎える中2のPBL授業がDeep Active Learning(深いアクティブラーニング:以降「深いAL」)に進化したのです。世の中がやっと、Surfacce Active Learning(浅いアクティブラーニング:以降「浅いAL」)に到達しかけている時に、先鋭的な深いALに突入したのです。(本間勇人:私立学校研究家)
(生徒がプレゼンした後、ポール先生はリアリスティックアプローチの問いかけをします。これが生徒の才能に火をつけます。)
聖パウロ学園高等学校(以降「聖パウロ学園」と表記)は、高尾山の裾野に広がる森の中にある。東京都内で、このようなマインドフルネスな環境にある学校は他にない。冬になると、雪景色は美しくも厳かで清らかな時空が流れる。
自然体験あり、乗馬あり、まるで、ソローやエマーソンが森の小道の向こうから現れて、自然と社会と人間存在についての対話を誘うような雰囲気である。彼らの信条は、マハトマ・ガンディーのインド独立運動やキング牧師の市民権運動の精神とシンクロする。
そして、聖パウロ学園自身、20世紀型教育で、学力格差や偏差値競争によって、自らの潜在的才能に気づくことなく自己肯定感を持てないように強いられてきた生徒に自信と勇気を回復する場としてやはり共通した精神が流れ広がっている。by 本間 勇人 私立学校研究家
11月25日、時雨降る中、パウロの森で、高2のパウロネイチャープログラム(以降「PNP」)が実施された。文科省は、先月から大学入試改革一体型のグローバル学習指導要領改定作業を本格的にスタートし、授業の中にアクティブラーニングを活用することについても触れている。
聖パウロ学園は、キャンパス内にあるパウロの森でPNPを以前から行ってきた。このプログラムの手法は、まさにアクティブラーニングそのもの。PNPの1シーンを取材した。by 本間勇人:私立学校研究家
聖パウロ学園の夏期合宿の通奏低音は「対話」であるが、実はこの通奏低音は、聖パウロ学園の教育全体に響いている。しかし、それが夏期合宿の時は、前面に出てくるのである。それはまるで、無伴奏チェロソナタの曲が流れているかのごとくだった。あるいはパイプオルガンの重低音の響きだったか。