富士見丘の文化祭を少し見学しました。短時間でしたが、普段の教育がぎっしり詰まっていて、納得の時間を過ごすことができました。同校の破格のグローバル教育はあまりに有名ですから、英語が中心の文化祭になっているのかと思っていましたが、全く違いました。生徒がふだん生き生き活発に学園生活をしていることが伝わる文化祭だったのです。
取材した時間帯は、お茶の点前がされていない時間帯でした。しかし、茶室にはいるとその見事な空間に心をうたれないわけにはいきませんでした。岡倉天心が「茶の道」で、茶室の空間というのは、たんに物理的空間ではなく、それは精神の住まう虚の空間なのだと語っていたのを思い出しました。
なるほど、内なる光が柔らかく輝き、まるで心の外とのつながりは慎重だけれどオープンマインドなつなりを外からの光を少なめにとることによって表現しているかのようです。障子が外の強い光を柔らかく取り入れ、窓も小さめですが閉じているわけではありません。
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自然の猛威や社会の混乱、人間関係などに翻弄される自分ではなく、自然を受け入れ、社会の混乱を調整する冷静な精神力と、人間関係の機微を調整する寛容さが、富士見丘の茶室には見事に反映しているではありませんか。
茶道部の生徒の立ち居振る舞いには、その精神が宿っていました。そして、その精神は、ジョブスが渇望していたし、五段階欲求説のマズローが、第6番目にその精神を求めようとまでしました。「多元知能」の提唱者ハワード・ガードナー教授もこのような精神を多元知能の1つに数えるかどうか検討しました。哲学者ハイデガーもこの精神を尊重していました。
今では、欧米では、この精神はマインドフルネスとしてグローバルリーダーに求めらる心の佇まいです。それを同校の茶室は見立てているのです。
そういえば、リベラルアーツの中でもっとも重要な言語活動の1つにミメーシスというレトリックがあります。カイヨワという文化人類学者が「遊びと学び」の共通概念に「ミミクリー」というまねぶというメタファーを活用しています。
これは、日本の文化にある「見立て」という言語活動と相通じるところがあります。明治時代に真っ先に欧州に伝わった日本の文化は大名庭園とその中にある茶室であり、その茶室を構成する多様な道具です。この空間に理想的なものを見出しました。
そして、それが産業革命で荒廃していた都市を、大名庭園や茶室の空間を今度は逆に理想都市に見立ててユートピア都市「田園都市」レッチワースを創ったのはイギリス人エベネザー・ハワードです。
このハワードの今でいう環境都市は、第一次世界大戦が起こるまで、欧州に影響を与えました。そして、それは日本の田園調布やたまプラーザの都市計画に逆輸入されました。
そしてIT革命後、このユートピア都市はソサイエティ5.0の大切な柱スマートシティやクリエイティブシティのプロトタイプになったのですが、実はそれは大名庭園とそこに必ず存在した茶室の空間だったのです。
富士見丘が破格のグローバル教育を行っているのというのは、たんに英語に力を入れているだけではなかったのです。またどこの学校でも行っている日本の文化のラインナップの学びではなかったのです。
世界に影響を与える環境都市やマインドフルネスを創発する空間である茶室の奥深さを、英語で「茶の本」を描いて世界に発信した芸術家岡倉天心さながら伝えられるのが富士見丘の生徒なのです。
ふと茶室の名称を見ると、「忠恕庵」とありました。建学の精神からとったのでしょうが、世界のクリエイティブリーダーに必要な能力は、才能(タレント)と技術(テクノロジー)のみならず、寛容(トレランス)が必要だと言われています。「忠恕」そのものではないですか。
富士見丘の破格のグローバル教育の奥深さを発見できたひと時でした。